学生時代に所属したクラブの先輩の奥様が亡くなられた。奥様もクラブの先輩だった。先週の金曜日、悲しみのお通夜での説法が心に響いた。
「盲亀流木のたとえ」
ある時、お釈迦さまが弟子に「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか?」と尋ねられた。「大変喜んでおります」と弟子が答えると、お釈迦さまは、次のような話をされた。『 果てしなく広がる海の底に、盲目の亀がいた。その亀は、百年に一度海面に顔を出すのだ。広い海原に、一本の丸太が浮いていて、風の吹くまま西へ東へ、南へ北へと漂っている。丸太の真ん中に、小さな穴が開いていた 』 「弟子よ、亀が水面に浮かび上がった拍子に、この丸太の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか?」聞かれた弟子は驚て、「お釈迦さま、百年に一度しか浮上しない亀にとても無理な話、不可能です」「絶対ないと言い切れるか?」とお釈迦さまが念を押された。そして言われた。「弟子よ、私たちが人間に生まれるのは、亀が丸太の穴に首を入れるよりもっと難しいことなのだ…有難いことなのだで」「有難い」とは「有ることが難しい」…つまり滅多にないことを言う。
悲しい死という別れに接して、いつも、この世に生を受ける奇跡と、如何に生き、死に行くかという事を考えさせられる。
一瞬一瞬の尊い縁を大切にしようと改めて心に誓い大阪へ帰った。翌日土曜日、携帯の着信に深夜気づく。嫌な予感がした。深夜なので翌朝連絡しようと決めたのだが、朝秘書が自宅に迎えにきた時、訃報の連絡を聞かされた。予感は当っていた。
二度の落選の後、事務所運営も全て一人でやっていた頃、私が17年間お世話になった会社が主催するイベントに後輩から呼ばれ、たまたま隣に座ったのが石崎さんだった。意気投合しいろいろとご支援を頂いた。実は今の事務所体制を頂くきっかけ、選挙体制を作るきっかけ、後方支援を頂くきっかけは全て石崎さんとの出会いから派生したことであった。その出会い以前の別のご縁も化学反応の様に繋がり合い、私の当選があり、今の事務所がある。大凡出会いというものはすべてが大切なご縁である。だから、殊更特別と記すのもどうかと思うが、やはり石崎さんとの出会いは特別だった思う。体の調子が数年間よろしくない事は知っていた。時々電話を頂いていた。「頑張りすぎて体だけは気をつけなさいよ」と気遣ってくれていた。家内の愚痴もよく聞いて下さっていた。兄弟のいない我々夫婦にとっては姉のような存在だった。遡れば、イベントに呼んでくれた後輩にも感謝しなければならないし、更に遡れば、人の出会いとは本当に奇跡的なものだと思い知った。
夫婦揃って通夜、告別式に参列した。父母の葬儀の時は気が張っていてあまり涙が出なかったが、今日は止めどもなく涙が出た。ありがとうございましたと心に繰り返すだけだった。私を取り巻くあらゆる奇跡的なご縁により国政に送って頂いている。もう私の思いは、私だけの思いではなくなっている。あらゆるご縁が凝縮している。今お預かりしている立場、その重さを改めて確認した。
権力の中枢にある国会議員の仕事は、世の中を良くする為の生業であるが、一歩間違えば、奇跡が織りなす当たり前の日常に暮らす国民を追いつめ、簡単に死に至らしめる。間違えば人を殺してしまう仕事なのである。傍目で見ていて些細に見える事も、実は重いと戒めたい。丁寧に真心込めて一つでも多くスピード感をもって、神経すり減らしながらも、仕事に対する畏れをもって事に臨んでいきたい。改めてここに誓う。
小寿枝先輩、石崎ゆかりさん、ご冥福をお祈りします。ご恩一生忘れません。有り難うございました。しっかり見ていて下さい。頑張ります。そして、あらためて、両親、先祖に感謝し、我が子、これから生まれ来る次世代に対して責任をもって事に臨みたい。
「盲亀流木のたとえ」
ある時、お釈迦さまが弟子に「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか?」と尋ねられた。「大変喜んでおります」と弟子が答えると、お釈迦さまは、次のような話をされた。『 果てしなく広がる海の底に、盲目の亀がいた。その亀は、百年に一度海面に顔を出すのだ。広い海原に、一本の丸太が浮いていて、風の吹くまま西へ東へ、南へ北へと漂っている。丸太の真ん中に、小さな穴が開いていた 』 「弟子よ、亀が水面に浮かび上がった拍子に、この丸太の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか?」聞かれた弟子は驚て、「お釈迦さま、百年に一度しか浮上しない亀にとても無理な話、不可能です」「絶対ないと言い切れるか?」とお釈迦さまが念を押された。そして言われた。「弟子よ、私たちが人間に生まれるのは、亀が丸太の穴に首を入れるよりもっと難しいことなのだ…有難いことなのだで」「有難い」とは「有ることが難しい」…つまり滅多にないことを言う。
悲しい死という別れに接して、いつも、この世に生を受ける奇跡と、如何に生き、死に行くかという事を考えさせられる。
一瞬一瞬の尊い縁を大切にしようと改めて心に誓い大阪へ帰った。翌日土曜日、携帯の着信に深夜気づく。嫌な予感がした。深夜なので翌朝連絡しようと決めたのだが、朝秘書が自宅に迎えにきた時、訃報の連絡を聞かされた。予感は当っていた。
二度の落選の後、事務所運営も全て一人でやっていた頃、私が17年間お世話になった会社が主催するイベントに後輩から呼ばれ、たまたま隣に座ったのが石崎さんだった。意気投合しいろいろとご支援を頂いた。実は今の事務所体制を頂くきっかけ、選挙体制を作るきっかけ、後方支援を頂くきっかけは全て石崎さんとの出会いから派生したことであった。その出会い以前の別のご縁も化学反応の様に繋がり合い、私の当選があり、今の事務所がある。大凡出会いというものはすべてが大切なご縁である。だから、殊更特別と記すのもどうかと思うが、やはり石崎さんとの出会いは特別だった思う。体の調子が数年間よろしくない事は知っていた。時々電話を頂いていた。「頑張りすぎて体だけは気をつけなさいよ」と気遣ってくれていた。家内の愚痴もよく聞いて下さっていた。兄弟のいない我々夫婦にとっては姉のような存在だった。遡れば、イベントに呼んでくれた後輩にも感謝しなければならないし、更に遡れば、人の出会いとは本当に奇跡的なものだと思い知った。
夫婦揃って通夜、告別式に参列した。父母の葬儀の時は気が張っていてあまり涙が出なかったが、今日は止めどもなく涙が出た。ありがとうございましたと心に繰り返すだけだった。私を取り巻くあらゆる奇跡的なご縁により国政に送って頂いている。もう私の思いは、私だけの思いではなくなっている。あらゆるご縁が凝縮している。今お預かりしている立場、その重さを改めて確認した。
権力の中枢にある国会議員の仕事は、世の中を良くする為の生業であるが、一歩間違えば、奇跡が織りなす当たり前の日常に暮らす国民を追いつめ、簡単に死に至らしめる。間違えば人を殺してしまう仕事なのである。傍目で見ていて些細に見える事も、実は重いと戒めたい。丁寧に真心込めて一つでも多くスピード感をもって、神経すり減らしながらも、仕事に対する畏れをもって事に臨んでいきたい。改めてここに誓う。
小寿枝先輩、石崎ゆかりさん、ご冥福をお祈りします。ご恩一生忘れません。有り難うございました。しっかり見ていて下さい。頑張ります。そして、あらためて、両親、先祖に感謝し、我が子、これから生まれ来る次世代に対して責任をもって事に臨みたい。












ご恩人を相次いで亡くされたご心情をお察し申し上げます。
ご恩人のためにも、またご先祖や次代のためにも今後ともご活動いただきたいと思います。
そういう人物との縁を大事にしたいものです。