長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

あれから3年、心からご冥福をお祈りします。

2014-03-11 12:16:42 | 社会
確かネジ?・・・の、様なものだったと思います。机の上で、トントントンと小さく跳ね初めたのです。

「あっ、地震だ」と3人の秘書のひとりが。「おぉっ、結構大きいなあ」と意外と普通の心構えでした。っとその時、大きな揺れが始まったのです。議員会館は耐震構造ですので揺れることで強度を保っていましたので、9階の長尾たかし事務所は大揺れ。立っていられないという経験を初めてしました。窓から見える隣の第一議員会館は当時工事中で、10階まで届く巨大クレーン車が「倒れてたまるかっ」と必至に踏ん張っている様に見えました。

「原発は?」と瞬時に思ったことを覚えています。しかし、津波について、その瞬間はピンと来ませんでした。目の前でお隣事務所の女性秘書さん2人が、何故か我が事務所に来てみんなが泣いています。テレビでは津波警報が発令されており、仙台空港が波に飲み込まれていきます。

ご遺体の捜索が終わらない限り瓦礫を移動を出来ないこのもどかしさ。自衛官、警察、消防、海保の皆さんの大捜索は昼夜問わず、連日続きます。とあるテントのしたで歯医者さん達が泣きながらご遺体の身元確認をしています。流されたナンバープレート付の自動車を超法規的に移動出来る様に、高速道路の通行許可証発行の問い合わせ、ガソリンを法定タンクに入れていたのでは間に合わず、「それなりの措置」で対応させたことも今だから言える話しです。いずれ必要になるであろう、生命保険金、損害保険金、その他給付金手続きの簡素化等の仕事にまる2週間関わりました。

怒濤の様な2週間を過ごし、落着いて被災地を見る心構えが出来たのは4月になってからでした。石巻の瓦礫処分を担当し、東日本大震災復興特別委員を拝命。地元に戻れず「長尾は全然地元に顔を出さない、ケシカラン」という厳しいお声もありました。瓦礫処分について、行政と民間の間にこれ程にまだ大きな壁があるのかということを痛感しました。

あれから、今日で3年。亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災された皆様が一日も早く日常を取り戻されます様に、今は在野から祈るしかありません。

心静かに、14:46を迎えたいと思います。
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