長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

八尾市長選挙の争点その1

2007-03-07 20:03:56 | 自治
八尾市長選挙の争点その1・・・動画
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従軍慰安婦問題、何が問題なのか?

2007-03-07 09:27:08 | 韓国外交
動画バージョン

従軍慰安婦の何が問題なのか。それは、「身売り」か「強制連行」なのかという点に絞り考えることが大切。

慰安婦という人たちは確かにいた。いたのである。しかし、その原因は何か。それは貧困であり生活をする為に「身売り」された悲しい時代があったということなのだ。そういう意味で私は彼女等に同情する。気の毒だと思う。慰安婦を斡旋する業者が軍を相手に商売をやっていたことは事実だと思う。朝鮮半島では戦争状態ということで接客業者は肩身が狭かった。戦時に贅沢など敵であるからだ。

その頃中国では日本軍がいたので需要がある。そこで需要を求めて中国へ行ったというのが正確である。私は、人として「身売り」された彼女達に対する人権侵害を認める。だが、それは日本国の責任ではない。貧困という時代が悲しい現実を生み出してしまったのだ。

次なる事実は、従軍慰安婦問題は実は日本発であるということだ。「太平洋戦争犠牲者遺族会」なる団体が、公式謝罪と賠償を求める原告になってくれる人はいないかと原告探しをしていたところ、慰安婦に白羽の矢が当たった。

あの有名な金学順さんも、当初は「身売りされた」と証言していた。しかし、当時の朝日新聞は「身売り」という事実を隠して大々的なキャンペーンを行った。そして、日本国内の反日論者達に焚き付けられてか、「40円で売られて、買った義父が日本軍の駐屯地に連れて行った」という証言から、「義父に連れられて北京に働き口を探しに行き、食堂で日本軍に強制連行された」と彼女の証言もまた大きく変化していく。金学順さんはある意味「再び犠牲者」となったといえる。


終戦直後、慰安婦問題は存在しなかった。戦後韓国初代政権である李承晩政権が慰安婦問題を全く取り上げなかったのだ。徹底的な反日交渉を行った李承晩政権が全く問題にしなかったのである。慰安婦は存在していても慰安婦の原因は貧困による「身売り」であったから補償金が取れるとは思わなかったのである。因みに、竹島問題における李承晩ラインはこの政権の時に引かれたものである。

1992年1月 中央大学教授の吉見義明氏が、防衛庁図書館から、「従軍慰安婦」の連行は民間業者がやったことではなく、日本軍による組織的強制連行であることを裏付ける資料を発見したと、朝日新聞が一面トップで報道。しかし、この資料にそんなことは全く記されておらず、日本国内で慰安婦を斡旋する業者がひとさらい紛いのことをやって募集しているようだが、それは軍の威信に関わるから厳しくせよというものだった。どう読めば吉見氏のような解釈になるのであろう。どうも情報事実を歪曲するのは日常茶飯事のようである。

ところが、加藤官房長官が謝罪し、宮澤総理が訪韓し謝罪してしまったのだ。俄然盛り上がり勢いづいたのは韓国である。対日要求項目が一つ増えたのだ。ところが、いくら探しても、強制連行を裏付ける資料が見つからない。事実としてなかったわけだから見つかるはずも無い。韓国側とすれば国内がこれだけ盛り上がってしまったのだから引っ込みが付かない。だから必死に探した。でも、見つからない。

そして、かの有名な河野談話に繋がるのである。

そして、河野談話の背景には恐るべき事実があった。彼等には国を守るという意識が完全に欠如している。揉め事は手段を選ばず静まれば良く、あとは野となれ山となれ、、。

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石原前副長官「謝罪」の経緯語る

元慰安婦への謝罪談話を発表した宮沢内閣の加藤紘一、河
野洋平の両官房長官を 官房副長官として補佐した石原信雄
氏(70)は8日、川崎市麻生区の自宅で産経新 聞のインタビ
ューに応じ、「いくら探しても、日本側には強制連行の事
実を示す資 料も証言者もなく、韓国側にも通達、文書など
物的なものはなかったが、総合的に 判断して強制性を認め
た」などと語った。

石原氏との一問一答は次の通り。

(産経新聞)河野氏は調査の結果、強制連行の事実があっ
たと述べているが
(石原)随分探したが、日本側のデータには強制連行を裏
付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言に
も、強制にあたるものはなかった

(中略)

(産経新聞)ではなぜ強制性を認めたのか
(石原)日本側としては、できれば文書とか日本側の証言
者が欲しかったが、見つから ない。加藤官房長官の談話に
は強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納
得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請
していた。そして、 その証拠として元慰安婦の証言を聞く
ように求めてきたので、韓国で十六人に聞き 取り調査をし
たところ、『明らかに本人の意思に反して連れていかれた
例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。
十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの
下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野
官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議
官(いずれも当時)らと相談して決めた

(産経新聞)聞き取り調査の内容は公表されていないが、
証言の信ぴょう性は
(石原)当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や
支援者らが押しかけ、泣き叫ぶようなありさまだった。冷
静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と
韓国側が話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つとい
うので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当
事者の供述には強制性にあたるものがあると認識してい
る。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングを行っ
ており公表はできない

(産経新聞)韓国側の要請は強かったのか
(石原)元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが
外務省や在韓大使館を通じて 分かっていた。ただ、彼女た
ちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確
認したということ。元慰安婦へのヒアリングを行うかどう
か、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国
へ行かせると決断した。行くと決めた時点で 、(強制性を
認めるという)結論は、ある程度想定されていた

(産経新聞)それが河野談話の裏付けとなったのか
(石原)日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると
証言する。河野談話に『(慰安婦の募集、移送、管理など
が)総じて本人たちの意思に反して行われた』とあるの
は 、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状
況から判断して、強制にあたるものはあると謝罪した。強
制性を認めれば、問題は収まるという判断があった 。これ
は在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得
てのことだ

(中略)

(産経新聞)元慰安婦の証言だけでは不十分なのでは
(石原)証言だけで(強制性を認めるという)結論にもって
いったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟
している。決断したのだから、弁解はしない」
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要は、認めれば問題が収まるという「浅はか外交の典型」である。そこに責任感の欠片も無い。これも、従軍慰安婦問題の重要なところである。

証言を聞いて疑問を問いただしたのか。前出の外政審議官は証言の裏づけ調査を行うとかというレベルではなく、一人一人の話の中身に矛盾点があっても、それを問いただすことはしなかったというのである。金学順さんのように、一人が違うことを言っているのであるから、問いただすべきところ、これを何もしていない。

※参考・・「従軍慰安婦論」は破綻した(西岡力)
※参考・・産経新聞
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