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どうですかね
(
ぴーちく
)
2006-07-25 16:45:09
長尾さん、こんにちは。
なかなか勇気のある方ですね。ただ、徳川侍従長説はかなり信憑性が低くなっているみたいです。
富田メモとされるのは日記と手帳ですが、日記は次長時代も含む七五―八六年まで各一冊、手帳は八六―九七年の二十数冊ということです。もちろんそこに記録されている全てが「昭和天皇の言葉ではない」とは言えません。直接言葉を交わされてそれを記録したものは数多くあります。合祀に関する記録はその一部で、これがセンセーショナルな内容なので真贋が盛んに議論されているわけですね。
当該メモ以外に富田氏が昭和天皇と直接言葉を交わす機会は多く、かなり信頼の篤い方であったことが日記などの記述からうかがわれます。ですから、合祀に関する内容について直接聞く立場に富田氏もいたと考えることは何ら不自然ではありません。そしてまた、徳川侍従長も同様に陛下から直接思いを聞くことができましたから、合祀に関する陛下の真意を証言できた。つまりメモの話し手が昭和天皇であっても不自然ではないし、両者ともに同じ話を陛下から聞いていたなら、当然その内容が似通っていても全く不思議ではありません。
筑波宮司の頃、靖国崇敬者総代会でA級戦犯合資が決定されましたが、筑波宮司はそれに反して合祀を止めていました。合祀の件は陛下に上奏されていたことから、陛下も当然知ってらしたはずです。ここで「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」の文言が鍵になります。
上奏はあくまでも戦前からの慣例ですので、直接天皇に報告するということではなく、侍従長を通じて報告されるのが通常です。ですから、話し手が陛下ご自身である場合、それは侍従長から聞くことになります。もし話し手が侍従長であったとすれば、直接対応するわけですから、「聞いた」とせず「筑波は慎重に対処してくれた」となるのが自然です。
したがって、「私」=徳川侍従長ではありえず、やはり昭和天皇その人だと考えます。ちなみに、徳川侍従長はこのメモが書かれた2月28日以前、4月13日に退官されています。
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TBありがとうございます。
(
安原美吾
)
2006-07-25 16:47:51
冷静な分析及び報告ありがとうございます。
大きな問題なだけに、ロクに検証もせずに突っ走るメディアに危惧しています。
民主党内に冷静に調査されている方がいてほっとしております。
誤った情報で国政が流されるということはあってはなりません。取り返しのつかないことにもなりかねます。(現に幾つもそういうのがある)
国会議員というお立場であるからこそ、我々一般人には出来ない調査も出来ると思います。
今後もこの問題に慎重に取り組んで頂ければ幸甚です。
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Unknown
(
Unknown
)
2006-07-25 21:55:42
貴重な意見ありがとうございます。
ただ自分の憶測を話すことは誰でもできます。貴殿には行動を期待しております。
選挙区で元気のいい発言をして、東京に帰るとお利口さんに変質してしまう自民党代議士を散々見てきました。
支持者向けのリップサービスなら結構です。見せてほしいのは行動なんです。
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TBありがとうございます
(
トンデモ社説
)
2006-07-26 00:30:17
ブログの記事内容、至極同意です。
富田メモについてはかなりの疑問が呈されております。
が、マスコミは「事実」と勝手に認定していつのまにかにフェードアウトしてしまいました。
捏造にしてもこれは度がひどいので、ぜひとも国会で取り上げて欲しいと思います。
新聞社の恣意により事実が作られていくのは許されないと思います。
一度、『事実』、となってしまったら覆すのは大変です。
また、「新聞社の事実」により国政が左右されるのは大きな問題だと思います。
偽メール事件で煮え湯を飲まされた民主党だからこそ、取り組んで欲しいと思います。
期待しています。
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Unknown
(
レフチェンコ
)
2006-07-26 03:13:18
おやおや数年前、副島先生の文章をパクリまくってた長尾君ではないか
あいもかわらずネット情報に踊らされてますね
その程度の情報解析力では次回も落選でしょう
松岡、松平と呼び捨てにできる人
「易々と」という普通では使われない言葉
高貴なお方しかいまい
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もう一点
(
ぴーちく
)
2006-07-27 07:20:10
「私」が徳川侍従長のことだとすると、矛盾する部分があるんですよね。
戦争の感想を問われ
嫌な気持を表現したが
それは後で云いたい
そして戦後国民が努力して
平和の確立につとめてくれた
ことを云いたかった
4.28のメモは、4.28に記者会見したときの発言ではなくて、記者会見自体は4月25日に行われている。報道されたのが29日。そのとき昭和天皇が述べた言葉の中に、「何と言っても、大戦のことが、一番いやな思い出であります。戦後、国民が相協力して平和のために努めてくれたことをうれしく思っています。どうか今後とも、そのことを国民が忘れずに、平和を守ってくれることを期待しています」という回答があったことから、4.28のメモの話し手は昭和天皇と考えるのが最も可能性が高いでしょう。
徳川侍従長説がどうして出てきたかというと、結局のところ昭和天皇ではないと思い込むか仮定するかした場合、消去法的にそれらしいのが徳川侍従長だということでしかありません。いろいろと詳しい背景報道なども出ているのに、論証に都合の悪いところは飛ばして捏造説をひねりだしているのが気になりますね。
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Unknown
(
一国民
)
2006-07-27 15:50:02
1、今回のメモと徳川侍従長の発言が酷似しているとのことですが
徳川侍従長の考えが昭和天皇のご意向を受けて、あるいは影響を強く受けて形成されたものである可能性に関してはどのように思われますか?
2、宮司が陛下のご意向を無視して勝手に合祀することは、手続き上考えられないとのことですが
「(筑波氏から)僕らが生きているうちは無理だ。宮内庁の関係もある、と言われました」「(A級戦犯を含む合祀者名簿を)宮内庁に奏上した時『こういう方をお祭りするとお上(天皇)のお参りはないですよ』と言われたそうです」(東京新聞核心20060721)
と当時の靖国関係者が宮司が合祀を強行した旨の証言している点についてはどのようにお考えでしょうか?
3、政治の世界は恐ろしい。「陛下のお言葉らしきもの」まで利用して世論を作るとのことですが
現代史の専門家からすると今回のメモの内容は「やっぱりそうか」と言う内容のものであったそうです。と、いうのも複数の側近から昭和天皇はA級戦犯の合祀に対して反対だったという発言がこれまでにもあったと言うことだからだそうです。こういったこの時期に記事になった政治的意図はともかく、現代史の専門家が学術的判断を誤った理由は何であるお考えしょうか?
4、都合の良い印象をつける為に、都合の良いところだけ切り取る手法は実に許せないとのことですが
昭和天皇がA級戦犯について語った部分は報道された箇所であると判断したためであるようです。実際藤尾さんの発言ではないとこのブログでも仰っておられ、貴殿もこの部分がA級戦犯とは関係のない箇所であると認識されているようです。
そこで逆にお聞きしますが、A級戦犯と関係ない場所を、天皇がA級戦犯を語った場所と混合して報道することに対してはどのように思われますか?
5、情報が日経の独占状態(を装っていた?)だったので、メモに関する画像がなかなか手に入らなかった
とのことですがこれはいつのことを仰っているのでしょうか?日経は20日にスクープ記事にした直後に報道関係各社にたいして「写真の撮影を許可しますので御自由にどうぞ」と連絡を送っているとあるテレビ局が報道しておりました。それを裏付けるようにメモの写真は早い時期から色んな報道機関で色んな写真が出回っていたと思うのですが。
返信する
Unknown
(
一国民
)
2006-07-27 16:47:42
民主党大阪府第14区総支部長という責任のあるお立場にあるようですね。そういう責任あるお立場の方のなかで、真っ向から真贋に疑問をもたれ、ましてや徳川侍従長のものではないかと仰られた方は私は長尾さんしか知りません。
さて、私は今年3月頃、メール問題で大変な目にあったとありますが
やはり民主党にとって永田メールのショックは大きかったようですね。私は永田メールのことを思い返すときに長島昭久さんのことを合わせて思い出します。彼がブログで「あのメールは本物だ」と言った時に「その根拠はなんだ」と言う閲覧者の質問で彼のブログは「炎上」しました。その際、長島さんのブログには非難の声が集まったのですが彼は逃げずに(逃げようもなかったですが)閲覧者からの質問に答え、自分が間違っていたと謝るべきところは謝りました。それでも赦さなかった閲覧者もいたようですが私を含めいくらかの人間はきちんと閲覧者と対話する長島さんの姿勢には共感を得たものです。ぜひとも長尾さんにも閲覧者からの質問に答えていただきたいです。
今までは一応真面目に書かせていただいたつもりですが、最後に少し意地悪なことを書きます。これには応えてくださらなくて結構です。
匿名掲示板である2ちゃんねるで、誰もその責任を取る意志のない書きこみに、しかも既に大半の人が捨て去った意見にすり寄らせて記事を書くことがどれほどの集票効果になるとお考えですか?その説が間違っていた時に負わなければならないリスクに関してはどのように認識されていますか?
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Unknown
(
コーちゃん
)
2006-07-28 10:05:39
いちいち理屈っぽいオタッキーな質問に答える必要はないと思いますよ。エネルギーいりますもんね。
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Unknown
(
774
)
2006-07-28 20:08:27
松平宮司が陛下のご意向を無視して勝手に合祀することは、手続き上考えられない
と言うのはどういうことですか?確かに戦前の靖国の合祀手続きは陸海軍大臣から天皇に上奏され、「裁可」を経るというものでした。問題は戦後、A級戦犯が合祀されるときにどうであったかということだろうと思うのですが、合祀を決断した松平宮司は平成4年12月号の『諸君』で合祀について
合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく
と書いています。この文脈で読み取れるのは、A級戦犯が合祀された時は戦前とは違うのではないかということです。戦後、靖国側は戦前の合祀プロセスを踏襲するものの、一宗教法人に過ぎない靖国神社に対し、宮内庁が公式にそのような手続きに関与できないはずだと言うことを考えれば名簿は上奏しても裁可は経ていないのではないか、あるいは裁可を経るにしてもごくごく形式的なものに過ぎなかったのでないかと思われます。
このように私はA級戦犯の合祀は天皇の意向に必ずしも関係があるとは言えないと思うのですが、A級戦犯の合祀について天皇の意向が反映されているとするのはどういった理由からでしょうか?
ちなみに政府は、平成14年7月の参院内閣委員会の国会答弁で
国としては、靖国神社の行う合祀にはかかわりを持っておりません。合祀はあくまでも靖国神社の判断でなされておるものでございますので、合祀という靖国神社の宗教上の事項について政府としてお答えする立場にはございません。
と国として靖国の合祀については関わりを持っていないことが確認されています。
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Unknown
(
ギミーギミー
)
2006-07-28 20:19:27
「タラレバ」を言い出したらキリがないよね。可能性はどう思うかとか、そんなことわからないでしょ。
長尾さん、コーちゃんがいうとおり、相手にしちゃダメ。
地元を駆け回って、長尾さん本来の活動に時間を使って欲しいと、私は思うの。
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Unknown
(
774
)
2006-07-28 20:26:23
陛下の公式発言に矛盾すると言うことですが
「公式」発言としたというので多分長尾さんもわかって書いていらっしゃると思うのですが「昭和天皇独白録」を読むと、天皇陛下は東條などを擁護する一方、「ヒトラーに買収されたのではないか」などと、厳しい批判もされていることをまず確認したいと思います。
このように皇室には表と奥があって、今回奥の部分が出てきたと言うこと、また今回のメモの意味するところは「A級戦犯合祀」に対する不快感であって「A級戦犯」に対する不快感ではないと言うことも注意すべきではないですかね?
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Unknown
(
777
)
2006-07-29 07:20:16
もし昭和天皇がこのような感情をホンネで持っていたとするなら、
「そんなものが、メモに残って存在すること」
自体が相当におかしいと思うのですが。
昭和天皇がオフレコでぶっちゃけトークしているなかで、
いくら宮内庁長官だからってメモが取れますか。
いくらホンネを話せる間柄だとはいえ、メモを取ってる相手を前に
こんなとんでもない爆弾発言をするほど、
昭和天皇は無配慮な人間だというのでしょうか。
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Unknown
(
ただのひと
)
2006-07-29 11:06:32
>オフレコでぶっちゃけトーク
でもこては、決して爆弾発言では有りませんよ。すでに徳川侍従長をつうじて昭和天皇のA級戦犯合祀に対する考えは、世間に伝わっていたのですから。
これを爆弾発言というひとは、よっぽど偏った天皇像を刷り込まれ、常識的な情報が遮断されてきたのでしょう。
わたしは、闘病中の昭和天皇が、国民よ後世見誤ることなかれという気持ちからでた、戦争についての最後の発言だと思います。
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富田氏の考え
(
ぴーちく
)
2006-07-29 19:17:19
もはや想像するしかないですが、富田氏にしても、これほど詳細に天皇との会話記録を残しているわけですから、いずれその真意を明らかにしなければという使命感もあったかもしれませんね。もっとも、最後までメモの扱いについて迷っていたかもしれません。焼くべきか残すべきかを。
世間では天皇の気持ちもわからず好き勝手に発言していた。奥野発言や藤尾発言のようにです。それに心を痛めていた陛下を富田氏も身近で見ていたでしょう。
一九七八年九月十六日の日記には次のような記述があります。「長官になって三ヵ月半。俺一人少なくとも毅然として在りたいとひそかに思い、この夏を過ごした。数えて見れば那須往復は七度。だいぶ那須になじんだ。両陛下にも近く又親しくお話できた。あのお人柄。戦いの日々―細川日記でも間接ながら知りうる―終戦から三十年。一人で胸にしまわれて行動されてきたのである」
公式行事に見る昭和天皇の姿、発言とその胸の奥にしまいこまれた多くの思い。富田長官のメモは「人間・昭和天皇」のありのままを率直に伝える意義深い記録だと思います。
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なぜ学術機関に公開しないのか
(
七資産
)
2006-07-29 21:45:12
長尾先生へ
日経が資料を公開していない以上、現在公開されている資料だけでの解釈は危険ですよ。
日経のあとだしじゃんけんで、つぶされるおそれがあります。
非常に危険な話ですし、これから日経がこのメモを元に
「新たな発見」を定期的にぶちあげ特定の政治家への援護射撃をする可能性もあります。
先生には資料を私物化している日経への批判をぜひ行っていただきたいです。
返信する
想像?
(
ジン
)
2006-07-31 11:02:00
想像するしかないとは、ぴーちくさん。
想像ならば、想像ということで、想像を元に現実的議論を挑むのはヤメタほうが良いのではないでしょうか。
想像なら誰でも想像で話が出来るでしょうね。
返信する
Unknown
(
Unknown
)
2006-08-03 07:50:19
>政治の世界は恐ろしい。
>「陛下のお言葉らしきもの」まで利用して世論を作る。
>非公式のメモを政治的に利用するとはまったく以って許せない。
かようなことを書いた以上、責任取れよ。
永田も責任をったんだから。
返信する
戦後第1級の誤報かも
(
国民
)
2006-08-04 10:03:03
昨日新潮の記事で あの、
あそこだけ挟み込んである富田メモ
(他はちゃんと手帳に記されているのに)
徳川義寛元侍従長の意見だと長男が話していると
書いてあったのを読みながら あの表現「松平の子」
「親(松平慶民)の心子(永芳)知らず」が
昭和帝の言葉でなく
徳川さんの言葉だとしたら それもなるほどなと思った
その上 陛下が「参拝する」なんてご自分の行動を「参拝」なんていうのだろうか?
参拝はわれわれの行為でしょう
返信する
2006-08-03 07:50:19さんへ
(
Unknown
)
2006-08-04 10:16:14
あなたみたいな人かいるから始末が悪い。
返信する
Unknown
(
Unknown
)
2006-08-06 15:26:14
今更こんなことで吠えられてもな・・・
で、お仲間の
「A級戦犯を神扱いしている場所に参拝する総理ってどうなの?」
民主党・衆議院議員 川内博史の日記
http://blog.goo.ne.jp/kawauchi-sori/
はどう思うわけ?
返信する
Unknown
(
どもです
)
2006-08-07 23:47:02
2chは基本的に100%「ネタ」として利用した方が良いですよw
永田さんの二の舞になる所でしたねww
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なかなか勇気のある方ですね。ただ、徳川侍従長説はかなり信憑性が低くなっているみたいです。
富田メモとされるのは日記と手帳ですが、日記は次長時代も含む七五―八六年まで各一冊、手帳は八六―九七年の二十数冊ということです。もちろんそこに記録されている全てが「昭和天皇の言葉ではない」とは言えません。直接言葉を交わされてそれを記録したものは数多くあります。合祀に関する記録はその一部で、これがセンセーショナルな内容なので真贋が盛んに議論されているわけですね。
当該メモ以外に富田氏が昭和天皇と直接言葉を交わす機会は多く、かなり信頼の篤い方であったことが日記などの記述からうかがわれます。ですから、合祀に関する内容について直接聞く立場に富田氏もいたと考えることは何ら不自然ではありません。そしてまた、徳川侍従長も同様に陛下から直接思いを聞くことができましたから、合祀に関する陛下の真意を証言できた。つまりメモの話し手が昭和天皇であっても不自然ではないし、両者ともに同じ話を陛下から聞いていたなら、当然その内容が似通っていても全く不思議ではありません。
筑波宮司の頃、靖国崇敬者総代会でA級戦犯合資が決定されましたが、筑波宮司はそれに反して合祀を止めていました。合祀の件は陛下に上奏されていたことから、陛下も当然知ってらしたはずです。ここで「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」の文言が鍵になります。
上奏はあくまでも戦前からの慣例ですので、直接天皇に報告するということではなく、侍従長を通じて報告されるのが通常です。ですから、話し手が陛下ご自身である場合、それは侍従長から聞くことになります。もし話し手が侍従長であったとすれば、直接対応するわけですから、「聞いた」とせず「筑波は慎重に対処してくれた」となるのが自然です。
したがって、「私」=徳川侍従長ではありえず、やはり昭和天皇その人だと考えます。ちなみに、徳川侍従長はこのメモが書かれた2月28日以前、4月13日に退官されています。
大きな問題なだけに、ロクに検証もせずに突っ走るメディアに危惧しています。
民主党内に冷静に調査されている方がいてほっとしております。
誤った情報で国政が流されるということはあってはなりません。取り返しのつかないことにもなりかねます。(現に幾つもそういうのがある)
国会議員というお立場であるからこそ、我々一般人には出来ない調査も出来ると思います。
今後もこの問題に慎重に取り組んで頂ければ幸甚です。
ただ自分の憶測を話すことは誰でもできます。貴殿には行動を期待しております。
選挙区で元気のいい発言をして、東京に帰るとお利口さんに変質してしまう自民党代議士を散々見てきました。
支持者向けのリップサービスなら結構です。見せてほしいのは行動なんです。
富田メモについてはかなりの疑問が呈されております。
が、マスコミは「事実」と勝手に認定していつのまにかにフェードアウトしてしまいました。
捏造にしてもこれは度がひどいので、ぜひとも国会で取り上げて欲しいと思います。
新聞社の恣意により事実が作られていくのは許されないと思います。
一度、『事実』、となってしまったら覆すのは大変です。
また、「新聞社の事実」により国政が左右されるのは大きな問題だと思います。
偽メール事件で煮え湯を飲まされた民主党だからこそ、取り組んで欲しいと思います。
期待しています。
あいもかわらずネット情報に踊らされてますね
その程度の情報解析力では次回も落選でしょう
松岡、松平と呼び捨てにできる人
「易々と」という普通では使われない言葉
高貴なお方しかいまい
戦争の感想を問われ
嫌な気持を表現したが
それは後で云いたい
そして戦後国民が努力して
平和の確立につとめてくれた
ことを云いたかった
4.28のメモは、4.28に記者会見したときの発言ではなくて、記者会見自体は4月25日に行われている。報道されたのが29日。そのとき昭和天皇が述べた言葉の中に、「何と言っても、大戦のことが、一番いやな思い出であります。戦後、国民が相協力して平和のために努めてくれたことをうれしく思っています。どうか今後とも、そのことを国民が忘れずに、平和を守ってくれることを期待しています」という回答があったことから、4.28のメモの話し手は昭和天皇と考えるのが最も可能性が高いでしょう。
徳川侍従長説がどうして出てきたかというと、結局のところ昭和天皇ではないと思い込むか仮定するかした場合、消去法的にそれらしいのが徳川侍従長だということでしかありません。いろいろと詳しい背景報道なども出ているのに、論証に都合の悪いところは飛ばして捏造説をひねりだしているのが気になりますね。
徳川侍従長の考えが昭和天皇のご意向を受けて、あるいは影響を強く受けて形成されたものである可能性に関してはどのように思われますか?
2、宮司が陛下のご意向を無視して勝手に合祀することは、手続き上考えられないとのことですが
「(筑波氏から)僕らが生きているうちは無理だ。宮内庁の関係もある、と言われました」「(A級戦犯を含む合祀者名簿を)宮内庁に奏上した時『こういう方をお祭りするとお上(天皇)のお参りはないですよ』と言われたそうです」(東京新聞核心20060721)
と当時の靖国関係者が宮司が合祀を強行した旨の証言している点についてはどのようにお考えでしょうか?
3、政治の世界は恐ろしい。「陛下のお言葉らしきもの」まで利用して世論を作るとのことですが
現代史の専門家からすると今回のメモの内容は「やっぱりそうか」と言う内容のものであったそうです。と、いうのも複数の側近から昭和天皇はA級戦犯の合祀に対して反対だったという発言がこれまでにもあったと言うことだからだそうです。こういったこの時期に記事になった政治的意図はともかく、現代史の専門家が学術的判断を誤った理由は何であるお考えしょうか?
4、都合の良い印象をつける為に、都合の良いところだけ切り取る手法は実に許せないとのことですが
昭和天皇がA級戦犯について語った部分は報道された箇所であると判断したためであるようです。実際藤尾さんの発言ではないとこのブログでも仰っておられ、貴殿もこの部分がA級戦犯とは関係のない箇所であると認識されているようです。
そこで逆にお聞きしますが、A級戦犯と関係ない場所を、天皇がA級戦犯を語った場所と混合して報道することに対してはどのように思われますか?
5、情報が日経の独占状態(を装っていた?)だったので、メモに関する画像がなかなか手に入らなかった
とのことですがこれはいつのことを仰っているのでしょうか?日経は20日にスクープ記事にした直後に報道関係各社にたいして「写真の撮影を許可しますので御自由にどうぞ」と連絡を送っているとあるテレビ局が報道しておりました。それを裏付けるようにメモの写真は早い時期から色んな報道機関で色んな写真が出回っていたと思うのですが。
さて、私は今年3月頃、メール問題で大変な目にあったとありますが
やはり民主党にとって永田メールのショックは大きかったようですね。私は永田メールのことを思い返すときに長島昭久さんのことを合わせて思い出します。彼がブログで「あのメールは本物だ」と言った時に「その根拠はなんだ」と言う閲覧者の質問で彼のブログは「炎上」しました。その際、長島さんのブログには非難の声が集まったのですが彼は逃げずに(逃げようもなかったですが)閲覧者からの質問に答え、自分が間違っていたと謝るべきところは謝りました。それでも赦さなかった閲覧者もいたようですが私を含めいくらかの人間はきちんと閲覧者と対話する長島さんの姿勢には共感を得たものです。ぜひとも長尾さんにも閲覧者からの質問に答えていただきたいです。
今までは一応真面目に書かせていただいたつもりですが、最後に少し意地悪なことを書きます。これには応えてくださらなくて結構です。
匿名掲示板である2ちゃんねるで、誰もその責任を取る意志のない書きこみに、しかも既に大半の人が捨て去った意見にすり寄らせて記事を書くことがどれほどの集票効果になるとお考えですか?その説が間違っていた時に負わなければならないリスクに関してはどのように認識されていますか?
と言うのはどういうことですか?確かに戦前の靖国の合祀手続きは陸海軍大臣から天皇に上奏され、「裁可」を経るというものでした。問題は戦後、A級戦犯が合祀されるときにどうであったかということだろうと思うのですが、合祀を決断した松平宮司は平成4年12月号の『諸君』で合祀について
合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく
と書いています。この文脈で読み取れるのは、A級戦犯が合祀された時は戦前とは違うのではないかということです。戦後、靖国側は戦前の合祀プロセスを踏襲するものの、一宗教法人に過ぎない靖国神社に対し、宮内庁が公式にそのような手続きに関与できないはずだと言うことを考えれば名簿は上奏しても裁可は経ていないのではないか、あるいは裁可を経るにしてもごくごく形式的なものに過ぎなかったのでないかと思われます。
このように私はA級戦犯の合祀は天皇の意向に必ずしも関係があるとは言えないと思うのですが、A級戦犯の合祀について天皇の意向が反映されているとするのはどういった理由からでしょうか?
ちなみに政府は、平成14年7月の参院内閣委員会の国会答弁で
国としては、靖国神社の行う合祀にはかかわりを持っておりません。合祀はあくまでも靖国神社の判断でなされておるものでございますので、合祀という靖国神社の宗教上の事項について政府としてお答えする立場にはございません。
と国として靖国の合祀については関わりを持っていないことが確認されています。