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「正月」迎える心構えとは 門松、しめ飾り、鏡餅などの意味

2012年12月29日 | 住民安全ネットワーク

「節目を大切に」「折り目正しく」などの言葉があるように、日本人は物事の「区切り」を大切にしてきた。正月は、一家の健康や安全を祈る大切な年中行事。一年の門出にふさわしく、すがすがしい気持ちで迎えたい。(村島有紀)

◆言霊信仰の国

「日本は『言霊信仰(ことだましんこう)』の国。ハレの日には、普段と異なるごちそうを食べ、晴れ着を着て、互いに『おめでとう』と言い合うことで、この一年を本当にめでたい、良い年にしていこうとした」と東洋大名誉教授で民俗学者の大島建彦さんは話す。

正月準備の多くは「年神(としがみ)(歳神)」を迎え入れるためとされる。しかし、盆に先祖の霊を迎えるような実態感はなく、姿が思い浮かばない。

「神はあちこちにいる。陰陽(おんみょう)道のように、もっともらしい理由を付けているものがあるが、それほどはっきりとしたイメージはない。正月を迎えるために考え出された存在ではないか」(大島さん)

現在の年中行事の原型は江戸時代にほぼ固まったとされる。門松は年神来臨のための目印となり、しめ飾りで神の領域を区切り、お供えした鏡餅にはその魂が宿ると伝えられる。江戸庶民の生活を再現した深川江戸資料館(東京都江東区)によると、庶民の家にも神棚は必ずあり、門松、しめ飾り、鏡餅で正月準備を整えた。

一方、「おせち」は節句に神に供えた「御節供(おせちく)」が語源。江戸の庶民は、雑煮をおせちとして食べ、正月休みは1日だけだったため、ごちそうをゆっくり食べることはなかったという。

◆だんらんの場

帰省の習慣も古くからあった。江戸時代、寺子屋を卒業すると、子供たちは10、11歳で住み込みで働いた。正月は、年長の兄弟が、実家に残る弟や妹たちに「凧(たこ)」を買って帰るのが恒例だったという。「凧揚げは子供の健康に良いと信じられた。娯楽も少なく、正月を迎える楽しさは、今とは比べものにならないほど大きかったでしょう」と、同資料館の渡辺政子さんは想像する。

現在は神棚のない家が増え、正月の形骸化が指摘される。大島さんは「お世話になった人に礼を言い、互いに新しい一年の福を祝う気持ちは何も変わらない。年の区切りに家族が集まり、祝うことが、そもそもの正月」と話している。

≪おせちの詰め方≫

重箱に詰めた縁起物の正月料理を「おせち」と全国的に呼ぶようになったのは戦後から。流通が発達し、全国各地の食材が入手できるようになったことからデパートなどの宣伝もあり、普及した。

一段目には、おとそや酒と一緒にいただく肴(さかな)、二段目には海の幸、三段目には山の幸、四段目には酢の物が基本。三段重の場合は酢の物を二段目に詰める。

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/education/snk20121228506.html