古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

「鞠智城」について ―「難波京」の「山城的性格」との関連において―(二)

2017年06月28日 | 古代史

 引き続き「鞠智城」と「難波京」を比較します。

 「都城」(京師)の特徴として「条坊制」が挙げられますが、「鞠智城」や「筑紫」(太宰府周辺)の「山城」では、その所在する場所を起点として「条坊制」が布かれてはいません。(「山城」という構造自体が、「条坊制」とは異質であり、相容れなかったものでしょう) それに対し「難波京」では「難波宮」を起点として「条坊制」が施行されていた痕跡が確認されつつあります。
 つまり、「難波京」は「鞠智城」の形態をより「進化」させ、「筑紫都城」のもつ「条坊制」とその周辺の防衛施設である「大野城」などの「山城」の防衛機能を「合体」させた形態を有するものとして造られたと推定されるわけです。その意味でこの「副都」「難波京」は「鞠智城」という「新型」山城の発展・拡大の延長線上にあったという点で「本邦初」であったと思われるわけです。
 「筑紫」においては「山城」そのものは首都の周辺施設として存在しているのであり、「条坊制」はあくまでも「宮殿」を中心としたものであったのに対して(註1)、「難波京」においては「周辺施設」であったはずの「山城」を中心とした形で「京」が形成されたこととなるわけです(ただし、広範囲ではなく、地形の制約から「朱雀大路」周辺に限定されるものと考えられています。またこの点は「大宰府」とも共通するものであり、「大宰府」においても「当初」から「条坊」が広範囲に整っていたわけではないことが判明しています)

 中国「北朝」に例を取ると「条坊制」(方格地割制)が成立するためにはある「条件」ないし「要素」というものが必要という研究もあります。(註2)それらは「人的移動」を伴うこと(それも「軍人」が主体であること)、「新しい街」であること、「平地」であること等が挙げられています。これらが揃っていて初めて「条坊制」が成立可能となると言うわけです。
 これらの条件と「難波京」を比べてみると、この場所が「新しい街」であり、外部から人的移動があったことも確実と思われますし、その「山城的」という軍事的性格の帰結として構成主体が「軍人」であったこともまた確かであると見られます。さらに三番目の「平地条件」についても、明らかに「平地」ではないこの場所を「谷」を埋めて「整地」して「条坊」が施行できる条件を形作る工夫が見えるものです。
 このように「難波京」は「百済」に淵源を持つ「山城」と「北朝」に淵源を持つ「条坊制」の双方を融合させた「発展型山城」とでも言うべき形態を有しており、「鞠智城」のもつ特徴(割と平坦な場所に「山城」を築き内部に政庁的建物を保有する)をより「進化」させ、「筑紫都城」の持つ「条坊制」と「大野城」などの「山城」としての防衛機能を「合体」させた形態を有するものとして造られたと推定されます。そのことは「鞠智城」の建物群の中に「サイズ」は異なるものの「難波宮」と同様「八角円堂」(楼)が存在していることでも推定出来ます。
 「難波宮」の「八角円堂」の方がかなり大型の建物であり、内部空間も確保されていますが、用途としては共に「鼓楼」(あるいは「鐘楼」)ではなかったかと推定されています。『書紀』には「難波京」の内部に「鐘楼」があったらしいことが書かれていますから、少なくとも「難波京」では「鼓楼」ではなく「鐘楼」ではなかったかと推定されます。いずれにしろその機能は「時刻」の報知という性格があったと思われ、それは「漏刻」やそれを使用した「天文観測」の有無に強く関連してきます。しかし、そのような行為は本来、その時点の「為政者」(王)の統治行為の一部を成すものであると考えられ、このようなことがここで行われていたとすると、この「鞠智城」が「地方」の「山城」に過ぎないという従来の推定そのものに強い「違和感」を感じさせるものです。この事は即座に「鞠智城」という存在がより「高度」の政治性を持った存在であった事を推定させるものであり、その点も「副都」であった「難波京」との関連を感じます。


1.
井上信正「大宰府条坊区画の成立」考古学ジャーナル二〇〇九年七月号ニュー・サイエンス社所収。それによれば「条坊」の基準尺と「政庁Ⅱ期」などの施設に使用された基準尺に違いがあることが示唆されています。つまり、本来の「宮域」は「通古賀地区」であったと推定されていますが、その後「京域」の北辺に移動したものであり、「条坊」とはその時点で基準尺の違いにより「整合」しなくなったとされます。
2.妹尾達彦「中国都城の方格状街割の沿革 都城制研究(三)」奈良女子大学二十一世紀COEプログラム報告集Vol.二十七)二〇〇九年三月

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