
昔、おつきあいをしていた女性に無類のお洒落好きがいた。
お洒落といってもブランドガッチガチ系ではなく、ましてや吉祥寺系なんですか的ファッションでもなく、ただただシンプルなものをシンプルに着こなす女性だった。
但し、一見地味にも見えるそのブランドが当時は聞いた事も無いものばかりだったが、決して安い物ではなかった。
秋から春にかけては、随分と地味な薄手のセーターを着ていたが、これは「JOHN SMEDLEY」といブランドであり、これも安くはなく、しかも、なんともいえない風合いがあった。
デザインはまったくシンプルこの上ない。
興味をソソラレタので、ひとつ購入してみたが、その着心地の良さにすっかりハマッてしまった。
私が今も愛用しているTOD'Sもこの女性から教わった。
当時の私は洋服などという物にとんと興味がなく、いつもアメカジで過ごしていた。
しかし、その女性と並んで歩くと、自分との釣り合いがまったく取れていないことに気付き、自分の気持ちのどこかで微妙な恥ずかしさが生まれた。
そこで、珍しくポジティヴ・シンキングを発揮し、脱アメカジ計画を練った。
お洒落は靴から。
古来からの、お洒落人の言い習わしである。
早速、件の女性の靴を研究した。
そして、その数多くの靴の中に、ひときわ光る靴たちを見つけた。
それが「TANINO CRISCI」であった。
このブランドの靴は、単体で美しい。
それまで、私は靴という物は、魅力的な人が履いて初めて完成されるものだと考えていたが、このブランドの靴は、靴だけがすでに完成された美しさを持っている事に気付いた。
そのデザインの完璧さは、手に取ってじっくり眺めると、じわじわと伝わってくる。
デザインという曲線の世界が、ほんの数ミクロンの角度の違いですべてが大きく変わってしまうほどに厳格なものであることに気付いたのもこのブランドの靴だった。
件の女性は、休日の白昼に、玄関で自分の靴を舐めるように見つめている男(自分の交際相手)を見て、何を思っただろうか。
ひょっとして別離の引き金だったりして・・・・・。
とにかくw、そうして私はひとつの事実を発見したのである。
たしかに、このTANINO CRISCIは、他の靴とは違う、何かを持っていた。
気品。
高貴。
昇華。
絢爛。
熱情。
悲しみ。
喜び。
鼓舞。
愛。
人間性。
唯一無二の気高き志。
そういうものが混沌と、脈々と、デザインの中に隠されていた。
そして、ある日、意を決し、このブランドの店に足を運び、目ん玉が飛び出して転げるのを取り押さえたのち、購入した。
男性ものでもはっきりと息づいているデザインの妙があった。
このとき購入した靴は今は残念ながら酷使に堪えきれずリタイアしてしまったが、私のお洒落概念を根底から崩した記念として今も大切に保存されている。
それから、私は自分の稼ぎのすべてをこのブランドのいくつかの製品の購入にあてた。
今でも私のお洒落の原点は、このブランドの靴から始まっている。
お洒落において、靴とはまことに重要なポジションを占めているのである。
断っておくが、私のファッション・センスが優れているとは断じて言わない。
しかし、お洒落とはその人本人が楽しめばいいもの。
他人の目を気にしていては、楽しめないのである。
自説ではあるが、センス・アップの秘訣は、できるだけ良い物をたくさん見ることだと思う。
出来れば手に取って、出来れば着用して、そして、常に自分の理想より一歩高いものを、常にイメイジすることがセンス・アップにつながると思いたい。
困ったらプロに聞け、も大切なセオリーだ。
次回、まとまった金を手にしたら、私はお洒落につぎ込みたい。
これほど人生を楽しくする物も少ないのだから(男女の愛と違って限りなく普遍的だしね)。
諸君。
ゲンナマより,物、だぜ。











将来的にあんまりblogのネタにはなりにくい
だが、それがいい。
世間的に非難の的になりやすい
だが、そこがまたイイ