じょっぱり。

じょっぱりな日々の記録。

人を人たらしめるもの

2011年03月20日 | 思い・願い

東日本大震災から 一週間が過ぎた。

いまだに被害の全容が見えず、亡くなられた方の数も増え続けている。

多くの方が肉親の安否を確認できず、生活再建の目途もたっていない。

震災は、現在も進行中なのだと思う。

 

私は岩手に住んでいる。

津波で甚大な被害を受けた沿岸部ではなく、内陸部に家がある。

かなりの揺れは感じたし食器などが割れたりもしたが、家は無事だった。

地震直後から3日間停電が続いたり、固定電話・携帯電話が繋がらなかったりもしたが、じきに復旧した。

だから、被災したと言ってもせいぜい「かすった」程度だ。

ガソリンや灯油等の燃料不足、食料品の不足といった不便は現在も続いているが、それは他の地域の方々とて同じこと。

肉親を亡くしたり家が流されたりといった、決定的な不幸には見舞われなかった。

 

その程度の罹災でも、不安で怖かった。 恥ずかしながら。

でも、失意落胆することはなかった。

それは、多くの方に支えられ励ましてもらえたから。

 

地震直後に、遠く大阪から、

何度も何度も粘り強く、繋がるまで粘り強く電話をかけてきてくれた人がいた。

通信規制がかけられている状況を伝えると、「どこか電話したい所があるなら、こちらからかけてみようか」と言ってくれた。

切羽詰った状況で、これほどまでに頼もしく、機転の利いた厚意を私はかつて受けたことがない。

 

都内で帰宅困難者となり、6時間近く歩いて家に辿り着いた女性が、

私の安否を心配してメールをくれた。 嬉しかった。有難かった。

疲れていただろうに。 自分も不安だっただろうに。

 

ブログやヤフオクを通じて知り合ったハンドメイド作家さんが、

過去に使った「ヤフオク取引ナビ」を通じてメッセージを送ってくださった。

細やかな気配りをなさる作家さんならではのとても温かいメッセージで、心に沁みいるようだった。

 

そして、携帯のバッテリーが切れるまでの間、わずか一晩ではあったが、

twitterのTLを見ることができた。

ニュースサイトに次々更新される、世界各地からの応援メッセージも見ることができた。

どのメッセージも慈愛に満ちていた。

私たちに、今日を生きるための力を与え、鼓舞してくれた。

 

激甚災害のなかにあって、人を人たらしめるもの。

それは、人と人とのつながり以外には あり得ない。

当たり前のことなのかもしれない。だが、身をもって知ったように思う。

 

願わくば、

未だ肉親の安否がわからずにいる方々が、一日も早く家族で暮らせる日がきますように。

被災した方々を物心両面から支援するために、融通のきかない枠組みや障壁が取り払われますように。

岩手県では、2011年度の教職員の人事異動が縮小されることになった。(沿岸の教諭移動を凍結〜岩手日報記事より)

被害が大きい沿岸の教諭の異動は原則行わない方向で、児童生徒の心のケアに配慮した配置を再検討するとのことだ。

こういう思い切った決断が、人を救うのだと思う。

一人でも多くの人を救うために、精神面・生活面をサポートするために、

大鉈(おおなた)を振るって、あらゆるつまらない障壁を取り除いて欲しいと切に祈る。

 

 

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色の名前

2010年05月25日 | 取るに足らない日記
FELISSIMO(フェリシモ)から、 500色の色えんぴつ が発売されるそうです。





毎月1セット(25色)ずつ、20か月で500色が届く頒布会なのだそう。(1セット\1,800)

私、文房具フェチなのでございます。
東急ハンズやLOFTの文房具コーナーで、らくらく半日は楽しく過ごせる自信があります。
というか、過ごしてました。
文房具の地味な進化を見てテンションが上がるタイプの人間です。


この500色の色えんぴつの いったい何がそんなに魅力的なのかといえば、

それは それぞれの色の名前の美しさ のひと言に尽きます。


一例を挙げると、

「雨を喜ぶあまがえる」
「硝子窓をうつ北風」
「朝食のスクランブルエッグ」
「夕日に染まる白壁」
「雪降る夜のペチカ」
「インカの太陽」
「お姫様と毒リンゴ」
「勝利に酔う土佐犬」
「落ち葉焚き」
「湯上りの梅酒」
「暗闇のキャッツアイ」
「南極のオーロラ」
「鯉のぼりの泳ぐ空」
「ピエロの涙」
「初めての口紅」
「鹿鳴館の舞踏会」

・・・などなど。
どれも気が利いていて、そして可愛らしい名前ばかり。
これまでの色の名前の呼びかたが、なんて単純だったのだろうと思えるような、
とても奥ゆかしくて含みのある名前がついています。
名前のイメージから、どんな色なのか想像してみるのも楽しいです。

( 500色図鑑 で詳しく見ることができます。)


もともと私たちの遠い先祖は、
さまざまな色に、それぞれ美しい名前をつけて呼んでいました。
例えば、

「瓶覗き(かめのぞき)の色」(ほんの少し瓶を覗いただけのような、ごく薄い藍色)
「鈍色(にびいろ)」(青みがかった灰色)
「時雨色(しぐれいろ)」(通り雨に打たれて色づいた草木の葉の色)
「東雲色(しののめいろ)」(明け方の東の空の色)
「濡烏色(ぬれからすいろ)」(濡れたカラスの羽根のような艶めいた黒)

など。
いにしえの人々の雅やかさを感じます。


500色の色えんぴつに付けられた名前は、
これらのような日本古来の色の名前とはまた趣が異なり、
どこか愉快でユーモラス。
色えんぴつを手にした人たちを、和ませてくれそうな気がします。


「微細な色の違いを体感できるだけでなく、それぞれの色が特徴的でユーモラスなネーミングによって表現されている」
という評価により、
2009年のグッドデザイン賞を受賞したというのも至極納得です。



こ・・・




これはヤバい。欲しい。(´Д`;)ハァハァ


500色の色えんぴつがあったら楽しいだろうな。
お絵かきしたり、飾ったり、
ただ眺めているだけでも うっとりしちゃいそうです、きっと。
でも、色えんぴつに 総額\36,000 て。
そもそも、うちにはもう36色の色えんぴつがあるじゃないか。
いや、でも「500色」を目の前にすると「36色」って霞んじゃうような。
ここは清水の舞台から飛び降りる気持ちで、ポチっと。
いや、でも。
いやいや、でもでも。


このような次第で、
私のなかの天使と悪魔が睨み合ったまま膠着状態です。
私のなかの大人と子供が がっぷり四つです。
買うか諦めるか、もうしばらく悩みたいと思います。
 

だけど、
なんとなくポチっとしてしまいそうな予感・・・(´Д`;)ハァハァ




この「500色の色えんぴつ」を元にしたブログパーツも公開されています。
ブロガーの方、ぜひ。


「500色の空」ブログパーツ




【ブログパーツ コンセプトより】
世界中の人が見上げる空を500色で表現したブログパーツです。
空の色が刻々と500色に移り変わり、それに合わせて景色も変化します。
500色とそのなまえからイマジネーションが膨らみ、
訪れたことのない国に思いを馳せたり、
むかし見た景色を思い出したりするかもしれません。
「500色の空」のなかに、あなたの空を見つけてください。


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はらぺこあおむし

2010年03月10日 | 『御馳走さまでした!』
『はらぺこあおむし絵本パン』 というのを見つけました。







コンビニ(サークルKサンクス)で目にし、
「かーわーいーいー」と女子高生(JKっていうのかえ?今どきのナウなヤングは)
のような雄叫びをあげて、衝動買いしてしまいました。



いわずとしれた、エリック・カール作のこの絵本。
世界中で愛されている大ベストセラーにしてロングセラー。
我が家にも、もちろんあります。



  



上の子が2歳くらいの頃に買い与えたと記憶しております。
今は、下の子が喜んで読んでくれています。
小さな絵本なので、出かける時はバッグの中に必ず入れて、
退屈しのぎによく読んであげたものです。


絵の素朴な可愛らしさはもちろんのこと、
美味しそうな食べ物が次々に登場するワクワク感。
たくさん食べても「それでもまだまだ おなかはぺっこぺこ」と続く楽しさ。
それらが、この作品が発表されて以来、
ずっと支持され続けている理由でしょう。








絵本とパンとを並べてみました。
「はらぺこあおむし」の世界観が、そのままパッケージに映し出されています。








開けてみました。









・・・微妙。 ( ̄〓 ̄)


りんご・なし・すもも・いちご・オレンジ のジャムパンでした。
絵本に登場する果物の順番どおりなところだけは 素晴らしい。
だけは、って何ですか。失礼な。いったい私、何様?
もー、生意気なこと言ってホントすみません。
そもそも私、ジャムパン苦手だったんです。
全て台無しにするようなこと言って、本当にごめんなさい。

えっと、まあ、
ジャムパンがお好きな方は、ぜひどうぞ!(とってつけたような推薦文ですが)


キャンペーン企画で、抽選でこんなグッズが当たるそうですよ。




はらぺこあおむし絵本パン キャンペーンサイト




ジャムパンいらないから、このグッズだけ欲しいなあ。(失礼千万)




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残念な旅行

2010年03月05日 | 取るに足らない日記
ホテルモントレのペア宿泊招待券が当たってしまいましたよ。




昔、二十代の調子こいてた頃、
札幌のホテルモントレに泊まったことがあるのです。
そんなご縁で、ホテルモントレグループが定期発行しているメールマガジンを読んでいるのですが、
読者向けの宿泊券やディナー券のプレゼント企画があるので、
暇な時に何度か応募していたのです。
まさか本当に当選するとは思いませんでした。


ここから、「残念」の始まりですよ。


私は「正負の法則」や「人の幸・不幸の量は皆同じ」という考え方を、
こわごわ信じております。
何かひとつ良いことがあると、帳尻を合わせるようにイヤなことも起こるに違いない。
ホテル宿泊招待券なんぞ当たった日には、
将来当選するはずだった高額ジャンボ宝くじの運が逃げていったに違いない。
そんなふうに悔しがる貧乏性な人間でございます。
さようなら、私のグリーンジャンボ。
サマージャンボの頃には運気が戻っていますように。

話が逸れました。
本題に戻ります。

せっかく当選した宿泊券、有効利用しなくてはもったいない。
そこで、家族で一泊旅行することにしました。
ホテルモントレグループは、全国各地にチェーン展開しています。
札幌、仙台、銀座、赤坂、横浜、京都、大阪、神戸、福岡、長崎など。
いずれも落ち着いた瀟洒な雰囲気。
ヨーロッパ調のたたずまい。
アクセスの良い都市中心部にありながら、静かな隠れ家のよう。

Q: さあ、どこのホテルを選ぶ?
A: 子連れの一泊ですもの、最も近い仙台に決まってます。

はい、ココ残念。
日帰りできるくらい近い、ってんですよ。
しかも、仙台に住んでたことがある、ってんですよ。
っていうか、旦那さまの実家が今もある、ってんですよ。
思いっきり生活圏だ、ってんですよ。


溜め息をつきながら、観光気分ゼロのままホテル到着。





お部屋はさすがにキレイ。
花の都・パリのホテルのよう。行ったことないけど。




古びた錆のあるアンティークの壁掛け時計。
だがしかし、子供たちには「ガラクタ?(`∇´ )」呼ばわりされていました。
残念。
負けるな、壁掛け時計。





見知らぬお部屋で必ずすること・その1。
残念な娘。





見知らぬお部屋で必ずすること・その2。
残念な息子。





ホテル備え付けの便箋を遠慮なく使う娘。
「おかあさん おげんきですか。」
母はここに居ますが。残念。


旅の思い出に、ショッピングに出かけました。
なにしろ、東北地方随一の都市です。
ここで買えないものなんて無いはず。たぶん。
私たちが買ったものとは・・・






息子の買ったもの。
お寿司のシール。
こんなもん、地元の文房具屋さんにも置いてあります。
残念。





娘の買ったもの。
ガチャガチャ(ガシャポン)のマニキュア。
旅先でガチャガチャ。残念。
しかも、塗りかた ガタガタ。残念。





私の買ったもの。
知らんダウニー。
(メキシコダウニー、エレガンス(黒)とタンゴ(赤))
激安、1本 263円。
旅先で日用品て。残念。


ちなみに、旦那さまは何にも買ってません。
それはそれで残念。


旅行のお土産も買ってません。
せめて「萩の月」くらい買えばよかった。残念。



はい、ここまで「残念」って何回言ったでしょーうか?


本気で数えたアナタも残念。

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「負けました」と言える人

2010年03月04日 | 思い・願い
我が家では、
地元の新聞社が発行している地方紙「岩手日報」という新聞を購読しています。
3月2日(火曜日)付けの夕刊に、
短いですがとてもいいコラムが掲載されました。
地方紙の、しかも夕刊のコラムなど、
ほかの地域にお住まいの方が目にする機会はほとんどないと思いますので、
勝手ながらご紹介させていただきたいと思います。



「負けました」


 熱戦が繰り広げられていたバンクーバー冬季オリンピックが幕を閉じた。
 応援していたフィギュアスケートの浅田真央選手は銀メダルを獲得した。
 当初目標にしていた金メダルではなかったが、状態を立て直し本番に臨み、
 表彰台に上がることができたのは喜ばしかった。
 フリー滑走直後のインタビューでは2度のミスを悔やみ、
 トリプルアクセルを決めたことは良かったが、
 それ以外の自分の滑りにはまったく納得していない、
 と涙をぬぐいながら答えていた。
 プロセスを評価するような弁は一切取らないところに、
 この人の芯の強さをあらためて感じた。
 負けたと認めたのである。
 誰にか。何にか。
 得点の上では、金妍兒選手に、
 完璧に滑ることができなかったことでは自分のプログラムに、
 スケートに負けた、と悔しかったのだろう。
 ひところオリンピックやワールドカップに出場が決まった選手たちが
 試合を楽しみたい、自分らしさを出せればよい、などと語ったものだ。
 そして、敗戦の弁にそれらの言葉を用いて、早々と自身を甘く許すのだった。
 将棋では、負けた、あるいは確実にこのあと何手か先で負ける、
 と判断したならば、
 「負けました」と自ら頭を下げて投了する。
 負けを認めることはつらいことだが、負けを認めることは自分をみつめること。
 そこから自分に足りなかったところに気づき、次の課題とする。
 選手たちはもう次を目指し始めた。

  (2010年3月2日 火曜日発行 岩手日報夕刊 コラム「交差点」より)





このコラムを書いた編集者さんがどんな方なのか、
男性なのか女性なのか、何歳くらいの方なのかわかりませんが、
浅田選手の演技が云々と評価するのではなく、
競技者としての本質、アスリート魂とでもいうものを見抜き、
称賛している着眼点が素晴らしいと思い、共感致しました。

こういう角度から評価される選手というのは、すなわち、
競技を切り離して考えても、豊かな人間性をもった人だということ。
習得した技や競技での結果だけでなく、
一個の人間としての揺るぎない強さ、逞しさを感じさせる人だということ。

だから私たちは惹きつけられるのでしょう。

この悔しさをバネにした彼女が、
これから先、いったいどれくらい飛躍していくのか。
彼女の目指している場所は、
私たちが想像できないほど高いところにあるのではないか。

このコラムを書いた編集者さんをはじめ、私たちはみな、
そんなことを ひしひしと感じ始めているのではないでしょうか。


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