東日本大震災から 一週間が過ぎた。
いまだに被害の全容が見えず、亡くなられた方の数も増え続けている。
多くの方が肉親の安否を確認できず、生活再建の目途もたっていない。
震災は、現在も進行中なのだと思う。
私は岩手に住んでいる。
津波で甚大な被害を受けた沿岸部ではなく、内陸部に家がある。
かなりの揺れは感じたし食器などが割れたりもしたが、家は無事だった。
地震直後から3日間停電が続いたり、固定電話・携帯電話が繋がらなかったりもしたが、じきに復旧した。
だから、被災したと言ってもせいぜい「かすった」程度だ。
ガソリンや灯油等の燃料不足、食料品の不足といった不便は現在も続いているが、それは他の地域の方々とて同じこと。
肉親を亡くしたり家が流されたりといった、決定的な不幸には見舞われなかった。
その程度の罹災でも、不安で怖かった。 恥ずかしながら。
でも、失意落胆することはなかった。
それは、多くの方に支えられ励ましてもらえたから。
地震直後に、遠く大阪から、
何度も何度も粘り強く、繋がるまで粘り強く電話をかけてきてくれた人がいた。
通信規制がかけられている状況を伝えると、「どこか電話したい所があるなら、こちらからかけてみようか」と言ってくれた。
切羽詰った状況で、これほどまでに頼もしく、機転の利いた厚意を私はかつて受けたことがない。
都内で帰宅困難者となり、6時間近く歩いて家に辿り着いた女性が、
私の安否を心配してメールをくれた。 嬉しかった。有難かった。
疲れていただろうに。 自分も不安だっただろうに。
ブログやヤフオクを通じて知り合ったハンドメイド作家さんが、
過去に使った「ヤフオク取引ナビ」を通じてメッセージを送ってくださった。
細やかな気配りをなさる作家さんならではのとても温かいメッセージで、心に沁みいるようだった。
そして、携帯のバッテリーが切れるまでの間、わずか一晩ではあったが、
twitterのTLを見ることができた。
ニュースサイトに次々更新される、世界各地からの応援メッセージも見ることができた。
どのメッセージも慈愛に満ちていた。
私たちに、今日を生きるための力を与え、鼓舞してくれた。
激甚災害のなかにあって、人を人たらしめるもの。
それは、人と人とのつながり以外には あり得ない。
当たり前のことなのかもしれない。だが、身をもって知ったように思う。
願わくば、
未だ肉親の安否がわからずにいる方々が、一日も早く家族で暮らせる日がきますように。
被災した方々を物心両面から支援するために、融通のきかない枠組みや障壁が取り払われますように。
岩手県では、2011年度の教職員の人事異動が縮小されることになった。(沿岸の教諭移動を凍結〜岩手日報記事より)
被害が大きい沿岸の教諭の異動は原則行わない方向で、児童生徒の心のケアに配慮した配置を再検討するとのことだ。
こういう思い切った決断が、人を救うのだと思う。
一人でも多くの人を救うために、精神面・生活面をサポートするために、
大鉈(おおなた)を振るって、あらゆるつまらない障壁を取り除いて欲しいと切に祈る。


」と女子高生(JKっていうのかえ?今どきのナウなヤングは)























