goo

佐々淳行の珍文

佐々淳行が6月28日付の産経新聞に書いていた。その書き出しに曰く。
 筆者はドイツの国法学者フェルディナンド・ラッサールの『夜警国家論』を信奉する。
 国民を守る「治安・防衛・外交」こそが国家の使命で、国家は国民を安眠させる夜回りが仕事とする所説に動かされて警察を志した。
これに長尾龍一先生が嚙みついた。
 Lassalleは国法学者ではなく、労働運動指導者である。「夜警国家論」は彼が批判の対象を揶揄した言葉で、彼の思想ではない。そんなことは百も承知かも知れないが、そうだとしてもこのsentenceは甚だしくmisleadingである
その通りである。ラッサールは自由主義国家を「夜警国家」だとして激しく批判したのである。佐々のいう「国家は国民を安眠させる夜回りが仕事とする所説」は一体だれの説なんだろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

昭和29年4月27日の洋松ロビンス対巨人戦

 日経で連載している広岡達朗の「私の履歴書」が面白い。今まででとりわけ面白かったのは川上との確執だ。その火種は広岡が新人のときからあった。
 0―4の六回裏の守備から入り、七回に追撃の本塁打を先発の江田孝から打った。チームは勢いに乗って同点。九回には2点勝ち越した後、だめ押しの2点タイムリーで8―4。当然ヒーローとなるべき活躍だったが、魔の九回裏が待っていた。

 巨人は2番手の中尾碩志さんが、簡単に2者を退けて2死無走者。続く代打松岡一郎を遊ゴロに打ち取ったが、私が高く投げてしまい、一塁に残った。次打者の三塁ゴロを柏枝文治が捕り切れずに内野安打で一、二塁。荒川昇治が遊ゴロを打って、今度こそ試合終了と思った瞬間に私の送球はまた、川上さんのグラブの上を通り過ぎていった。

 1点返されて、なお2走者が残った。動揺した中尾さんが四球を出して満塁である。打者はその年本塁打王になった青田昇さん。巨人は右の速球派の笠原正行を送ったが、3球目を左翼スタンドに運ばれた。巨人の8―9。セ・リーグ第1号のサヨナラ満塁本塁打である。

 ナインはみんなあほらしいとでもいうような顔をして引き揚げて行く。私はすっと帰るわけにはいかない。ベンチでしょぼくれて取材を受けていた。「いやー、えらいことしましたね」といわれて「その通りえらいことしました」と答えた。

 これでやめておけばよかったのだが、「それにしても捕れるボールでしたね」と聞かれて、「あのくらいのボールを捕れないファーストがいたら野球なんかできるか」とやってしまった。きっちりストライクを投げられなかった私の未熟さを、川上さんに転嫁してしまったわけだ。
このくだり、海老沢泰久の広岡をモデルにした小説『監督』にも出てくる印象的なシーンだ。
 昭和二十九年。その年は二人が新人としてジャイアンツにはいった年だが、渡会(森昌彦のこと=引用者注)は開幕してまもない五月の試合をいまでもはっきりと覚えている。相手はホエールズだったが、8対4とリードして迎えた九回裏、二死無走者でショートにゴロがとんだ。ゲームセットと思った瞬間、広岡の送球が高くそれ、一塁の川上が足をもつれさせた。 そしてヒットを一本はさんで、もう一度広岡の前にゴロがとんだ。セカンドに送球すれば簡単にフォースアウトのケースだった。だが何を思ったのか、広岡はわざわざ一塁に投げた。ボールはワンバウンドになり、またもやセーフとなった。気落ちした投手が打たれ、結局この試合は大逆転をくって負けたのだが、試合後広岡はこういってのけた。

「一塁手がへたくそだとやりにくいな」

 相手は神様の川上哲治である。新聞記者も渡会も新人が苦笑いしながら話すそのコメントを青い顔をしてきいた。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ツイッターに飽きた

 実はツイッターを少しやってみたのだが、字数制限で情報量は少ないし、たいした交流にもつながらないし、たちまち飽きてしまった。ツイッターよりブログ、ブログより一般的なホームページのほうがはるかにいい。さらにいえばホームページより雑誌に書くほうがさらにいいのかもしれない。だが、そんな場はないのでとりあえずブログの更新を時折復活させることにした。

 最新の感想をいくつか。
・ネットに90年代後半から文章を書くようになって気付いたことがある。仕事で文章を書く量が増えると(内容のいかんにかかわらず)ネットに文章を書く意欲が減る。仕事が変わって文章を書く仕事が減るとネットに文章がすごく書きたくなる。つまり、いかに下らない文章でも仕事で大量に書いていると、それ以外に文章を書こうという意欲はなかなかわかないのだ。私のブログの更新が止まったのもそういう理由が大きい。

・高島俊男の新刊『お言葉ですが…』の最新シリーズ『漢字検定のアホらしさ』を一部読んだ。目玉はやはり白川静と藤堂明保の論争をたどった文章だろう。エセインテリの常で、この論争をたどりもせずになんとなく白川氏が藤堂氏を言い負かしたように思っていた。そんな単純なものではないことが高島先生の文章を読むとよくわかる。

・ペドロ&カプリシャスのベスト盤はいろいろ出ているが、権利の関係だろうか、前野曜子の歌が入っているものがきわめて少ない。「別れの朝」「さようならの紅いバラ」などが入っていても大部分のCDは高橋真梨子のカバーなので注意が必要だ。やっぱりこれらの歌は前野に歌ってほしいと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世間話17

 最近のテレビや新聞は、テレビに出ていて名を知られている人の訃報はワンランク、2ランク上に扱う傾向がある。三遊亭円楽の死去についても同じだ。NHKがニュースで「名人」といったのはいくらなんでも言い過ぎだ。読売や朝日は1面で取り上げているが、本来社会面だけで十分な人だと思う。ただ読売の「編集手帳」は良かった。聞きたい噺に(「浜野矩随」などの俗流人生論の臭みが正面に出てくる話ではなく)「厩火事」や「藪入り」を挙げているあたり、さすがと思わせる。矢野誠一も朝日に寄せた文章で、大ネタの人情噺より「汲みたて」のような軽やかな噺が好きだったと同じような感想を述べている。

 気になるのは少なくとも一般紙は全く報じていない円楽一門の帰趨だ。円楽は結局目立った弟子をほとんど育てられなかった人だ。立川流に談春や志らくのようなチケットすら取りにくい人気落語家がいるのに、円楽一門には単独で客を呼べる落語家は皆無と言っていいだろう。こういう場合、落語協会か落語芸術協会に合流し、寄席に出られるようにするのが一門に入っている落語家にとっても最良の選択だと思う。ネットなどでは落語芸術協会への合流がうわさされているが、そうなるのだろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世間話16

  徳岡孝夫の『完本 紳士と淑女』(文春新書)を買ってあきれる。これのどこが完本か。30年分の連載が一冊に収まると考えていた私に一番問題があるかもしれないが、このアンソロジーを完本と評するのは誇大広告にもほどがあろう。「よりぬき」とか「精選」とかつければ何の不満もないのに。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世間話15

 大臣の最初の会見を見て非常に厭な予感がした。長妻昭は実は年金問題のことなどさっぱり分かっていないのではないか。いま年金が問題になっているのは少子高齢化でこれまでの枠組みが崩壊したからであって、社会保険庁のずさんな体質などとはまったく別の次元の問題なのである。つまり消えた年金問題すら(個人にとっては深刻な問題であっても)実はマクロでみればどうでもいい問題にすぎない。それがわかっているのだろうか。こいつはやはり記者体質でマクロ全体を見るという訓練がまったく欠如しているのではないか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世間話14

  明日は仕事なので、期日前投票。比例代表は前に言ったように「みんなの党」、小選挙区は選択肢が少なく、白票を入れようかとさんざん迷ったが、まあ相対的にましということで民主党候補に投票。これで政権交代後に起こるであろうさまざまなごたごたやドタバタ劇に対して何らかの心情的な責任を感じることになるわけだ。まあそれでも今の自民党政権が続くよりはましという決断であるわけで、こうした印象を持っているのは私だけではないだろう。
 なお、ブログで個人が支持政党を表明することに何の問題もない。こうした書き込みすら自粛するムードがあるのは嘆かわしい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世間話13

 自宅に届いた文藝春秋のPR誌「本の話」9月号に海老沢泰久さんのインタビューが載っていたのに驚く。もちろん訃報を受けての再掲載ではなく、文庫オリジナル本『プロ野球が殺される』(文春文庫)の刊行にちなんだ内容。直前までインタビューを受けていたのだ。中身は特に目新しい内容ではなかったが、来月上旬の発売が楽しみ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世間話12

 30日の衆院選。比例代表は「みんなの党」に入れるつもり。埋蔵金への安易な依存などには首をかしげるところもあるが、はっきりと小さな政府や地方への分権、成長戦略を打ち出しているのはここだけだ。小選挙区はどうするかはこれから考える。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 1 )

世間話11

 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の新訳が出ていた。本屋で訳者のあとがきを立ち読みしてびっくり。最後のほうで主人公のウィンストン・スミスが書いた計算式はまさしく党の命令通りの「2+2=5」だったのだ。ハヤカワ文庫の新庄哲夫訳が「2+2= 」と答えのところが空欄になっていたのは底本のミスらしい。呉智英先生がかつて勝手に小説を誤読して勝手に感動していた男の話を書いていたが、あの空欄にそれと似たような深読みをしていた人は多いだろう。真実は案外とつまらないものだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
前ページ