
2月2日。とうとう母の手術日がやってきました。
これまで幾度となく私を健康を一番に考えてきた人です。丈夫な母が崩れていきます。
手術には父と叔母と祖母と私が行きました。
朝から始まりました。予定は6時間でした。
何をして待っていたかあまり記憶がありません。ただ何事もないようにと祈るだけ。
担当医は最新式の血流を監視できる設備をそろえましたと言っていました。
5個の脳動脈瘤のうち、今回は一番大きいのと中位の動脈瘤をクリップしますと言われました。
最初は2個なので予定の6時間で完了するものと信じていました。
でも17時を過ぎても出てこない・・・なにかあったのかなぁと嫌な予感が。
盛岡から地元に帰るバスは最終18時。叔母と祖母はその便で帰りました。
私と父は泊まることにしました。そして18時頃に終わりましたとの連絡が入りました。
うまくいった事を信じてました。それからICUに入るので色々機器を取り付けるのに
30分程度待ち、ようやく面会できることになりました。
中に入りましたが母らしき人は見当たらず・・・そうしているうちに担当医が来て
まず先に説明を受けることに。
担当医の説明は、まず、最新の機器を揃え万全の状態でスタートしましたとの事。
今回は一番大きい脳動脈瘤にクリップをかけるため右側の眉の上あたりを8cm位開頭してそれにクリップをかけたそうです。一個目の最大級の動脈瘤は完璧にクリッピングできたと図を描きながら説明されました。そして2個目の動脈瘤に手をかけた際にクリッピング自体は最初完全に掛りましたが、そこにきているレンズ核条体動脈という1mmにも満たない動脈をクリッピングした際に巻き込んではいないが深く根元をクリップ
したのでその動脈が引っ張られ血流が一時的に遮断された可能性がありそのため機械で血流を
慎重に確認しながらリカバリーして少し浅めにクリップしました。なので今、左半身特に手足
に麻痺が残っています。(マジですか!!!)と言われ先生と一緒に母のところに行きました
顔を見てみると物凄い腫れようでした・・・。先生が〇〇さんこの人誰ですか?と私を見て
いました。そうすると「息子です。」と言いました。じゃあ両手上げてみてというと両手は
上がりました。先生が「じゃあグーパーグーパー」と言いましたが左が明らかに反応が鈍い
です。「両足上げてみようか」言うと左があまり上がりません。
正直、悲しくなりました。あんなに元気に学校で働いていたあの母が半身マヒ状態なのです。
県内屈指の先生が手術してもこうなってしまったのかと。なんか頭を開いて手術するのは
神の領域のような気がしました。そのあとは麻酔が効いてるみたいで眠そうにいてたので
ちょっと話をしてICUをでました。出るときに看護師腫れについて聞きましたが、もっと
腫れてきますよと言われ驚きました。そして自分は盛岡前のホテルに泊まり、父は病院に
残りました。ホテルに行っても眠れるはずもなく泊まる予定ではなかったので眠剤は持って
行きませんでした。血糖コントロールもするのを忘れていてベースになるランタスも打ち忘れ
ていました。体は疲れているのに眠れない状態で二時間くらい横になりました。
次の日病院に行ってみると脳外科の病棟に移っていました。夕方のご飯の時間でしたが食欲
はあり麻痺もICUを出てからは見られず安心しました。リカバリーが早かったのか完全に
血流が途切れなかったのか両手を使って自分で食事を採れました。私はこの頃から調子が悪く
鳩尾と背中の鈍痛があり熱っぽく寒気がしていました。高血糖になっているのか手や足が吊る
ようになりこぶしのところが紫に変色していました。そこでようやくインスリンを打って
時間ぎりぎりまで面会し、またホテルに戻りました。帰って横になりましたが全く眠れませ
んでした。鈍痛続いていて冷や汗が出始めました。今思うと完全に体が酸性化傾き高浸透圧
高血糖症候群になりかけていました。早く横になりましたが痛みがあるのと手の震え、寒気
で眩暈がします。結局、我慢できなくなり大学病院の救急外来を2月4日朝の4時半頃に受診
受付を済ませ廊下で待っていました。体温と血圧、酸素を測りました。
熱はバファリンを飲んでいったせいか37.8度。血圧は上も下も高く140の100。
調子が悪いのでベッドで休ませてもらいました。ほどなくして先生登場。
母の付き添いに来ていて調子が悪くなったことを説明しました。おなかを触診したら
鳩尾から左側にかけて痛かったです。点滴とレントゲン、痛みに対してブスコパンを打つ
といわれましたが、ブスコパンは私には効き目がないため、点滴と採血をして結果を待ちながら横になりました。
体調が悪いため普段から見えない血管が具合が悪いので全く見えなくなり結局セイチュウから
入れました。横になっても痛みました。ツライ・・・一時間以上も横になっていました。
そして検査結果を持って先生が来ました。アミラーゼもCRPも上昇は見られないとのこと。
熱があったので、もしやCRPが上がっているかとびくびくしていましたが一安心。
でも、早くこの痛みをなんとかしてくれ〜と思っていましたが、午前中外来をやっているので
8時半になるまで待って消化器の先生に診てもらいましょうと言われました。
(えーこのまま痛みを我慢するのか!)と思いましたが何とか痛みをこらえていました。
そして8時半になりました。車椅子で消化器まで連れて行ってもらい一番で呼ばれました。
そして30分ぐらいで消化器の先生が登場。女医でした。これがまた厳しい先生で
なんで痛みどめを持ってきてないのかと怒られました。「持ってきたんですけど手術日
に帰るつもりで来てたので大量には持ってきませんでした。母の容体も思わしくなく結局
2泊することになってしまいました。」と説明。そしたら血ガスを採りおしっこの検査、
点滴を指示。その間今度は車椅子で麻酔科へ行ってモルヒネ2アンプル点滴。これでようやく痛みが半分に。薬は3日分だけ出してもらいました。今度は糖尿病代謝内科に
吐き気で食べれないときや半分くらいしか食べれないときのインスリンの打ち方を教えて
もらいました。そのうちに麻酔科からの薬が届き痛みどめ140ミリ使いました。
そのあとは糖尿病代謝内科から地元の病院に今回のことを紹介状という形で書いてもらい
ようやく終了。午前中を過ぎていました。
そのあとフラフラだったので帰りたかったのですが、母が気になり病棟に行きました。
行ってみたら、べッドに縛り付けられ手にはグローブをはめられていました。
看護師に聞くと点滴を無為意識のうちに外そうとしたり暴れてベッドから落ちそうに
なっているからだと言われました。アレをつけられると精神的にかなり負担になります
でも、転んでけがをしたりすれば大変です。私は耐えられませんでした。
そうしてるうちに姉と姪っ子がお見舞いに来ましたがたまに変なことを言います。
見ていると泣きたくなるくらいつらいです。でも家に一旦帰らなければ私の体も
限界でした。顔も腫れ見た感じ母とは思えないくらいです。一日も早く元気になって
欲しいのですがなぜか膵臓のAMYが上がってるそうなんです。頭を手術したのに
なぜ膵臓の酵素の値が上がってるかもわかりません。痛みはないようなのですが、
気になります。家で充電してまたすぐ行ってきます。リュウタはもうしばらく
ブリーダーに預けようかと思っています。



これまで幾度となく私を健康を一番に考えてきた人です。丈夫な母が崩れていきます。
手術には父と叔母と祖母と私が行きました。
朝から始まりました。予定は6時間でした。
何をして待っていたかあまり記憶がありません。ただ何事もないようにと祈るだけ。
担当医は最新式の血流を監視できる設備をそろえましたと言っていました。
5個の脳動脈瘤のうち、今回は一番大きいのと中位の動脈瘤をクリップしますと言われました。
最初は2個なので予定の6時間で完了するものと信じていました。
でも17時を過ぎても出てこない・・・なにかあったのかなぁと嫌な予感が。
盛岡から地元に帰るバスは最終18時。叔母と祖母はその便で帰りました。
私と父は泊まることにしました。そして18時頃に終わりましたとの連絡が入りました。
うまくいった事を信じてました。それからICUに入るので色々機器を取り付けるのに
30分程度待ち、ようやく面会できることになりました。
中に入りましたが母らしき人は見当たらず・・・そうしているうちに担当医が来て
まず先に説明を受けることに。
担当医の説明は、まず、最新の機器を揃え万全の状態でスタートしましたとの事。
今回は一番大きい脳動脈瘤にクリップをかけるため右側の眉の上あたりを8cm位開頭してそれにクリップをかけたそうです。一個目の最大級の動脈瘤は完璧にクリッピングできたと図を描きながら説明されました。そして2個目の動脈瘤に手をかけた際にクリッピング自体は最初完全に掛りましたが、そこにきているレンズ核条体動脈という1mmにも満たない動脈をクリッピングした際に巻き込んではいないが深く根元をクリップ
したのでその動脈が引っ張られ血流が一時的に遮断された可能性がありそのため機械で血流を
慎重に確認しながらリカバリーして少し浅めにクリップしました。なので今、左半身特に手足
に麻痺が残っています。(マジですか!!!)と言われ先生と一緒に母のところに行きました
顔を見てみると物凄い腫れようでした・・・。先生が〇〇さんこの人誰ですか?と私を見て
いました。そうすると「息子です。」と言いました。じゃあ両手上げてみてというと両手は
上がりました。先生が「じゃあグーパーグーパー」と言いましたが左が明らかに反応が鈍い
です。「両足上げてみようか」言うと左があまり上がりません。
正直、悲しくなりました。あんなに元気に学校で働いていたあの母が半身マヒ状態なのです。
県内屈指の先生が手術してもこうなってしまったのかと。なんか頭を開いて手術するのは
神の領域のような気がしました。そのあとは麻酔が効いてるみたいで眠そうにいてたので
ちょっと話をしてICUをでました。出るときに看護師腫れについて聞きましたが、もっと
腫れてきますよと言われ驚きました。そして自分は盛岡前のホテルに泊まり、父は病院に
残りました。ホテルに行っても眠れるはずもなく泊まる予定ではなかったので眠剤は持って
行きませんでした。血糖コントロールもするのを忘れていてベースになるランタスも打ち忘れ
ていました。体は疲れているのに眠れない状態で二時間くらい横になりました。
次の日病院に行ってみると脳外科の病棟に移っていました。夕方のご飯の時間でしたが食欲
はあり麻痺もICUを出てからは見られず安心しました。リカバリーが早かったのか完全に
血流が途切れなかったのか両手を使って自分で食事を採れました。私はこの頃から調子が悪く
鳩尾と背中の鈍痛があり熱っぽく寒気がしていました。高血糖になっているのか手や足が吊る
ようになりこぶしのところが紫に変色していました。そこでようやくインスリンを打って
時間ぎりぎりまで面会し、またホテルに戻りました。帰って横になりましたが全く眠れませ
んでした。鈍痛続いていて冷や汗が出始めました。今思うと完全に体が酸性化傾き高浸透圧
高血糖症候群になりかけていました。早く横になりましたが痛みがあるのと手の震え、寒気
で眩暈がします。結局、我慢できなくなり大学病院の救急外来を2月4日朝の4時半頃に受診
受付を済ませ廊下で待っていました。体温と血圧、酸素を測りました。
熱はバファリンを飲んでいったせいか37.8度。血圧は上も下も高く140の100。
調子が悪いのでベッドで休ませてもらいました。ほどなくして先生登場。
母の付き添いに来ていて調子が悪くなったことを説明しました。おなかを触診したら
鳩尾から左側にかけて痛かったです。点滴とレントゲン、痛みに対してブスコパンを打つ
といわれましたが、ブスコパンは私には効き目がないため、点滴と採血をして結果を待ちながら横になりました。
体調が悪いため普段から見えない血管が具合が悪いので全く見えなくなり結局セイチュウから
入れました。横になっても痛みました。ツライ・・・一時間以上も横になっていました。
そして検査結果を持って先生が来ました。アミラーゼもCRPも上昇は見られないとのこと。
熱があったので、もしやCRPが上がっているかとびくびくしていましたが一安心。
でも、早くこの痛みをなんとかしてくれ〜と思っていましたが、午前中外来をやっているので
8時半になるまで待って消化器の先生に診てもらいましょうと言われました。
(えーこのまま痛みを我慢するのか!)と思いましたが何とか痛みをこらえていました。
そして8時半になりました。車椅子で消化器まで連れて行ってもらい一番で呼ばれました。
そして30分ぐらいで消化器の先生が登場。女医でした。これがまた厳しい先生で
なんで痛みどめを持ってきてないのかと怒られました。「持ってきたんですけど手術日
に帰るつもりで来てたので大量には持ってきませんでした。母の容体も思わしくなく結局
2泊することになってしまいました。」と説明。そしたら血ガスを採りおしっこの検査、
点滴を指示。その間今度は車椅子で麻酔科へ行ってモルヒネ2アンプル点滴。これでようやく痛みが半分に。薬は3日分だけ出してもらいました。今度は糖尿病代謝内科に
吐き気で食べれないときや半分くらいしか食べれないときのインスリンの打ち方を教えて
もらいました。そのうちに麻酔科からの薬が届き痛みどめ140ミリ使いました。
そのあとは糖尿病代謝内科から地元の病院に今回のことを紹介状という形で書いてもらい
ようやく終了。午前中を過ぎていました。
そのあとフラフラだったので帰りたかったのですが、母が気になり病棟に行きました。
行ってみたら、べッドに縛り付けられ手にはグローブをはめられていました。
看護師に聞くと点滴を無為意識のうちに外そうとしたり暴れてベッドから落ちそうに
なっているからだと言われました。アレをつけられると精神的にかなり負担になります
でも、転んでけがをしたりすれば大変です。私は耐えられませんでした。
そうしてるうちに姉と姪っ子がお見舞いに来ましたがたまに変なことを言います。
見ていると泣きたくなるくらいつらいです。でも家に一旦帰らなければ私の体も
限界でした。顔も腫れ見た感じ母とは思えないくらいです。一日も早く元気になって
欲しいのですがなぜか膵臓のAMYが上がってるそうなんです。頭を手術したのに
なぜ膵臓の酵素の値が上がってるかもわかりません。痛みはないようなのですが、
気になります。家で充電してまたすぐ行ってきます。リュウタはもうしばらく
ブリーダーに預けようかと思っています。














泣きたいのはぺんくんなのにね。ごめんね。
母様のアミー上昇は気になるね。
何か関連があるのかもしれないね。
とにかくぺんくんの体が第一だからね〜
一時はどうなるかと思いました。少しずつですが
回復も見られます。でも手術の記憶がすっぽり
抜け落ちています。薬のせいでしょう。
私の充電して早くいきたいと思っています。
ご心配ありがとね!
お母様の手術大変でしたね、長くかかりましたね。術後も大変そう。
看病のpenさんも、お疲れですね、まさかこんなにかかると思わずお薬を少ししか持って行かなかったのですね。でも、病院だから、診て処置していただけてよかったですね。
看病する人が元気じゃないと看病になりませんから、家で体調を整えて、また看病頑張ってください。 無理にならないように。
お母様もpenさんもお大事に。
看病する人に私は向いていませんね(笑)
看病しに行って自分が救急にかかってしまいました
rinkoさんがいうとおり看病する人が元気でなければ
なりません。
体調整えたいと思います。
大変な手術だったんですね。
ご家族の皆さんも、お疲れになったことでしょう。
心配事があると、なかなか眠れないと思いますが
体を横にするだけでも疲れは違ってくるそうです。
食べられる時は少しでもいいので
口にして下さいね。
お母様のご回復を祈っています。
手袋は外れました。
ただ記憶が変なんですよね。
おでこから顔にかけてパンパンに腫れています。
早く腫れがひき元の顔に戻ってほしいです。
ご心配ありがとうございます