Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ニーチェの馬」タル・ベーラ

2012-02-16 15:29:00 | cinema
ニーチェの馬The Turin Horse
2011ハンガリー/フランス/スイス/ドイツ
監督・脚本:タル・ベーラ
編集・共同監督:フラニツキー・アーグネシュ
共同脚本:クラスナホルカイ・ラースロー
音楽:ヴィーグ・ミハーイ
撮影監督:フレッド・ケレメン
出演:ボーク・エリカ、デルジ・ヤーノシュ



この映画は
先入観抜きで
素で体験するとよいと思う。

このフィルムに描かれる6日間は
観るものの持つすべてを反映する鏡のようなもので、
どう体験するかを自分自身でしっかり感じ取ることを求められている。


ということで、以下は広義のネタバレであるよ。


****


非常に単調かつ最小限につくられているが
それ故に2時間半におよぶ時間が必要なのだ。
執拗に繰り返される日常の動作(着替え、水汲み、食事)は
必要にかられての最低限の行為なのだが
それをはしょらずに長回しで追うことによって共有する時間と動作は
明らかに儀式と日常の接点を描き出している。
おごそかな儀式としての聖性を帯びながらも
それらの動作の本質はおわりなき日常の残酷な生命の浸食であるところが
実に苦しい。

一度たりとも彼らはその苦しみを表出することがないが
儀式を繰り返す度に疲弊し消耗しついには食事も停滞し
いつ来るとも知れない終焉に向かって深く落ち込んでゆく。

我々は、そのような世界に住んでいる。
彼らが試みてなし得なかったように
世界の外に出ることはできない。
そのことを思い知る。
これは人生の映画であり、誰もがここにいて
それぞれ孤独に世界の終わりを迎える。

***

しかし武骨な馬をよく見つけたものである。
ロケーション、風、馬、石造りの家、井戸
これに名前すら定かでない二人
それが映画のほぼすべてである。
それらのデザイン、質感、肌触りが立っている。
視覚情報が見るものの体内に五感を形作る。

単調で道具立ての極端に少ないこの映画の豊かさはその
想像界の豊かさである。

ジャガイモの熱を、ぬめぬめした食感を、
日々の儀式としての食事のシーンから
我々は悲しいほど感じることができる。

冒頭この上なくこの映画を語っている音楽とともに
激しい風のなか体毛を波立たせながらひた走る武骨な馬の息遣いを
感じることができる。

そしてこの映画の終演はその感覚世界の終焉である。
6日で世界を作ったプロセスを逆に辿り世界の終わりを描いたこの映画の終わりは
この豊かな感覚の剥奪だった。
視覚を奪われた私たちはこの先を求める手立てすらなく
この終焉に立ち会わなくてはならない。
そこではもはやあの巨大なジャガイモも
いささかの熱も帯びることはない。

終焉についての映画を
儀式としての世界を豊かに悲しく感じさせたあとに
視覚の終焉によりもたらされる
感覚の終焉として描いた
この映画によって
タル・ベーラは語るべきことはすべて尽くしたと言い
もう映画を撮らないと言っている。

それはあまりにも
あまりにもかっこよすぎるだろう。
この上なくシャットダウンして見せたこの映画で
そのキャリアまで終わらせてしまうとは。

ワタシは、人間はそんなにかっこいいものだとは思わない。
タルさんにはぜひかっこ悪く
映画を=世界を=生を
再開させることを期待して止まない。


@イメージフォーラム

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