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新刊本の目次です。

2016年11月27日 | ご案内

新刊本「希望の裁判所」の論考とコラムの目次です。

是非手に取ってください。

第1部 希望の判決
 希望の判決どどいつ    竹内浩史
   コラム1  判決は裁判長だけのものか
 家族観に踏み込んだ最高裁  森野俊彦
    コラム2  裁判長あての脅迫状
第2部 希望の裁判官
  現職が語る裁判官の魅力        浅見宣義
      コラム3  裁判官の転勤はなぜ3年ごとか
  裁判官が弁護士になってみた    中村元弥
      コラム4  官舎あれこれ
  弁護士が裁判官になってみた    工藤涼二
      コラム5  半世紀前の裁判官生活
  裁判官人事制度の改革          小林克美・仲戸川隆人
      コラム6  法服について

第3部 希望の弁護士
  ロースクールから生まれた「あなたに寄り添う弁護士たち」井垣敏生
      コラム7  ささやかなクリスマスプレゼント
  弁護士の輝く時代へ           久保井一匡
      コラム8  正義の女神
第4部 希望の裁判手続
  裁判員裁判が日本の刑事裁判を変えた        安原浩
      コラム9  果てしのない狸か猫か論争
  民事裁判はこう変わった         井垣敏生
      コラム10 裁判官の「てん補」って知ってますか
  せっかく判決を取ったのに       平野哲郎
      コラム11  支部・出張所の処理態勢と楽しい想い出
  変わりつつある家事事件         間部泰
      コラム12  裁判官のサラリーマン化?
  少年への「寄り添い」            横山巌
☆コラム1~9は論考執筆者が分担して書きました。コラム
 10~12は,山田徹さん(弁護士・元裁判官)の寄稿です。


 


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「左」からの司法制度改革礼賛本(般若心経) (欲望の裁判所)
2016-12-09 21:40:10
日本裁判官ネットワークとは、極めて薄まっているものの、青法協-裁判官懇話会の流れを一部受け継いだ裁判官・元裁判官の団体である、と言ってよいだろう。一般的な左-右の構図で言えば、いちおうは「左」に位置することになる。

 そのような団体が「希望の裁判所」と題する書籍を出版したのだから、現状の裁判所を希望の裁判所に改革していくべきだという方向性の議論をしているのだろう、と思うと完全な期待外れである。複数の執筆者からなる文章の集まりで、微妙に異なる論調の執筆者もいるものの、大勢としては、現在の裁判所が希望に満ち溢れており、今の司法改革路線を推し進めていけばよい、という司法改革・裁判所に対する礼賛の書籍なのである。
 基本的な論調はワンパターンで、(1)現在の裁判所(特に最高裁)は、以前に比べて、違憲判決も含めて踏み込んだ判断を下すようになった、(2)裁判所の機構も改革されて開かれてきた(弁護士任官や他職経験、人事制度の改革など)、(3)民事裁判も迅速になったし、刑事裁判も裁判員裁判を契機に改善されてきた、などといったものである。いずれも、どこかで聞いたような話ばかりで、「左」に属する裁判官・元裁判官が合唱している点で目新しさがあるにすぎない。
 しかし、(1)についていえば、現状認識として一面的というほかない。最高裁の傾向を見ても、当たり障りのない論点では違憲判決など踏み込んだ判決を出すものの、一票の格差訴訟などが典型であるように、支配層が絶対に許さないであろう部分では踏み込んだ判断を回避するのが常態である。この点については、瀬木比呂志のいう「統治と支配の根幹に関わる事柄はアンタッチャブルで絶対に動かさない。必ずしもそうでない部分では、可能な範囲で一般受けをも指向する。」という認識のほうが、はるかに適切ではないか。
 (2)についても、本書で細々と制度の変化は述べられているのだが、では、現場でどのように変化があるのか、具体的な話は何もない。
 (3)については、新自由主義改革・規制緩和の中で「事後監視・救済型社会への転換」を図るという司法改革の目標のもとで、裁判の効率化・迅速化が図られているものである。それ自体は積極面もあるにしても、司法改革の面だけ見て賞賛すべきものではない。執筆者の一人は、「歴史の流れや変化の全体像に目を向けないで、否定的な一部の現象のみを取り出して、批判ばかりを繰り返すのはいかがなものかと思われる。」と述べているが(73頁〔浅見宣義〕)、「歴史の流れや変化の全体像に目を向けない」という批判はそっくりそのまま執筆者たちに当てはまるといえよう。執筆者らの中には、共産党系の法律事務所から弁護士任官した者もいるのだが、当の事務所は、司法改革の影響による経営悪化のせいか、四分五裂して惨憺たる状態である。

 断っておくと、この書籍の執筆者たちに悪意はないだろうし、主観的には利権でものを論じているわけでもないだろう。この執筆者たちは、おそらく、本気で、左翼的またはリベラルな価値を信じ、それが司法改革で実現しつつあると信じたいのである。とくに、すでに高齢となった者たちは、そうした未来を信じている方が、これまでの自己の人生に意味があったと思えるであろうから。そして、そう信じようとするあまりに、現実に目が向かなくなっているのが、致命的な欠陥である。
 こうした筆者らの理念倒れぶりは随所に現れているのだが、井垣敏生の次のくだりは、ユーモラスですらあった(165-166頁)。「各種の調査では、国民は未だに知り合いの弁護士はいないし、弁護士事務所は敷居は高いし、裁判などになると時間とお金が大変だし、ついでにいえば正しい結論がだされて、正しい権利が確保されているのかについても、大きな懸念が示されているのが現状です。」
 おなじみの弁護士を増やせという議論の当否は脇におくとして(また、「各種の調査」を一例も示していない点も措くとして)、裁判で「正しい結論がだされて、正しい権利が確保されているのか」というのは、どう考えても最も重要な問題であって、「ついで」の問題ではないはずであろう。いかに司法にアクセスしやすくなっても、その結果が悪ければなんの意味もない。逆に、正しい結論がだされて、正しい権利が確保されると信用できるのなら、時間やお金を費やしても裁判に踏み切ることは比較的容易であろう。「あまねく、法の支配を及ぼすことに情熱を燃やす法曹がもっと増えなければならないと思います」(166頁)という理念がほとばしるあまり、肝心な、裁判に踏み切った場合の結果は、「ついで」のことになってしまったようである。

 以上のとおり、本書の内容自体はありふれたもので、得られる新たな知見はなにもない。ただ、無自覚の転向声明を発するに至った哀れなサヨク崩れたちの精神構造に興味があるなら、読んでみてもいいだろう。

 なお、141頁に「次頁の表」と記載があるが、次頁にもほかの頁にもそれらしい表はないというミスがある。編集ミスであろうから次の刷で直されるのかもしれないが、次の刷などは出ないことを願う。

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