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教育について考える

2008年02月17日 | あすなろ
 文科省が小中学校の学習指導要領改定案を発表した。
40年ぶりに理数科を中心に授業時間を増やした。日本が知識集約型あるいは科学立国の道を歩むことを考えると理数科教育を充実させることは必然だろう。
ただし、子供たちを科学に引きつけ、科学に馴染ませる実効的な教育をするためには、現場での自由な発想による創意工夫が不可欠である。
指導要領は相当細かく規定されているようだが、これをマニュアル的に実施すれば教育目的が達成できるものではないだろうし、杓子定規に実践することを強制することは、百害あって一利なしということになるのだろう。
教師自身が主体的に教育方法を考え、自ら楽しみながら、生き生きと教育に打ち込めるような環境が保障されることが大前提となるのだろう。
疲れ果てて、ただただ指導要領を形だけなぞっているような教育現場にだけはならないで欲しい。
 
 少年審判において、非行少年に感じた共通の問題点がある。
それは、自己表現能力の乏しさである。自己の内面を的確に表出する表現能力を持ち合わせていないことから、暴力やいじめや暴走行為や種々の非行が自己を表現する歪んだ方法になっていると感じさせるケースが少なからずあった。

来年からは、否応なしに裁判員裁判が始まる。死刑宣告も考えられるような重大事件について、裁判官3名と、選挙人名簿の中からくじで選ばれた国民6名が、対等の立場で評議して、有罪・無罪及び量刑を決するというのっぴきならない共同作業をすることになる。
 人の話を聞かず一方的に自己の意見を述べ固執する人、主体性がなく無批判に大勢に流される人、考えを整理することができず、混乱してしまって決断ができなくなる人、自己の考えを表現する能力に乏しい人、論点を噛み合わせて話をすることができない人で構成される裁判体ができたとすると、評議は煮詰まらず、裁判員裁判は、原則拘束期間である3日間では到底終局しないばかりか、誤審の危険を孕む。


 可塑性に富む時期に、討論能力、自己表現能力を培っておくことは極めて重要である。
人の話をじっくりと聞く能力、情報を整理しながら正確に理解して吸収する能力、論点に集約して考える能力、自己の考えを整理してまとめる能力、自己の考えを的確な言葉や表情に乗せて表現する能力、そして、種々の価値観の存在を許容しながら、これを検証し、納得のいくまで考え抜いて自己の考えを築き上げる能力は、平和で民主的な社会の基礎となるものであるが、ひいては裁判員制度成功の基礎になると思われる。
 
 国語科目を中心とした「読み」「書き」「聞き」「考え」「話す」主体的な訓練と体験の学習を充実させて、討論能力、自己表現能力を育てていただきたいと思う。
(あすなろ)

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