ぐうたらら

毎日、幸せに埋もれているのかも。

冬がきました。

2009-12-18 14:34:36 | いずね家の話
朝7時頃目が覚めて
「外、雪つもっとったで」と父が言うので外に出た。
ほんの少しだけ、雪が積もっていて はしゃいでいた。
5,6回も雪!雪!って叫んだ。
・・・きっと近所中に聞こえていたと思う。

冬が来た。

我が家の人は、どういうわけか冬になると
マフラーorタオルを首に巻く。
外でも、家の中でも巻いている。

彼に言われて初めて、我が家の祖母が(以下、おばあ)
首にぐるぐるとタオルを巻いていることに気が付かされ

我が家に来た人に、みんな家の中なのに、マフラー巻いてるね。
そう言われて、我が家はみんなマフラーをしていることに気が付いた。

見つかった時、あれ、ほんとだ、って感じ。
家の中には、どっかの民族のようにマフラー人間。
みんなマフラーを巻いている。

私も冬になると短いマフラーくるくる。
妹は長いマフラー。
おばあは、タオル。
我が家は母不在の父子家庭だが、居たら巻いていたかも・・・?!

弟も今年は、赤に白と青い縦縞ラインのマフラーを買い
モンブラン色のマフラーも買っていた。
家では巻かないけれど(普通はそうか)
外では巻き巻きして、アルバイトや学校に向かっている。

恥ずかしいのか、父だけ巻かない。
男は黙って、寒さに耐える!ということか・・・?
でも、父以外は みんなマフラーを巻いている。

不思議なことに、それぞれで好みが違うのか
みな、長さも、材質も、デザインも違う。

ときどきお互いに人のものも巻くけれど
共有物以外を巻くと みな、違和感があるのか
「うーん、なんか、ちゃう・・・」と言う。

それでもみんな、マフラー族。
みんな何か、マキマキしている。

みんな各自が温いから
我が家は温いのかもしれない。
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試運転

2009-09-10 17:34:11 | いずね家の話
ギャー!っと心の中では、叫んでいた。
私に尻尾があったのなら、怒った猫のように逆立っていると思う。
弟の初運転に付き合ったら
今日も一日頑張ったな、と思ってしまった。

(ほぼ)ペーパードライバーの私に対して
今日免許を取ってきた弟が初運転に付き合ってくれ、と
少年の顔で言ってきた。
好奇心と、不安の入り交じった、にやけ顔。

最初、声をかけられるまでは2階の部屋にこもっていた。
家の前に弟が来て、気配を察知した。
危険の二文字が、私の頭の中で点滅していた。

隠れようと思ったときには、見つけられていて
にやけた顔を目の当たりにすることとなった。

しばらく、の間私たちは
「免許せっかく取ったんやから、乗ってや!」
「嫌やよ、私は痛いのは嫌い!」
「大丈夫やって!」
「嫌だ!まだまだ、死にたくない!」
「いけるって、古本屋へ行こぉや!」
「あかん!あの道は狭いから!」
そうやって、行くか行かないかを問答していた。

しばらくして、弟が落ち着いたので行こうか、と私から声をかけた。

何事も初めの時は緊張する。
それに、行こうとせがんでいる間は
集中力が「行く」ことに向いているので危ないのだ。
私もまだ初心者寄りなので、こうしている時って
集中力があまりない、と思う。

家の前の車庫でそういう日は、擦ってしまったり
後ろから、クラクションを鳴らされたりする。
浮ついているのが、熟練ドライバーには解るのだろう。
浮ついたまま乗ると、本当に危ないと思っている。

時間をおいてから、声をかけると
ちょっと落ち着いたのか、弟はにやけていなかった。

ただ、行き先は近場のスーパーにした。
自分の身の安全、道の形、右折や左折の数、弟の運転歴、
いろいろなことを頭に入れて、ありとあらゆる自体に対処しようと
伏線をたくさん私は張る。

冷静に分析することが、弟は免許を取って浮かれていて難しい。
だから、私が代わりとして伏線を張る。
逆に私が慌てているときに、弟が今度はハッとすることを言う。
互いに冷静に相手の位置や能力を観て判断を
自分たちが気が付かないうちにしている気がする。
そこには、家族だとかなんだとか、何も挟めないので
そんなところが、我が家は面白い。

もちろん伏線を張りすぎて、使えない案の方が多いが
使わないに越したことはない。
何個ものありえそうな事を張っておくだけで
私は、かなり安心していられる。

初運転に乗ることとなったが、初心者の運転は怖かった。
トロトロ走るし、指示器を出すのは早いし。
教習の教官たちって、プロだけれど
隣に乗るのって、怖いだろうな、と実感していた。

ジェットコースターよりも
ゆっくりとしたお化け屋敷のような怖さがある。
もしかしたら 私がいま、一番怖いもの、かもしれない。
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帰ってきた

2009-09-09 21:08:21 | いずね家の話
今日は、父が帰ってきた。
昨日は、弟が帰ってきた。

我が家の人たちは、旅行が好きだ。
父は英語もわからないのに、ちょろちょろと海外へ出ていく。
弟はサークルで洞窟探検などをしている。
よくわからないが、沖縄まで出かけてきて
昨日の夕方帰ってきた。

私はというと、散歩に出かけるくらいで
頻繁に旅行には行かない、と思う。
たまに、京都まで出ていったり
半年に一回、徳島まで出ていったりはしているが、それくらい。
旅行らしい旅行は、あまりしていない。

妹はもっと出ていかない。
祖母も年のせいか、出てはいかない。

でも、自分の部屋以外で目覚めた日の面白さを
きっと我が家の三人は知っている。

私は友達の家に泊まりに行っていた時期があったけれど
毎朝のリズムが自分のものではないなりの、不自由さみたいなものが
とてもいい感じに思う。
人と人のリズムは違っているからこ そのズレ、を楽しむ。

いつもの朝なんだけれど
ちょっと違う朝の感じ、そこにワクワクする。
自分はいつもと同じなんだけれど、環境が違って
何があるかな〜って楽しむ。

なんだか、思い出したら
今からでも京都に行きたいな、と思う。
違う場所での目覚めは、面白い。
どっか行きたいな・・・
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降り始め

2009-09-06 19:14:37 | いずね家の話
我が家でベースが鳴っている。
眠っていたら起こされた。

軽音部に所属している妹が、猛特訓中らしく
家の中でいると、低音が どこにいても追ってくる。
ベベベ、と鳴るベースの音が、家の中をはね回っている。

時々、近くの高校からは文化祭委員の招集のアナウンスが聞こえる。
秋が近いのだなと、高校の催し物でも知ることになる。

一昨日、道に迷ったとき、さくらの葉っぱがまばらに黄色かったし
夜が近くなるのが、ずいぶんと早くなった。
それに、虫もよく鳴いている。

昨日、テレビでアニメを観ていたら
展開が早くて、なんだか途中でいろいろなことが
考えられなかった。感じ取る前に、答えが出ているし
考える前に、画面から答えの信号が出ていて
味気なさ、みたいなものを覚えた。
不自由しなくて、答えも解りやすいんだけれどね。

町でも、そう。
今日から、秋です!と言わんばかりに
落ち葉が飾られたり、オータム!って書いてある。
なんだか、不思議な世界に迷い込んだみたいな感覚を覚える。
ちょっとこれも、味気ない。

そんな季節って、急に変わらない。
時間がゆっくりと、変わろうよ、変えようよ、ねぇー、と
日の光や、虫たちや、葉っぱたちに声をかけて
しょうがないな、ぼちぼち行きますか、と季節が変わっていく。
コンタクトがなされて、季節が変わっていく様子が
なんだか、毎日観ていると時間を感じるし、愛着も感じる。

同じ風景も、季節や出会う時間で、全く違う風景になる。
なんだか、そういうアナログ感は人間が作ったものでは
もしかしたら、出すことができないのかもしれない。

雨がいま、降り出した。
ポツポツとトタン屋根に当たって、涼しい風が舞い込む。
降るのかな、と思ったら、止んだ。
こういう不便さは、人間には作れない。

唯一、人間関係は不便だけれど、お互いがそれを楽しむような
そんな時間を使うことに、人はもう興味が無いのだろう。
時間をいかに短くして、楽をするか、ってことは
面倒くさがりの私も、常に考えている。

でも、何にも考えずに、インスタントコーヒーではなく
コーヒーを粉から入れると、なんだか満たされるのは
いったいどうしてなんだろうか。
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ごきげんな朝。

2009-08-31 21:53:14 | いずね家の話
昨日、パンの材料を機械に入れた。
タイマーを朝、6時にセット!
料理をした感じもなく、ちょっと寂しさを抱えながら
眠りについた。
私は、自分が手を出さなくても、料理が出来るのって
なんとなく、むなしいんだ。

そして朝になると、焼きたてのパンができてた。
これが美味しい。
ふわっとしていて、中はもちもち〜

なんだか、それだけで一日中、いい気持ち。

こんなことで喜ぶのは、私だけかと思えば、
父が朝、今日のパンは良いできだ!と少年のように私に告げた。

というのは、一番先にパンに包丁を入れたのは父であるから。
楽しみで、先に切ってしまったらしい。
父が真っ先に起きて、包丁でカットし、私が起きた頃には
一斤焼いたパンの半分近くを食べていた。

よっぽど美味しかったのか、父が ごきげんだった。
「もちもち、やで〜」と2回は言われた。

私の父はあまり笑わないけれど、満足そうな雰囲気が私は解る。
機嫌がいいときは、雰囲気が柔らかいし、本当に和やか。
普段、私の父を見た人は、愛想がないからか、ちょっと怖がるが
こういう父をみたら、きっと何だか可愛らしく見えてくると思う。

男の人って、いつまで経っても少年だ。
子どもっぽくて、ワガママで、かわいらしい。
そんな一面があると思う。
私はどんな人でも、たとえそれが実の父でも
観ていると嬉しくなる。

私自身、もちもちのパンを口にしたら
「キャー!今日は、できが良いね〜」と台所の方を向きながら
パンをかじってから、父に伝えた。
聞こえていないのか、聞いていないのか、父は返事をしなかった。

ま、元々そういう人だったっけ、と思い
私は私で、全然気にもせず、カフェオレを作っていた。
返事がいちいちなくっても、なんでもいいのだ。
私が、ごきげんだから。
父も、父が ごきげんだから、それでいいのだ。

おいしい焼きたてのパンと、温めのカフェオレ。
私と、父と。
お互いが無愛想でも、なんとなく幸せで。
全く気にせず、自分のリズムでマイペースな私たち。

無理矢理に合わせないで
ただ、パンが美味しいといういい感じ、を共有するから
無理せずに、私たちは自分のペース生きていられる。

私は 温さが消えないうちに、幸せが消えないうちに
パンのおいしさだけが 逃されなければ、それでいいのだ。
みんなで一緒に、何かをすることなんて、ここではしなくていい。

今日も、ゆるい朝ご飯を楽しんだ。
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三ヶ月後の予定

2009-07-04 23:59:34 | いずね家の話
私が起きたら妹がベースを練習しようとしていた。
…としようとしていた、というのは正しくないのかもしれない。
できないでいた、という方が本当は正しい。
なにせ、チューニングできないで、私を呼んだのだ。

私は音楽は一切、解らない。
昔はピアノをしていたらしい。
らしいと言うのは、母が保育士を仕事にしていた人なので
母から習っていたらしいのだが、なにせ3歳の頃。
覚えているのは、母の指と横顔だけ。

それ以降はピアノは私のおもちゃだった。
音を出すだけで私は楽しいので、以降は鍵盤に触れていない。
今もそう。音が出ることが面白い。

小学生の頃にリコーダも授業で習ったのに
楽しさがイマイチ解らなくて、最後までやらされた、といった感じだった。
先生が怖くて、必死にしたけど、嫌々やったら出来なかった。
音楽はこの時に「関わりたくない!関わるものか!」と思った。

それから何年か経って、必死に拒んだはずである音楽は
私の身近な物になった。
ミュージシャン志望の人間がいて
綺麗な音や面白い音を出す人に出会い
そして、まさかベースのチューニングをさせられる日が来るとは
思っても、考えても、みなかった。
なにせ、私の音楽の成績は、1なのである。
アヒル以下だ。
アヒルさえ溺れてしまったので、足一本でシンクロ状態だ。

妹に説明書を貰い、読むと、あっさりできる。
謎だ。
音符も未だに読もうとさえ思わないし
楽器を弾こうと妹のように思わない私が
妹にチューニングの説明を要約している。
軽音部員、それでいいのか…と妹に心の中で話しかける。

妹は「おかしいなぁ、うちがやっても できひんかったのに」と言う。
私もおかしいな、と思って「そうやな」と言って笑いかけた。
練習用のDVDを観ながら必死で練習する妹は
私と違って、音を奏でることが楽しいのだろう。
剥離骨折した右手人差し指のギプスが外れたばかりなのに
一生懸命、練習している。

私もバイトへ行く時間まで、そこで音を聞いていた。
「音が違うよ」と私が言う。
「嘘〜」と妹が言う。
リズムがちょっとだけ違ったり
別の音が震えていることを私は聞き分ける。

2人でテレビ画面を見ながら、リビングで私はソファーに座り
妹はイスに座って、練習していた。
私は音を出すことには興味はあっても
弾くことには興味はないから、見ている方が面白い。
妹の指ばかり見ていた。

バイトから帰ると
「今日の分、マスターしたでー!」という威勢のいい声がかかった。
「そうかー、指気ぃつけやー」と私は返す。
剥離骨折が酷くなると、また練習できなくなるだろうと
お姉ちゃんは先を心配するのであるが、反発されてしまった。

姉の心、妹知らずか。
妹なりに練習が遅れているのに
文化祭が3ヶ月後に迫っている事を気にしているのだろう。
根性と威勢はいいので、彼女ならできるだろう。
三ヶ月後、私は彼女の文化祭に現れる予定だ。
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パパ

2009-06-28 21:55:53 | いずね家の話
「宇宙を持っている」というモーニングコールを受けて
目が覚めた。
モーニングにはほど遠い時間だと電話の相手から聞き
眠りすぎた!と予定もないのに少し慌ててしまった。

そのままなんとなく散歩に出かけた後
今日は父と買い物に行ってきた。

「お父さんの間では、浅漬けを漬けるのが流行ってるん?」
大学の数少ない友人の父親はぬか床が好きで
毎日かき混ぜているらしい。
らっきょも漬けているらしく
家中がらっきょの匂いでたまらん!という話を聞き
もしかしたら、居場所のない父親達はぬか床をかき回すことによって
居場所を確保しているのか・・・?と考えて父に尋ねた。
父も浅漬けを作るのが大好きなのだ。

その瞬間にふと、
そうか、この人は私の『お父さん』なのか、と思って
なんとなく気持ちが悪かった。
どことなく、居心地が悪い感じ。

『パー(パパ)』と私は呼んでいる。
何でパパ…?
この歳になってパパはなしだろう、と私も思う。
が、どうしても『お父さん』と呼べぬまま、この歳になった。
呼ぶ時期を逃すと、なかなか『お父さん』と呼べないのだ。
私は母も『ママ』である。

下の名前で呼ぶことも考えたが、私にとってこの人はパパである。
なぜか『お父さん』ではないのだ。
何回もチャレンジしたのだが、結局『パパ』。
きっと歳がいくつになっても『お父さん』なんて恥ずかしくて
なんだか呼べずに、私がオバサンになっても
私はきっと『パパ』と呼ぶのだろう。

赤い買い物かごをぶら下げて、細身のワイシャツを着て
メタボっぽいお腹が強調される。
服が大好きな父は、ちょっと若く見える。
メタボでも、それが私の父自慢だ。
性格が合わなかったり喧嘩もするけれど
何だかんだ言って、私は父が大好きだ。

左後ろにいる私を父は呼ぶ。
私は店の色々な物に目移りして
いつも後ろを歩いている。

私が「コーラが緑や!」というと
「ああ、ほんまやなー」
「…買わへん…?」
私は未だに買って、とか、欲しい、が上手く言えない。
「入れ」と言って買い物かごを差し出してくれた。
顔が少しにやけていたのは、なぜだろう?
父も緑のコーラが好きなのだろうか…
冷蔵庫で冷やして、明日の夜か朝かに一緒に飲もっ!と思った。

2人で並んで歩くと
私たちの背はあまり変わらない。
いつの間にか、パパは小さくなっていく。
素直になるまで、私はいったい後何年くらいかかるのだろうか。
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おばあの日

2009-06-27 22:46:39 | いずね家の話
おばあの誕生日(今日ではないらしいが)ということで
ご飯を食べに出かけた。
回転寿司だった。
私が生ものを食べないことなんて
忘れられているらしい。
私はお子さま皿を並べるしかない。

まぁ、おばあの日だから、おばあが喜べばいいのだろう。
叔母の計画では、外に食べに連れて行く、ということで
この計画が行く二時間前に決められた。
父曰く、おばあには回る寿司は珍しかろう、ということらしい。
そう、おばあはこの日、初めての回る寿司。
現代の寿司はおばあには、異国なのかとも思う。

おばあは、おばあから見て右側に娘(私の叔母)
左側に息子(私の父である)に挟まれ
黙々と食べる。

肉のたれた頬をほよほよと動かして
シワシワの血管と骨の浮く手で箸を持ち
寿司を食べる。
叔母が聞いても適当に頷き、口へと運ぶ。
食べるだけで必死らしい。
なにせ、歯ももう無いのだ。
昔は入れ歯をしていたが、もう面倒なのだろう。

私が食べていた甘ったるいパフェを指さして
あんなんないかー、と私に言う。
注文しおばあに渡すと、黙々と食べる。
みんなはおばあに和菓子を食べさせようとしているが
おばあはこういうものが好きだ。

私は知っている。
おばあの秘密。
おばあは、和菓子より洋菓子派なのだ。
生クリームに、アイス、クッキー、ビスケット。
私と同じようなものを、いつまでも食べたがる。
硬くても、冷たくても。いつまでも。

叔母と別れるときに
穏やかな顔で「おおきに」と言っていた。
あまりに欲がない。
数年前なら、もっと欲望が渦巻いていたのに。

この人、死ぬのかなーと永遠に続くはずの時間が
ふと、止まった気がした。
死と生は別の物として捉えられている気がする。
だけど、生の延長線、死はただこの先にあるものなのだ、と
おばあを見ながら思った。
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おばあ

2009-06-25 15:26:32 | いずね家の話
おばあが出かけるというので
車を出そうとしたら
「タクシー呼んで!」と言われてしまった。
しかたがなく、私が家の固定電話から
タクシー会社に連絡をいれた。

おばあも薄々、私の運転の危険性に気が付いているのかも知れない…
歳を取るとカンが働くのだろうか…?

今月でおばあは、89歳になった。
日にちを誰も知らないのは
それほどおばあが年寄り、ということか。
私は、おばあの歴史を知らない。
生まれた日も、育った環境も、過ぎ去った時代も。

ただ『彼』が現れたときだけ、乙女の顔は私も見る。
(おばあの彼ではなく、私の彼である)
にこぉっと笑って、ちょっと恥ずかしそうだ。
いつも洗濯物をいじくり回すために
頭にはタオルをほっかけて、白いそのタオルの中から
顔だけが丸く見える。

彼曰く「おばあ、マメみたいやな〜」だそうだ。
その顔は、恋する乙女の笑顔にも見えるし、
赤ん坊の様でもあるし、だだの婆さんにも見える。

でも、今のおばあが、私の知る全てのおばあだ。
全身を藤色の服でおおい、黒い靴をはいて
赤茶の古びたとってのある杖を持ち
よたよた、のっしのっし、といった雰囲気で歩く。

曲がった腰でよたよたと歩く姿は、のろい。
私に嫌がらせでもしているのか、と思うほどに、とろい。
ああもう、わかったから担がせて!というほどに。

老人の動きは遅すぎて、嫌になる。
ときどき、嫌がらせか!と思う。

でも、そんなことはなくて、
そう言う風な歩きが、おばあの歩き。
嫌がらせじゃなくて、おばあの精一杯、と思うと
なんとなく、その姿が愛らしい。
必死で歩いているのだということを知ってしまうと
もっとだらだらと長生きしてくれーとも思う。

今日は、皮膚科らしい。
何やら、手に巻いている物を
まき直して欲しいだけだというので、
私がやろうとすると、医者いくー、と言うので
それがおばあの安心する方法なら
まぁ、それでいいか、と私は思った。

先ほど、おばあが帰ってきた。
のしのしと地面を踏んで、ゆっくりと。
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育ての家。

2008-11-11 20:37:15 | いずね家の話
いずねの家は、実は いくつかある。
そのうちの一つが、ここ 育ての家。
母方の祖父母の家である。
保育園のころは、こちらの家から通っていた。
といっても、朝 父が祖父母の家まで私たち兄弟を送り届け
祖父が私たちと、私たちのいとこ 子供ばかり計6名を
車で保育園まで送り届けていたのだ。
今考えると、結構重労働だったのではないかと考える。

今月の頭に、その祖父が入院した。
癌の疑いがあった為の検査入院だったが…
祖父が もう死んでしまうのではないかと、密かに焦っていた。
癌=死 を安直に結びつけるのも嫌なのだが…
どうしてもよぎってしまった。根深い因縁の対決か?
でも、人間はいずれ死んでしまう。
それでも、その人間との関係は 死なないと私は思う。
でも…だからといって、生きていても死んでいても、同じとは思わない。
生きていてくれたほうが、やはり嬉しく思っている。

心配していたのだが、検査が終わるとあっさり退院。
癌ではなかったようで、安心した。
先週の土曜日に、兄弟達と父は 祖父へ会いに行ったが
私はまだ会っていなかった為、シュークリームという名の手みやげと
相田みつを のカレンダーを持って会いに行った。
私は今日、会うつもりはなかった。
虫の知らせのような物が、私を呼んだ気がしたので
本当は予定があったのに、無理矢理に予定を変更した。

彼らには何も告げず、こっそりと家に行き「どうも〜」と言って
家に入った。一瞬、2人がぽかん…としたのが解った。
そのあと、ぱぁっと2人の顔が明るくなり私の名を呼んだ。
こんなに歓迎されたのは初めてだった為、今度は私が ぽかん…とする番だった。
無礼だ、といって怒られるならまだしも、こんな歓迎のされ方は前代未聞で
どうしていいか解らずに、ひとまずシュークリームを渡した。
手を洗いに行き、自分用の紅茶を入れてイスに座った。

座ると、どちらからともなく喋った。
一方と喋っているともう一方から、全く別の会話がふられ…
私は片方と会話すると、もう一方と会話ができず。
また最初からの会話が始まるのだった。
奇妙な話し合いをしながら、祖父と私はシュークリームを食べた。

ここへくると、悲しくなる。必ず、母の話が出る。
母が亡くなり、もう15年ほどだろうか。
2人は 悲しそうに私に語る。
15年の月日が経ち、私は小さな女の子ではなくなってしまった。
祖父母も、私と同じ年月分の歳を取った。
あれから、何が変わったのだろう?そう思っていた。
私は、何も変わっていないと思っていた。
でも 2人は私に悲しみを話せるほどにまで
何かを受け止めていた。月日の流れを知った。
ときどき、立ち止まったままの女の子が 私の中にいることを私は知っている。
それももうすぐ いなくなってしまうのだろうか?

話の流れの中で、私に祖父が「金に困った時にだけ来い」と言った。
お金も大事だけど、私はお金より大切な物を知っているよ?
そういって、今日拾った落ち葉を見せた。
子供っぽいかなぁ?と言って、私は首を傾げた。
それは ブログに載せるつもりで、大学で拾った物だった。
祖父は、落ち葉が紅葉するなんてそんなこと、なんでもないだろう?と
愛媛の出身の為、愛媛の言葉で言った。
赤い桜の落ち葉は、私には綺麗に見えた。
だから、時間を止めたくて、押し花にでもしようと思っていた。
あんたは母親に似とるね、と言って祖母は大切そうに
どこか懐かしむように、私の落ち葉を自分の手帳に収集した。
私はあまり家から出られない祖母に季節を届けられたのが
嬉しくて ブログに載せるから返して、とは言わずに
落ち葉達は手帳の中に置いてきた。

父が迎えに来て、2人の家から私が帰る時が来た。
祖母が私を玄関まで送ってくれた。

帰りの車の中、私は父に話しをした。
落ち葉の話をすると、父はシュークリームはお金で買うのに
落ち葉はタダなのだから、大切なのはお金だろ?と
呆れた様子で でも、少し笑っていた。

お月様が追いかけてくるよ?どうして?
そう言って、父を困らせていた小さな女の子も
一緒に車に乗っていたのだろうか?
なんとなくあのころの関係が、車の中にも 漂っていた。
車の中いたのは、小さな女の子と父親の2人だったのかもしれない。

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