いずなの雑記帳

読書、哲学、将棋

計画の弊害

2017-04-20 09:41:36 | 日記
 計画は、それが達成できるか否かはたいして重要でない。計画を立てたことで、それだけで何か偉大な事業でも成し遂げられたような錯覚に陥る。これが問題なのだ。
 計画者は自分が練り上げた計画書をほれぼれと見る。彼の綿密な計算により、この計画は達成されて然るべきであると本人は勝手に思い込んでいる。自分がさも偉大な人物になったかのように空想する。
 ・・・言い換えれば虚栄心である。虚栄心は驕りにつながる。驕りは強欲につながる。そして、果せるかな、強欲が計画の頓挫につながるのである!
 計画を立てるという行為それ自体が計画の頓挫を引き起こすのだ!

 計画がもたらす弊害はもう一つある。すなわち「達成して当たりまえ」という錯覚である。
 計画の立案という行為は、ある一定の目標水準を定め(この水準は「論理的に」算出されたものでなければならない)、それを超えれば「合格」、下回れば「不合格」となる(この「合格」とかいう言葉は無性に私をイライラさせる)。
 で、目標の達成、すなわち「合格」は当然のこととして扱われる。もし「不合格」であれば罵声と嘲笑が浴びせられる。なぜ当然かといえば、それが「論理的に」考え出されたからというのである。
 なるほど「論理的」というやつは大層立派なものらしい。しかしこの「論理的」というやつの欠陥など挙げたらきりがないほどである。「論理的」が絶対的な基準なら、なぜ世界中で債務不履行が頻発しているのか?

 ある目的に向かって努力するという行為それ自体が、何か漠然とした不自然さを感じさせる。先に言ったように計画を立てるという行為それ自体が欲望を惹起するし、仮に達成したとしても「達成して当たりまえ」なので大してうれしくないのである。
 ではどうすればいいのかといえば、計画など立てなければいいのである!
 飽きたらやめればいい。気が向いたらまた再開するのもいいだろう。
 それが最も「効率的」なのだ。その一瞬一瞬を生きればいいのだ。過去の遺物など捨て去ってしまえ!
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