消えゆく霧のごとく (クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)

青くきらめく相模湾、遥かに霞む房総・三浦半島。伊豆の山から何事もなき日常を綴ります。時に、世間の俗事を織り交ぜつつ!

教育勅語のどこが悪いか、という論調の悪いところ

2016年12月23日 09時24分56秒 | 困ったのう!

 あした22日にアップします、必ず。2016-12-21 19:22:42掲載予告送稿
 以下、2016-12-23 00:44:24送稿

 あたり前田の11徳目
 「我ガ皇祖皇宗ノ遺訓」ではありません!
 

 Izukunブログ12月18日付「ABの夫婦にゃ、心底あきれかえりました!(付け足しあり)」 その記事はこちら で、いまどき教育勅語なんかを振り回して、おさなごに暗誦までさせているのがいることにキョーガクしたのですが、考えてみればこのようなところに間違って入園させる親というのは極めて少ないだろうと思い至りました。
 つまり、このような保育プログラムを実施する側と、子どもをそこへ入園させる親側(これは実際はその親、さらにその親が源であろう)は、同じ穴の中にいる、いわば同志のようなものであるので、穴の中で何をやっていようが「勝手にやってな」で済む話なのかもしれんと思いました。(しかし、このような幼稚園が教育勅語に代わる教育基本法の適用を受ける機関であり、なんらかの公的補助を受けているのだとすれば、まったく問題を生じないとは言えないでしょう。また、いまや何でも出来ちゃうAB、その嫁が名誉園長としてお墨付きを与えるのは極めて問題ですが、ここでは検討しません。)

 で、今回わざわざ教育勅語を取り上げてみようと思うに至ったのは次のような次第によるものです。

 まず、前回記事で引用しました、
 恐ろしい時代だ、、、これ見て違和感ないんだろうか?
   【安倍昭恵さんが名誉校長】戦前の軍国主義の象徴とされる「教育勅語」を園児に暗唱させる愛国幼稚園が人気!

  驚くべき内容はこちら
の「驚くべき内容はこちら」をクリックすると、一瞬、冒頭部分が見えたあと、ただちにコメント欄のどんケツに移っていきます。
 そこには、クンちゃんコメントがのっかっているんですが、そこから上に繰り上がって行きますと、「12」番目のコメントとして「フィッツジェラルド」というお方が、おおかたの「なるほどねえ」ちゅうような擬似共感を得られそうなことを書いておられます。私は、すべてを足して2で割ったような印象を受けました。また、次の引用に出てくる「憲政史家」とかいうご仁は、いったいどういうお方なのか、呆れてモノが言えません。

 余談ですが、憲政史家の倉山満氏は、教育勅語が悪いというなら「逆教育勅語」で教育してはどうかと皮肉交じりに提案しています。「親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です」といった内容です。

 このフィッツジェラルドさんのけっこう長いコメントを読んで、クンちゃんは、「こういう、いかにももっともらしく見える、聞こえる間違い、あるいは間違いではなく恣意的言動、そういったものが横行するのは世も末」と慨嘆し、そうじゃなかんべよ、ということで当記事を書き記すことにいたしました。

 さて、私が「教育勅語」に出会ったのは昭和39年ごろ、おそらく中学校2年の「公民」(社会科の範疇の一)で、前出の故笛木隆先生が担当でした。
   先生関連記事「透明な清潔な風」はこちら    同じく「むかし話・流浪の民」はこちら

 先生は、教育勅語を暗誦せよとは言わなかったですね(笑)。公民授業にはテキストないし特製プリントがあったと思われますが、まず、全文をオリジナルで2回ほど読み、口語訳も読んだうえ、勅語に出てくる12項目の「徳」を挙げたうえで、そのひとつひとつへの感想をそれぞれ別の生徒に求めました。
 
 その徳目とは、次の12項目です。(Wikiより引用)

 1.父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
 2.兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
 3.夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
 4.朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
 5.恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
 6.博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
 7.學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
 8.以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
 9.德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
 10.進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
 11.常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
 12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう

 生徒と先生との間でどのようなやりとりがあったかは覚えていませんが、先生はこれらのうち1から11番までは別段に天皇の言葉である勅語で触れるまでもなく、全世界共通、いずこの民族、いずこの社会でも徳とされる普遍的性質のものである。あたりまえのものをものものしく持ち出してくるときには、お前さん方は十分注意する必要がある、と教えたのでした。当時流行の「あたり前田のクラッカー」をもじった「あたり前田の11徳」であり、これらの徳がオリジナル文に見える、「我ガ皇祖皇宗ノ遺訓」などでは断じてありませんよ、と明快に説いたのでした。

 (ここでもう眠くて限界なので、すいませんが、きょう23日に続行します。)
  以下、2016年12月23日 09時24分56秒 投稿
 また、これら11の徳は、すべて12番目の「(陛下の赤子たる臣民=国民は)天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂されていく構造になっている、とも説明されました。11の徳目は、すべて12番目の「森」を形作っている「木」である。11の徳を高々と掲げて「教育勅語のどこが悪いか!」などと為にする議論を仕掛ける輩がいるが、こういうのは皇室を擁護したいだけの意図で、わざわざ「木」だけを見て、「森」を見ない愚かな人間である、とも喝破されたのでした。この悪しき「森」のために、本来善良なるものの典型である11の徳がいかに悪用されたかは周知のことでありましょう。

 現在、ネット上には教育勅語に関する多くの記事が見られます。いろんな立場の人がさまざまに論じているのですが、中には思わず苦笑せざるを得ないものも多々見られます。私は、この問題を考える視点というものは、やはりもともとの意図、すなわち原文の指し示していた趣旨を勝手に捻じ曲げてはいけない、という点だと思います。勝手に改竄して、現代社会に合うような口語訳に仕立ててあるものもあり、よくよく注意が必要です。

 例えば、12番目の徳「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」について、Wiki 訳を上に便宜上アップしていますが、やや物足りません。
 しかし、「黎明」というサイト  http://reimeinews.jp/index2.html/kyouikuchokugo/ では、「国家に非常事態発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。」となっているのですから、Wiki 訳はかなりまともです。黎明訳では、原文の最も重要な要素である「皇運」は、裸足でどこかへ逃げて行ってしまったようです。現代での復活を狙っているのかどうか知りませんが、このような為にする“改竄”は世人を欺き、同時に自己の信じる立場を冒涜するものでありましょう。

 一方、「教育勅語と現代文訳」 http://chusan.info/kobore8/4132chokugo.htm  というサイトでは、「もし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。」ですから、オリジナルの趣旨がきちんと反映されていると思います。

 驚き! 
 昨晩はどえらい風雨が吹き荒れましたが、今朝は快晴。
 吹き倒された雑物を片付けに庭に出たついでに〒ポストを見ると、
 なんと、前記笛木先生の娘さんから、クリスマスカードが届いていました!
 うれしーい!
 春先に笛木夫人に心ばかりのものを送ったお礼でした。
 突然に、なつかしいお便りでした。

   
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