以蔵の徒然日記

お気楽以蔵の気ままな生活

宮澤賢治と新たな出発

2012-09-02 10:40:07 | 歴史

8月27日(月) 

今日は引越しの日

人(犬)生初の 1年に2度の引越しとなる

仙台西部地区から東部地区へ移ることになるが

冬場の雪はどうなんだろうねぇ

そして何とハハが大好きな宮澤賢治ィの誕生日なんよ~ん

Photo_2

1896年(明治29年)の この日に今の岩手県花巻市で生まれた

Photo_3 Photo_4

誕生2ヶ月前の 6月15日には東北三陸地震による津波で

大きな被害を受けた時である

今日はまたもこんな感じで・・・

賢治の生きた時代は 世界中で戦争がおき

地震・津波・不景気・・・天災、貧困で苦しみ悲しむ人々が多くいた時代

そんな人々を見ながら宮澤賢治の世界観がつくられていったのだろう

日本のレオナルドダビンチ(とチチとハハは思ってる)とも言える

賢治が係わった農業 ・ 芸術 ・ 詩と童話 ・ 宇宙と科学 ・ 

信仰と宗教 すべてが賢治の描くドリームランド 「イーハトーブ」の

世界につながっているのかも知れない

Photo_5 Photo_6

       銀河鉄道の夜                    注文の多い料理店

Photo_7 Photo_8

     セロ弾きのゴーシュ                    風の又三郎

1931年(昭和6年) 病気がちだった賢治は療養生活中に

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」を手帳に書きとめている

そして1933年(昭和8年) 9月21日 逝去 享年37

まだまだ若い賢治の最後の年となる この年の3月3日には

昭和三陸沖地震が発生し津波による甚大な被害を受けている

1 2

驚くことに 1923年(大正12年) 1月 妹の病気悪化のため帰郷し

8ヶ月後の9月1日には関東大震災が発生している

賢治の人生に触れ、単なる偶然とは言い切れない

何かを感じざるを得ない 不思議な縁ともいうべきか

因縁でもあるような気がする

チチとハハはもう少し涼しくなったら また 花巻から遠野へ

1泊旅行でもしたいなぁ~と・・・

とにかく今日は宮澤賢治とともに出発、門出の日となりました 土佐ぁ

2012881  ごめんなすってぇ 

Photo_9 イーハトーブ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡田以蔵とは・・・

2012-02-17 15:39:36 | 歴史

2月14日(火)

バレンタインデーのこの日は岡田以蔵の誕生日です

この人が誕生していなければ僕の名前も以蔵ではなかったし

人噛み以蔵? は存在しなかったであろう

今回は久しぶりにこんな感じで・・・

岡田以蔵は1838年2月14日 (旧暦 天保9年1月20日)に

土佐郡江ノ口村の足軽の長男として生まれた

その地には以蔵を含め、七軒の家が並んでいたので

七軒町と呼ばれていた

それにちなんで土佐勤王党の密書や文書の中には「七以」と出てくるが

どうやらこれは以蔵を示す暗号だったようだ

以蔵は1856年安政3年9月に武市半平太と江戸に出て

江戸の三大道場である「士学館」で剣術を学んでいる

12527

  士学館(中央区銀座1-25-27 桃井道場跡)

 

丁度同じ時に龍馬さんが桶町千葉道場で二度目の剣術修行のため

江戸に来て、武市と築地の土佐藩邸中屋敷で一緒になっている

 

28 Photo_3

     桶町千葉定吉道場跡        土佐藩邸中屋敷跡

   (中央区八重洲2-8)          (中央区役所)

 

この時に以蔵と龍馬さんは交流をもったのでは・・・

でも今では、じぇんじぇん情緒がないじゃないですかぁ

 

1861年文久元年に結成された、土佐勤王党にその後加盟するが

血盟書の写しからは、以蔵の名前が削られている

翌1862年文久2年の土佐勤王党と相反した土佐藩参政 吉田東洋の

暗殺以降は、その犯人を捜していた井上佐市郎をはじめとし、天誅と称した

暗殺を繰り返し、京都では「人斬り以蔵」と呼ばれ恐れられていた

Photo_4

          吉田 東洋

 

1863年文久3年には龍馬さんから頼まれ、幕府から

神戸海軍操練所の運営を任されようとしていた勝先生の

護衛をしている

Photo_5

  神戸海軍操練所跡(神戸市中央区新港町周辺)

Photo_6

     勝 海舟(勝 麟太郎)

 

以蔵にとっては一番輝いていた時ではなかったか・・・

その腕を見込んで勝先生は以蔵をジョン万次郎の護衛に

つけたというが定かでない

Photo_7

     ジョン万次郎(中浜 万次郎)

 

勝先生は武市の以蔵に対する扱いを思い、龍馬さんと同じく武市から

離れるように促すが、頑固な以蔵を引き止めることはできなかった

Photo_8

          坂本 龍馬

 

1863年文久3年 会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派が

長州藩を主とする尊王攘夷派を京都から追放したクーデター事件

「八月十八日の政変」以来、土佐勤王党の勢いは衰え

土佐藩では同士がことごとく捕らえられ、武市を除いて厳しく

拷問を受けた

武市はこのままでは以蔵が全てを自白するだろうと思い

以蔵の毒殺を図ったが未遂に終わった

Photo_9

   武市 半平太(武市 瑞山)

 

武市の裏切りを知った以蔵はこれまで拷問に耐えてきたが

ついに屈し、自分の罪及び天誅に関与した同士の名前を白状し

1865年6月4日 (旧暦 慶応元年5月11日)打ち首となった

頑固で一途だった性格が災いしてか

信じていた人に裏切られた結果であった

その時の辞世の句が

 「君が為 尽くす心は水の泡 消えにし後ぞ(は) 澄み渡るべき(空)」

自分のやってきたことを理解し、安泰の世を願ったのだろうか

 

 

土佐を感じて・・・

「よさこい節」

高知の城下に来てみや

じんばも ばんばも よう踊る

鳴子両手に よう踊る~ よう踊る

1.土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た

                             よさこい よさこい

2.御畳瀬(みませ)見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜

                             よさこい よさこい

3.言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎより

                             よさこい よさこい

 

そして僕のお酒 「夜さ恋」

Photo_2

 

 

Jpeg 以蔵

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

そして今日は龍さんの・・・

2011-11-16 19:54:03 | 歴史

11月15日(火)

またこの日が来てしまった

そうです 龍馬さんの誕生日であり、暗殺された日

この日が休日であれば京都霊山護国神社で龍馬祭に参加するのだが

仙台からは一層遠くなってしまった

チチとハハは横須賀の「龍馬におまかせ!」で「夜さ恋」を飲みながら

皆んなと龍馬さんを偲び語りあいたいのだろうが・・・

龍馬暗殺の場所 「近江屋」は河原町にある京阪交通社の前に

その碑はあるが・・・

 

Photo_15

 

僕が生まれる前に、すぐ近くの木屋町でチチとハハはよく飲んだらしい

 

2 1_2

この静かな川沿いが何とも情緒があり飲まずにいられないらしい

龍馬さんも高杉さんも新撰組もここを歩いて飲みまくっていたのだろう

それにしても何とも不穏な動きをしている伊東甲子太郎が気になる

今は亡き倒幕派の公家や薩摩藩はどう思っているのだろうか?

龍馬さんが生きていたらTPPはとっくに参加しているのだろうか?・・・

余談だが国会議事堂 中央広間の四隅に銅像がある

 

Photo_16

伊藤博文、板垣退助、大隈重信   四隅なのに3対?

残す一角には誰が?・・・

いずれも、近代日本の建国と発展に貢献した偉人達である

ここに岩倉・大久保・西郷さんはいない

まして龍馬さんや高杉さんは・・・

2_2 完全にいってしまっている

        高杉晋作

余談だがここで高杉さんの一句

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

これに福岡の野村望東尼(女流歌人)が続けて

「すみなすものは 心なりけり」

つまりこの世を面白いと感じるか、面白くないと感じるかは

心の持ち方次第であると言う意味

病床にあった高杉さんはそれを聞いて「おもしろいのぉ」と言ったあと

息を引き取ったと言われているが・・・

本当に面白いと思ったかは定かでない

高杉さぁ~ん 貴方かなり遊んだはずじゃないですかぁ

震災のあった今年もあと僅か 来年は「龍年」

もっと平穏で大らかに生きたいものだが・・・

 

 

Photo  海援隊

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本の夜明け・・・

2011-07-01 02:02:36 | 歴史

1869年6月27日(明治2年5月18日)は箱館戦争終結の日

本当の意味での日本の夜明け・アジアにおける唯一「近代国家の幕開け」の

日になるんです

またまたこんなお話で・・・ あっちっちな梅雨なもんで

慶応3年11月15日(1867年12月10日)に龍馬さんが暗殺されてから

ものすごい勢いで時代が動いていった。

慶応3年12月7日(1868年1月1日)には、龍馬さん暗殺は

いろは丸賠償金の恨みを持つ紀州藩だと疑い、海援隊の陸奥宗光を中心に

15・6人で天満屋に奇襲をかけ、紀州藩士 三浦休太郎を護衛していた

新撰組とも壮絶な斬り合いをした。

Photo_3     Photo_5

         海援隊                      新撰組

Photo_10   2

 西部劇にあこがれた陸奥宗光(陸奥 陽之助)  (鞍馬天狗?)

慶応3年12月9日(1868年1月3日)には「王政復古の大号令」により

江戸幕府の廃止とともに明治新政府の樹立が宣言された。

慶応4年1月3~(1868年1月27日)の「鳥羽・伏見の戦い」をかわきりに

戊辰戦争が始まった。

Photo_2

 錦の御旗

これはあかんと思う!

そして明治元年4月11日(1868年5月3日)には勝先生と西郷さんによって

江戸城の明け渡し(江戸城の無血開城)が行われた。

Photo_9

   西郷隆盛         勝 海舟

その後の徳川家への処置を不満とした榎本武揚は

軍艦8隻で品川沖を脱走し、仙台を経て蝦夷へ向かった

Photo_3   Photo_4

     榎本武揚                     蝦夷へ向かう旧幕府 Photo_5

榎本脱走艦隊(左から美賀保丸、長鯨丸、咸臨丸、開陽丸、回天丸) くぅ~!

 

その間 上野戦争(彰義隊)・会津戦争(白虎隊) 等を経て

箱館戦争に至った。

明治元年12月15日(1869年1月)には蝦夷地を平定し

旧幕府軍は榎本武揚を総裁とする箱館政権(蝦夷共和国)を樹立した。

Photo_6   Photo

         五稜郭                        箱館政権幹部

何と僕のハハの誕生日ではないですかぁ

「五稜郭」に本陣を置くが、それも虚しく新政府軍の猛攻撃におされていった。

旧幕府軍にいた「鬼の副長」といわれた新撰組の土方歳三も

最後には仏のように優しかったとさ・・・

Photo_7   Photo_2

     土方歳三

そして、1869年6月27日に「五稜郭」を開城  

旧幕府軍は降伏し、戊辰戦争は終結した。

本当の意味での「日本の夜明け」なんよ~ん

1869年8月6日(明治2年6月29日)戊辰戦争での朝廷側の戦死者を

慰霊するため、大村益次郎により「東京招魂社」(とうきょうしょうこんしゃ)として

創建されたのが、今の「靖国神社」

龍馬さんは祀られているが、新撰組や彰義隊は祀られていない。 トホホ

しかし、幕末維新によって多くの尊い人材を失ったことを

嘆いてつくった神社であることは間違いない。

皆んな 日本の未来を考えていたのにねぇ

「荒城の月」の歌が身にしみる・・・

 

Photo_11 旭日旗  Jpeg_3 以蔵

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

澄み渡る空?

2011-06-05 17:59:25 | 歴史

6月4日 (1865 慶応元年5/11)は岡田以蔵の命日です。

そうです。 僕の名前はここから生まれたのです。

人斬り以蔵にちなんで「人噛み以蔵」とは僕のことです。

今回は、岡田以蔵の話を少しさせて下さいまし。

岡田以蔵は土佐に生まれ、龍馬さんの2歳年下になります。

が嫌いな武市さんに誘われて

Photo_2

    武市半平太

「あっ土佐!勤王党」に入りましたが名簿には載っていません。 Why?

その後、武市さんに頼まれて京都で天誅三昧・・・闇討ちだね!

そんな物騒な時、龍馬さんは神戸海軍操練所ができる前に

1863 3月(文久3年)

岡田以蔵を勝先生の護衛につけたんだねぇ・・・

龍馬さんは武市さんと考えが違ったから

以蔵を心配して、武市さんから離したかったのかもしれない・・・

ジョン万次郎さんの護衛も勝先生に頼まれたりしたり ラジバンダリ・・・

1863 9月(文久3年8月18日)

八月十八日の政変 以降は土佐勤王党も失速し

1864 6月頃 京都で捕まっちゃったんだもんねぇ~ 

勤王党メンバーは皆んな厳しい拷問にあったけど武市さんだけは

大丈夫だったみたい・・・

岡田以蔵の辞世の句に

「君が為 尽くす心は水の泡 消えにし後ぞ (は)澄み渡るべき (空)」

とあるが、君とは誰のことだろう?

天皇? 龍馬さん? 武チィ~?・・・

大政奉還・王政復古の大号令まであと2年のこと

今の時代のごたごたにも似てるような・・・

岡田以蔵の純粋孤独で寂しげなイメージが今の人の心にも

共感を得るものがあるのかもしれないなぁ。

岡田以蔵の墓は高知にありますが、今でも多くの人が

献花に訪れるそうです。

Photo

僕は現在のあきれたごたごたをよそに

違いが分かりづらい新しいお布団にすっぽり入り、

スイカを食べる夢を見るのです。

P6040004   P6050005  

はっきり言って眠いっす。

Jpeg 以蔵

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

横浜開港記念日ですが・・・

2011-06-05 17:52:14 | 歴史

6月2日は横浜開港記念日でした。 今回はこんな話で・・・

安政6年 6月2日のことですが、新暦で言う1859年 7月1日に開港し

現在の横浜税関近くに東西2つの波止場をつくりました。

それがあの「象の鼻防波堤」のあたりだと思います。

Photo_2   2

     「象の鼻」今                     「象の鼻」昔

Photo_11

      横浜港の開港 上陸風景

山下公園とみなとみらい地区に挟まれた「大桟橋」のところが

まさに日本の開港、幕開けの地になるんです。

大桟橋の入口には横浜開港資料館(旧イギリス領事館)があり

ここで、日米和親条約が結ばれたんよぉ~ん

Photo_5

横浜税関から写した明治の居留地の写真だが、この辺りかなぁ?

僕のお決まりの散歩コース 

行きは山下公園から大桟橋を超えて赤レンガ倉庫

帰りは横浜税関から廻ってホテルニューグランド経由

(山側の方が直射日光にあたらない 僕には一番!) 

Photo_6

明治時代のホテルニューグランド前海岸通り

 

ちなみに山下公園は大正12年の関東大震災の復興のため

多くの瓦礫を埋めてつくった日本初の臨海公園でっせ。

緒方先生に習った福沢のユキッチャンが開港当時の様子を見て

「せっかく死に物狂いでオランダ語を勉強したのに、看板の英語の文字が

なーんも読めん・・・」と嘆いたそうなぁ

余談ですが、「横浜3塔物語」を知っていますか?

Photo_8   Photo_9

   神奈川県庁(キング)                  横浜税関(クイーン)

Photo_10

   横浜市開港記念会館(ジャック)

この3塔は外国人の船乗りたちがトランプカードになぞってつけた名前。

外国人が出入国の際、海から目立ったのが3塔で、

長い旅の無事を願い、また感謝したのかもしれない・・・

そして、この3塔を眺めると願いがかなうと言う都市伝説がある。

「外国の船乗りが航海安全の願掛けた」という説と、

「3塔が震災などの試練を乗り越えてきたことから、カップルが困難を

乗り越えて結ばれる」という説があるけど 誰が考えたことやら・・・

あくまでも都市伝説である。

梅雨の時期の開港祭は、なかなか盛り上がらないんだよねぇ

しかも平日だし・・・

僕は台風の影響でなかなか散歩ッポができません。

P5140178

完全に別の世界に行ってます。

Jpeg_2 以蔵

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

龍馬暗殺!

2010-11-17 22:42:15 | 歴史

11月15日は坂本龍馬さんが中岡慎太郎さんと共に京都の「近江屋」で

襲撃を受け、殺されてしまった日になります。  龍馬さんの命日です。

今日は11月17日で、この2日間チチとハハはお酒をたしなみながら龍馬暗殺の

犯人は誰なのかを語り合っていました。

Photo

     中岡 慎太郎

龍馬暗殺にはさまざまな説があります。

① 新撰組

Photo_2    Photo_3

     近藤 勇               土方 歳三

② 京都見廻組

Photo_5 

     今井 信郎

③ 薩摩藩

Photo_7

     西郷 隆盛

④ 土佐藩

Photo_8

    後藤 象二郎

⑤ 紀州藩

海援隊の船「いろは丸」に紀州藩の「明光丸」が衝突しその

賠償責任を負わされる

⑥ 岩倉具視 ・ 大久保利通

Photo_9    Photo_10

     岩倉 具視              大久保 利通

⑦ 実は中岡慎太郎暗殺に巻き込まれた

いろいろと説がありますが、チチとハハは実行犯は見廻組にせよ

黒幕がいるはず。  後藤象二郎・西郷隆盛・岩倉具視・大久保利通が

複雑にからんでいると・・・

岩倉具視は龍馬さんと武力討幕の件で激論をかわしている。

岩倉・西郷・大久保は幕府及び徳川そのものを潰そうとし、王制復古を

考えている。

後藤象二郎は龍馬さんが考えた大政奉還・船中八策・新政府綱領八策等を

自分の功績にし、昇進した。 

龍馬さんは大政奉還後に「新官制擬定書」(関白・内大臣・議奏・参議)を

作成して後藤象二郎から岩倉具視にわたっている。

大政奉還で倒幕を挫かれ、船中八策・新官制擬定書で権力構想の思惑から

完全にはずれている彼らからしてみればなおさら・・・・・

更に伊東甲子太郎の動きが怪しい。  暗殺2日前に近江屋に行き龍馬さんに

危険を伝えている。 暗殺現場にはサヤと下駄が残っていてサヤは新撰組

原田左之助のもので、下駄は新撰組がよく出入りしていた料亭のものと

証言をしている。 伊東甲子太郎は元新撰組幹部で、御陵衛士として組を脱退し

新撰組解体を画策し、龍馬さん暗殺3日後に新撰組によって暗殺されている。

伊東甲子太郎は新撰組脱退後、薩摩藩と交流を持ち勤王・倒幕を謀っていた。

若い明治天皇を我がものとして操った新政府は、龍馬さんの考えとは

まったく違った方向へ行ってしまったのはその後の歴史が語っています。

僕がいたらこやつら「天誅」だな!

龍馬さんは京都の霊山護国神社に中岡さんと並んで眠っています。

皆さんはどう思いますか?

Jpeg 以蔵

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加