第二の故郷IYAMAN
マヤ・シノット
2000年に私は大学生でした。当時の私は、恥ずかしがりやで内気なマヤ でした。授業で前に出る時には、いつも顔が赤くなり、緊張していたことを覚えています。私はおしゃべりでもなかったので、他のイバロイ族と同様に「恥ずかしがりやのマンゴー」とあだ名をつけられました。ともかく、それは本当のことです。
4年後、社会福祉の学位を修了し、やっと社会にでることになりました!そしてIYAMANでの一年間の研修が始まりました。最初は、他の機関で実施されている村の組織活動に参加しました。しかし、翌年からはフルタイムで勤務することになり、次の年には、常勤スタッフとして2007年4月30日まで勤務しました。
ここで勤務した間について学んだことについては、山ほどあります。まだ時々「控えめな内気さ」は持っていますが、今なら、私は内気で「恥ずかしがりなマンゴー」ではないと自身を持って言うことが出来ます。いったいどうしてでしょうか? 4年生の時に実施した野外実習期間、ベンゲット州の村に、学生たちはそれぞれ派遣されました。残念ながら、私はラ・トリニダットに派遣されました。そこは都市化されており、私が育った村とはだいぶ違いました。その代わり、私はグループワークとケースワークの概念と理論や、インタビューの仕方を学ぶことができました。
その学んだことをIYAMANではすぐに、応用する機会が与えられました。例えば、奨学生やその親との個別の面談の際に、IYAMANでの年間評価といった時に。村での様々な活動に応用されたのです。村人の心を一つにするために、様々な語りかけや配慮が必要とされ、活動も楽しく行わなければ、人は集まってきません。会議のときには、頭を休めるための歌や、歌に動きをつけ踊るといったことも紹介し、また個別に接することが必要な場合は、積極的に話をしに家を訪問に行きました。IYAMANの活動している村で私たちが行ってきた活動内容は、まさにコミュニティの組織化で、それはソーシャルワーカーとして、特に村開発を学ぶことの基礎となりました。
先ほど述べたこと以外にも、IYAMANにおいて、奨学生として、またスタッフとして、研修生として、様々なことを経験し、特に、日本やタイ、そしてカンボジアといった異文化との出会いなどは、誰でも経験できるというものではありませんでした。海外だけでなく、子供時代から大学まで、ベンゲット州の他の市町村についてあまりなじみがなく、いくつかの場所の名前を聞いたことがある程度でしたが、国内のほかの地域であるヌエバ・ヴィスカヤやバコロドといった地方を訪問したのもIYAMANの活動を通してでした。その地域への訪問は、単なる訪問というよりは、人々や文化との最も大切な出会いでした。
SLUでの社会福祉コースに入学する前に、BSUで教育を学んでいました。最終的に社会福祉を勉強することになったことを後悔はしていません。
私にとって、IYAMANの一員となることは、社会福祉へと神がお導きになったからです。代表のクリスティさんや事務局長の松本栄子さんに出会ったことにより、そのコースを選択することになったのです。彼女たちは、大学以外での私のよき指導者となりました。彼女たちには色々な点でお世話になりました。たくさんのミスしたときでも、 いつも穏やかに理解し、アドバイスをしてくれました。私にとっては、叱責されることにより、その過ちから学ぶことが充分できました。
スタッフとして、事務的な仕事も学ぶことができました。何もない村出身の私が、例えば、訪問者の受け入れ準備のためのホテルの部屋の予約、日本へ行くためのビザの取り方やチケットの予約、寄付の仕組みやニュースレターの編集、報告書の作成や他団体とのネットワークの作り方、銀行や保険の手続きなどの調整といった仕事です。この仕事を通し、人と接する際の適切な対応を学ぶ訓練となりました。と同時に、それらの機関について理解を深めることができ、社会人として大変役に立ちました。
IYAMANを去ることは大変つらく、本当にここに残りたい気持で一杯です。しかしながら、家庭の事情があり現実に直面しなくてはなりません。私はまだIYAMANと共におります。もし機会があれば、また戻ってきたいと思っております。メンバーの皆さん、一緒に時間を分かち合ってくださりありがとうございます。何処へ行こうともいつも皆さんのことを忘れません。皆さんに与えられた機会を無駄にしないでください。奨学生の皆さんに幸運が訪れますように。スタッフの皆さん、仕事を楽しんでください。皆さんのことを忘れません。
サポーターの皆様、愛情に感謝いたします。皆様はいつも私の一部です。私が何処へ行こうとも、皆様との思い出は、いつも私の心の中にあります。心より感謝の気持を申し上げます。 私の幸運と成功をお祈り下さい。
*卒業と同時にIYAMANのスタッフとして、活動を支えてくれていたマヤが、この度、退職することとなりました。マヤのお父さんが台風の日、倒木の下敷きになり、体が麻痺してしまいました。多額な医療費がかかるようになり、IYAMANのお給料では、その治療費を負担することができません。そこで、親戚の紹介で、海外へ家政婦として、働きに出ることとなりました。マヤを長い間支えてくださった支援者の皆様、本当にありがとうございました。そして、マヤちゃん、お疲れ様でした。一日も早く戻ってこれることを願っています。
マヤ・シノット
2000年に私は大学生でした。当時の私は、恥ずかしがりやで内気なマヤ でした。授業で前に出る時には、いつも顔が赤くなり、緊張していたことを覚えています。私はおしゃべりでもなかったので、他のイバロイ族と同様に「恥ずかしがりやのマンゴー」とあだ名をつけられました。ともかく、それは本当のことです。
4年後、社会福祉の学位を修了し、やっと社会にでることになりました!そしてIYAMANでの一年間の研修が始まりました。最初は、他の機関で実施されている村の組織活動に参加しました。しかし、翌年からはフルタイムで勤務することになり、次の年には、常勤スタッフとして2007年4月30日まで勤務しました。
ここで勤務した間について学んだことについては、山ほどあります。まだ時々「控えめな内気さ」は持っていますが、今なら、私は内気で「恥ずかしがりなマンゴー」ではないと自身を持って言うことが出来ます。いったいどうしてでしょうか? 4年生の時に実施した野外実習期間、ベンゲット州の村に、学生たちはそれぞれ派遣されました。残念ながら、私はラ・トリニダットに派遣されました。そこは都市化されており、私が育った村とはだいぶ違いました。その代わり、私はグループワークとケースワークの概念と理論や、インタビューの仕方を学ぶことができました。
その学んだことをIYAMANではすぐに、応用する機会が与えられました。例えば、奨学生やその親との個別の面談の際に、IYAMANでの年間評価といった時に。村での様々な活動に応用されたのです。村人の心を一つにするために、様々な語りかけや配慮が必要とされ、活動も楽しく行わなければ、人は集まってきません。会議のときには、頭を休めるための歌や、歌に動きをつけ踊るといったことも紹介し、また個別に接することが必要な場合は、積極的に話をしに家を訪問に行きました。IYAMANの活動している村で私たちが行ってきた活動内容は、まさにコミュニティの組織化で、それはソーシャルワーカーとして、特に村開発を学ぶことの基礎となりました。
先ほど述べたこと以外にも、IYAMANにおいて、奨学生として、またスタッフとして、研修生として、様々なことを経験し、特に、日本やタイ、そしてカンボジアといった異文化との出会いなどは、誰でも経験できるというものではありませんでした。海外だけでなく、子供時代から大学まで、ベンゲット州の他の市町村についてあまりなじみがなく、いくつかの場所の名前を聞いたことがある程度でしたが、国内のほかの地域であるヌエバ・ヴィスカヤやバコロドといった地方を訪問したのもIYAMANの活動を通してでした。その地域への訪問は、単なる訪問というよりは、人々や文化との最も大切な出会いでした。
SLUでの社会福祉コースに入学する前に、BSUで教育を学んでいました。最終的に社会福祉を勉強することになったことを後悔はしていません。
私にとって、IYAMANの一員となることは、社会福祉へと神がお導きになったからです。代表のクリスティさんや事務局長の松本栄子さんに出会ったことにより、そのコースを選択することになったのです。彼女たちは、大学以外での私のよき指導者となりました。彼女たちには色々な点でお世話になりました。たくさんのミスしたときでも、 いつも穏やかに理解し、アドバイスをしてくれました。私にとっては、叱責されることにより、その過ちから学ぶことが充分できました。
スタッフとして、事務的な仕事も学ぶことができました。何もない村出身の私が、例えば、訪問者の受け入れ準備のためのホテルの部屋の予約、日本へ行くためのビザの取り方やチケットの予約、寄付の仕組みやニュースレターの編集、報告書の作成や他団体とのネットワークの作り方、銀行や保険の手続きなどの調整といった仕事です。この仕事を通し、人と接する際の適切な対応を学ぶ訓練となりました。と同時に、それらの機関について理解を深めることができ、社会人として大変役に立ちました。
IYAMANを去ることは大変つらく、本当にここに残りたい気持で一杯です。しかしながら、家庭の事情があり現実に直面しなくてはなりません。私はまだIYAMANと共におります。もし機会があれば、また戻ってきたいと思っております。メンバーの皆さん、一緒に時間を分かち合ってくださりありがとうございます。何処へ行こうともいつも皆さんのことを忘れません。皆さんに与えられた機会を無駄にしないでください。奨学生の皆さんに幸運が訪れますように。スタッフの皆さん、仕事を楽しんでください。皆さんのことを忘れません。
サポーターの皆様、愛情に感謝いたします。皆様はいつも私の一部です。私が何処へ行こうとも、皆様との思い出は、いつも私の心の中にあります。心より感謝の気持を申し上げます。 私の幸運と成功をお祈り下さい。
*卒業と同時にIYAMANのスタッフとして、活動を支えてくれていたマヤが、この度、退職することとなりました。マヤのお父さんが台風の日、倒木の下敷きになり、体が麻痺してしまいました。多額な医療費がかかるようになり、IYAMANのお給料では、その治療費を負担することができません。そこで、親戚の紹介で、海外へ家政婦として、働きに出ることとなりました。マヤを長い間支えてくださった支援者の皆様、本当にありがとうございました。そして、マヤちゃん、お疲れ様でした。一日も早く戻ってこれることを願っています。









