イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その31

2009年10月01日 21時57分41秒 | 旅行記
時刻は12時半を過ぎたところで、由美ちゃんに車で迎えに来てもらう予定の2時まではまだ時間があった。お魚センターに行く前に、漁港をひとりで歩いてみることにした。

浜田といえば漁港。浜田のことを思い出すといつも、帰港した大きな漁船が、揚げてきた大量の魚を網から降ろしている光景が目に浮かぶ。早朝、父親と一緒に港に行き、漁師たちが市場に運ぶ魚を仕分けするために威勢よく働いている様を見学したことも何度かあった。水揚げされたばかりの様々な魚がキラキラと輝き、おこぼれを狙ってトビやカラスが忙しく飛び交っていた。新鮮な魚を見るのはいつだって本当に楽しい。小学校に上がるか上がらないかくらいのとき、港に行って箱から逃げた大きな蛸がもがくようにして海の方に進もうとしているのを見つけ、「タコのおなかはどこにあるの?」と言ったら漁師の人たちに大笑いされたことがあった。今でも蛸のグロテスクなあの動きをみると、そのときのことを思い出す。

漁港は閑散としてほとんど人気がなかった。お盆だから営業日ではないのかもしれないし、朝の早い業界だからお昼時はもう仕事を終えているということなのかもしれない。港に停泊している漁船がチャプチャプと静かな音を立てる波に揺られ、強い潮の香りが漂う漁港には、静かではあるが男っぽい荒々しさを感じさせる空気がみなぎっている。「水産物入荷量表示」と書かれたその日の漁獲状況を伝えるボードには、まいわし、きす、いか、はまち、こういか、ばとう、ひらめ、かれい、うるめいわし、しいら、するめいか、のどぐろ、たち、あじ、かたくちいわし、さば、ぶりなどの魚の名前が記され、「ザ・ベストテン」の順位表みたいに、入荷量、高値、低値などを示す数字が自動的に表示されるようになっている。だが今はどこにも魚はいないし、真っ黒のボートには何の数字も記載されていない。

浜田が日本有数の漁場であることはこれからも変わりないと思うし、そうであることを願っている。だが、漁獲量も以前と比べればかなり少なくなったと聞く。あの熱い時代の、むせかえるような活気はもうなくなってしまったのかもしれない。当時は、家が漁師だという友達もたくさんいた。かぺ君の家もそうで、お父さんが漁から帰ってきた日には、お裾分けの魚を僕の家にたくさん届けてくれたものだ。かぺ君が僕の家に魚を運んできてくれるときに使っていたのと同じ箱(トロ箱と呼ばれているそうだ)が山積みになっているのを見つけて、懐かしさが募った。

それにしても、つかの間ではあるが旅先でひとりになると、またあらためて様々な想いが込み上げてくる。春先、「旧友」と呼ぶにはあまりにも時間を隔てすぎた同級生から突然の連絡が入り、何かに導かれるようにしてここまできた。気がついたら僕は、自分の記憶のなかに封印していた「故郷」を象徴する場所である漁港にいて、こうしてひとり潮風に吹かれている。優しい友がたくさんいて、これ以上ないほどよくしてもらっているから、浜田に着いてからは孤独をまったく感じはしなかったが、もし友との再会をあえて選択せずに、ひとり浜田を訪れていたのだとしたら、こんな風に哀愁を漂わせながらただ街をさまよい、夜はビジネスホテルでコイン式のテレビを見ながら缶ビールを空けたりして、ひとり寂しく1泊2日のセンチメンタルジャーニーを終えていたのかもしれない。ブログに旅行記を書いたとしても、せいぜい2,3回で終わっただろう。誰かが側にいてくれるってことがこんなにも暖かいものなんだということを、ひっそりとした漁港のなかでしみじみと実感した。わずかでも離れてしまえば、昨日までみんなといたことが、さっきまで清君と靖子さんと一緒に楽しく過ごしていたことが幻のように感じられ、心細くなってしまった。

ひとりの時間は、僕にいつもの東京の日々を彷彿とさせた。これだけたくさんの人が住む大都会で、あまりも多くの時間を自分自身と過ごすことが多い毎日のことを。誰とも会うことのない月日が続けば、きらびやかな都会も砂漠に変わる。満員電車にどれだけ揺られようとも、すれ違うひとがどれだけ多くても、心をすっかり許せるひとがいなければ、愛の人口密度は減少していく一方なのだ。だが、僕には孤独を愛する志向もある。現在の僕の寂しい日常は、僕が選んだ結果でもあるのだ。あらゆる矛盾をひっくるめた存在、それが自分なのだ。

旅は人の一生にも似て、その始まりと終わりに小さな生と死を予感させる。幼き日々を過ごした土地を訪れ、子供だった自分を客観的に見つめながら、大人になった友と会う。これほど僕のこれまでの人生をダイジェストして伝えてくれる場所もないだろう。そして明日の今頃、浜田を去る頃に僕の胸に去来するのは、記憶新しい旅の思い出と、おそらくこれから帰るべき場所での日々。過去と今をこれだけ強く感じることができたからこそ、明日とその果てにある終わりは明確になり、そしてその終着点から聞こえてくるカウントダウンのリズムは、より鮮明なものになるだろう。ありていな表現になるけど、つまり僕はこの旅を通して自分を「再発見」したのであり、そして一歩またリアルへと近づけたのだ――まだ旅の途中でありながら、そんな結論めいた考えが浮かんでしまう。過去に鮮やかな光を当て、再構成することで未来を蘇生させる。僕はこの旅を通して、小さな生と死を体験しようとしている。なんだかひとりになると暗くなってしまうのだけど、要はそれだけすべてが嬉しかったということなのだ。

漁港をブラブラと歩いていたら、黒の子猫が死んでいるのを見つけた。誰もいない構内で、路上に冷たく乾ききった身体を横たえていた。小さな命は、死がこれほど身近なものであることなど、想像できなかったに違いない。だがこれが現実なのだ。過去と同じくらい脆くはかない現在という時間がもたらした、非情な結末。甘い思い出に浸っているだけでは見えない、厳しいリアリティが迫ってくる。子猫の死が象徴する「こちら側」の現実を、忘れてはいけないのだ。水平線の向こうから運ばれてくる風が、切ない。

自動販売機でカップのブラックコーヒーを飲み、気が済むまで港をぶらついた後、そこから歩いて5分ほどの距離にあるお魚センターに入った。中規模のスーパーくらいの広さの建物のなかにいくつもの店が連なり、色とりどりの鮮魚や海産品がところ狭しと並べられている。元気な浜田が伝わってきた。

実家と自分へのお土産用に、いわしの干物を買った。後でラベルを見てみると、いわしは浜田産ではなく、鹿児島でとれたものを浜田で加工したことがわかった。ちょっとがっかりしたけれど、よく考えたら鹿児島で生まれた僕が浜田で幼少期を過ごしたのと同じだ。鹿児島産浜田育ちのいわしとは、まさにオレのことやないか。

今風の人たちが溢れる館内を汗だくになりながらしばらくウロウロしていたら、いつの間にか約束の時間になった。エイコちゃんから電話が入った。聞こえてくる彼女の声が、すでにもう懐かしい。


どこにおるん? うちらはもう、お魚センターの前についたで。


温かい気持ちがよみがえる。あと一日しか一緒にいられないけど、僕には大切な友達がいる。嬉しくなって、由美ちゃんの車に小走りで向かった。

(続く)

始めから読みたいと思ってくださった方は、どうぞこちら(その1)からご覧ください~!



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