かんだ

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登山の変質

2015-08-17 17:44:19 | Weblog

 ぼくらが現役の頃、登山といえば岩登り、沢登り、雪山登山を意味していた。現在では日本百名山に代表されるような有名山岳はもちろん、身近な近郊の低山も含めて一般コースを辿ってその山の頂きに立つのが登山とされている。

 岩登り、沢登り、雪山登山は、本格的な登山と呼んでやらないと、そう受け止めて貰えないのである。

 登山の本場アルプスでは、両手両足を駆使して攀じ登るクライミングと、歩くことを楽しむハイキングしかないから、彼がなにを目指しているかは一目瞭然である。だから周囲は彼が目指している方向に沿って、彼をバックアップすることができる。

 しかし、日本の山ではそうはいかない。高尾山はハイキングで楽しめる山である。高尾山から続く景信山も、陣馬山もハイキング、笹尾根もハイキングで、その先にある三頭山もハイキング、だったら多摩川の対岸に位置する雲取山だってハイキング。雲取山がハイキングなら奥秩父主脈に連なる甲武信岳も金峰山もハイキングになる。この論法でいけば金峰山の西に位置する八ヶ岳もハイキング、八ヶ岳がハイキングなら、そのまたむこうに連なる北アルプスだってハイキング、ということになってしまう。実際、この十年、唐松岳に登るゴールデンウィークの八方尾根に、軽アイゼンにストックという登山者が出没しているのである。日本の山はどこまでがハイキングで、どこからが登山なのか線引きができない、正体がつかめない難しい山なのである。

 日本の山では、線引きは登る側がするしかない。いい加減な気持ちで登っていると、気が付くとハイキング気分のまま、荒天の北アルプスのど真ん中で立ちすくむことになる。そんな目に会わないように、スタートの高尾山から「登山」を心がけてきた。それがぼくらの時代の登山であった。3時起床、4時出発はめったにないが、5時出発は当然の行動であった。

 今夏、久々にメジャーな山域の山小屋に泊まった。平均年齢70ン歳のパーティなので、朝5時には小屋を出たいなと思って、受付時に朝食の時間を確認したら6時だという。やむをえず朝弁にして貰って、5時に出発した。夕方4時前に小屋に入らないと夕食を出して貰えない小屋もあると聞く。昔々は、朝は生タマゴに味噌汁、夕食はカレーライスと相場が決まっていたから、食事の対応はさほど面倒ではなかったと思われるが、朝食ならオムレツ、夕食は民宿並のご馳走が並べられるから、朝4時5時に食事の対応は難しいだろうし、午後4時過ぎに入って来る登山者に食事の対応は勘弁してほしい、ということになるのだろう。小屋の側は、登山者のリクエストに応えてのことだと言う。山小屋のお風呂も問題だ。

 ぼくらの時代の登山から変質して、いまの登山の立ち位置が「観光」になってしまったことの証左だと思う。山岳遭難事故が減少しない理由が、ここにある。


岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html

無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/