かんだ

かんだは、なんだの続き。
話を広げたり、掘り下げたり・・・。

「台湾紀行」を読んで

2017-04-18 17:14:47 | Weblog

 司馬遼太郎の『街道をゆく』が大好きだ。どの巻も面白いというか、勉強になるが、何回となく繰り返し読んでいる一冊に『台湾紀行』がある。

 毎月1回、カイジマへ散髪に行く。以前は大塚と笹塚に2軒あったのだが、ビルの取り壊しかなにかで大塚の店は畳まれてしまった。奥さんは山好きで、遠足倶楽部の元会員さんでもあるので縁は切りたくない。以降笹塚に散髪に行くようになった。きょうが散髪の日、我が家を出るとき手にした一冊が、『台湾紀行』だった。

 パラパラめくっていると、「当時、台湾にくる日本人観光客のお行儀のわるさについてふれている」という一行が目に飛び込んできた。何回も読み返しているのに、この一行は記憶にのこっていなかった。日本人も「そう思われていた」ということに、思わず笑ってしまった。我々は現在、中国人あるいは韓国人の集団の騒々しさをやり玉に上げては大笑いし、溜飲を下げている風がある。ちょっとヤバイんじゃあない、と思った次第。

「私の書架に、台湾の謝新発という人の書いた本が三冊ある」と司馬さんが書かれている。その一冊に、そのことが書かれている。別の一冊に、土木技師八田與一の生涯を書いた『忘れられない人』がある。

 韓国と台湾は近くて良き国なので、何回か訪ねている。韓国の仲間も台湾の仲間も、政治的な問題はお互い認識した上で、仲良く友だち付き合いをしている。が、国全体としては大使館前に設置された慰安婦像に象徴されるように、韓国の対日感情は良くはない。他方、台湾の対日感情は悪くはない。二十数年前、仲間うちで登った雪山の帰路、山間にある山地人のお家に招待されて、宴会になった。彼らは皮肉でも何でもなく、日本名で自己紹介し、宴たけなわになると軍歌を歌い始めた。ぼくらのガイドさんはその部屋の中にいるたった一人の外省人だったので、皆さんからいじめられていた。

 台湾の対日感情の良さは、第四代総督の児玉源太郎と後藤新平が台湾行政の基礎をつくった賜であり、嘉南平野と呼ばれる不毛の大地を、ダムを造り、ダム湖の水を嘉南大圳と呼ばれる水利構造をつくって不毛の大地を美田に変えた八田與一の功績があった、ということを『台湾紀行』で知ることができた。韓国の対日感情の悪さは、おって知るべしであろう。

「老台北は、日本時代には賄賂とか収賄ということばが、日常語としては存在しなかったという」と、司馬さんは述べられている。続けて「その日本も変わった。金丸信というふしぎな人が政界に棲息して、政治の要衝にありながら、やがて権力を集金装置に変えたそうである」。

 笹塚にむかう電車のなかで、拾い読みしながら、森友疑惑に腹をたて、豊洲移転問題に首をかしげたりした。いまの日本の政治は、金丸さんの延長線上にあるようだ。

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菊地俊朗さん

2017-03-22 14:14:24 | Weblog

 世界には知っておきたい人、知っておくべき人がたくさんいる。「時代を創り上げた100人」とか「日本を経済大国に仕立て上げた80人」といった、人にスポットライトを当てた話はたくさんある。『文藝春秋』の今月号は、「美しき日本人50」を特集している。登山の世界でも然り、忘れてならない先輩は大勢いる。そのお一人、菊地さんは信濃毎日新聞社で常務・松本本社代表を務めたジャーナリストだ。ぼくら山好きは、同新聞を親しみと敬意をもって新毎と呼び、新毎の登山報道は見逃さないよう目をこらしていたものだ。菊地さんは64年ヒマラヤ遠征報道で日本新聞協会賞受賞、退職された現在、山岳ジャーナリストとして活動されている。

 主な著書に『栄光への挑戦』(二見書房)『山の社会学』『北アルプスこの百年』(文藝春秋)ほか多数ある。14年8月、信濃毎日新聞社から『ウェストンが来る前から、山はそこにあった』を刊行、ご恵送頂いた。いずれの著書も興味深いが、ここでは『ウェストンが来る前から、山はそこにあった』を紹介したい。

 日本アルプスといえば、命名者はウェストンだと思っていた人が多い、と菊地さんは指摘する。今でも頻繁に使われる「近代登山」という用語にも違和感を拭いきれない。「日本アルプス」の命名者はウィリアム・ガウランド、1872(明治5)年、大阪造幣局にまねかれた英国出身のお雇い外国人だった。冶金技師、考古学者として知られ、造幣技術の指導はもちろん、「日本考古学の父」ともいわれる。登山は趣味、実際ガウランドは日本の山々によく登っていると、『・・・山はそこにあった』に紹介されている。

 登山は趣味と割り切っていたのか、ガウランドの山行記録は少ない。そのことが「山」の虚像が演出される下地になったのかもしれない。イギリスの女性山岳研究者ヴァレリー・R・ハミルトン女史は、「日本山岳会設立前史―ガウランド・志賀重昂・ウェストン・小島烏水―」の調査に来日した。イギリスではさほど評価を得ていないと思われるウェストンが、日本では“近代登山の父”としてあがめられ、ウェストン以前に日本の山々を踏破していた同国人のガウランドやチェンバレン、アーネスト・サトウらに勝る評価をうけている背景の探求だった。

 ハミルトン女史は、「日本山岳会設立の立役者小島烏水も、志賀重昂と同じように西洋人の書きものを自分の目的のために利用した」とする。ウェストンが“近大登山の父”とは、烏水の宣伝力の賜だろう。菊地さんは、烏水と新田次郎を「『山』の虚像を演出した2人」と指摘。詳しくは同著を拝読頂きたい。

 うまく書けなかったが、『ウェストンが来る前から、山はそこにあった』は、スポーツクライミングがオリンピックの種目に選ばれた今、ぜひ読んで欲しい一冊である。

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トランプ旋風余波

2017-02-17 10:49:50 | Weblog

 アメリカの新大統領トランプさんの言動が、世界を揺るがせている。アメリカファースト、あるいはトランプファーストを問題にする人がいるが、ファースト自体は問題ではない。日本人だったら誰だって日本ファーストであろうし、我々一人一人は自分ファーストだ。小池都知事は小池ファーストだし・・・。

 我々が大きな余波を受けるのは、入国審査の厳しさだ。それでなくても、前々からここまでやらなくても、と思うくらいチェックは厳しかった。アメリカ行き、あるいはアメリカを経由する場合、スーツケースの鍵はかけないこと、という注意が旅行会社から通達されたのは随分前のはなしだ。通関の際、係官からの開けるようにいわれ、相対でスーツケースを開けて見せるということにイチャモンをつけるつもりはない。しかし、どこかで抜き打ちにチェックされ、そのときスーツケースに鍵がかかっていると、鍵をこわしてでもケースを開けるらしい。ぼくがご一緒した方でも、ターンテーブルで荷物を受け取ったら、鍵をこわされていた例がある。トランプ旋風が招来するなんて予測していなかったので、いつどこでのときだったか分からないでいるが、みんなで憤慨したことは記憶にある。

 2001年1月下旬、パタゴニアを訪れた。帰路はブエノスアイレスからマイアミ経由で成田に帰国。航空会社はアメリカンエアだったが、空港でチェックインから乗機するまでセキュリティチェックが何回もあった。手帖に「AAはチェックが非常に厳しい」と書き記している。チェックは、「厳しければ厳しいほど、安心安全の確度が上がるんだから善し」と、その厳しさを甘受したのに、同じ年の9月11日、飛行機は乗っ取られ、貿易センタービルに突っ込まれてしまった。

 以降、アメリカのチェックはさらに厳しくなった。それが今回のトランプ発言でさらに厳しくなる。中東・アフリカの七ヶ国の国民のアメリカへの入国を一時禁止する大統領令は一時差し止められ、大統領令で無効化したビザも有効になり、難民の受け入れも再開されると新聞報道にあった。しかし、入国審査は長蛇の列であるらしい。

 案の定、厳しかったチェックが、9.11でさらに厳しくなり、トランプ旋風でさらに厳しくなって長蛇の列、なんていう話しを聴かされると、アメリカ方面に出かけたくなくなってしまう。しかし、である。チェックが厳しくて長蛇の列になるのがうっとうしいからといって、アメリカ行きを断念してしまってはトランプ大統領の思うつぼであると思う。

 乗るかそるかの問題が生じたとき、そる方を選択する日本人が多いような気がする。そってしまっては、問題は解決しないと思うのだが・・・。長蛇の列と同時にテロも心配だが、いまや日本国内だってテロを免れる保証はない。恐るべし、トランプ旋風の余波である。

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高齢者は75歳以上

2017-01-20 16:25:40 | Weblog

 1月6日付け朝日新聞朝刊に、「高齢者は75歳以上」という活字が大きく踊っていた。「一般的に65歳以上とされている高齢者の定義について、日本老年学会と日本老年医学会は5日、75歳以上とすべきだとする提言を発表した」とある。

 1995年、ぼくとみなみらんぼうさんが登場したNHK教育テレビ番組「中高年のための登山学」は、中高年登山ブームに火をつけたといわれている。評価の是非はともかくとして、引っかかるのは“中高年”という言葉であった。というのは、一般社会では40歳から中年と定義付けされていたからだ。中年という語は若さを感じさせないのに、実際の40代の人たちは若いし、元気いっぱい。40代の人たちを中年とくくってしまうことには、違和感が大きかった。

 例えばこんな新聞報道がある。「昨年の遭難事故のうち80%は中高年登山者によるものでした」。実際は、その数字のほとんどは60歳代の登山者であるそうだ。ぼくは95年当時から、中年は50歳からと考えることにしていた。50歳ならもう若くはないし、中年と呼ぶことに違和感はない。50歳代の方々はお若くないが、まだまだ元気である。60歳代前半は足の上がり方が少し悪くなったが、結構元気だ。ということでぼくは、50歳から64歳までを中年、65歳から74歳までを高年と呼ぶことにした。ぼく流の定義では、中高年登山者とは50歳から74歳までの登山者ということになる。これはあくまでもぼく流の定義で、一般社会では相変わらず40歳代が中年である。ちなみにぼく流では、50歳未満の方々は“若いモン”と呼ぶ。

 40歳から60歳くらいまでを“中高年”と呼ぶのなら、分けて考える必要はないと思うが、中高年を50歳から74歳までとすると、“中高年”とひとくくりにせず、“中年登山者”と“高年登山者”とに分けて考えなくてはいけないと思う。もちろん年齢で線引きするのは問題が無きにしも大ありだが、そのパーティをどのようにリードするかについて、第一段階として年齢でパーティの登山力を評価することは大事なことであると思う。

 パーティの平均年齢が60歳であれば中年パーティ、70歳であれば高年パーティと考えて、年齢にスライドさせた登山コースを設定すること、実際に歩くペースは中年パーティはゆっくり、高年パーティはチョーゆっくりであることが肝要だ。これまで65歳以上が高齢者とされていて、登山に引っ込み思案だった方も、高齢者は75歳以上となれば大手を振って山に出て行ける。どんどん山に登って欲しいと思うのだが、行き過ぎてしまってハードでテクニカルな計画を立てる方が少なからずいらっしゃる。加齢に従った体力の低下は明快にあるので、自分のトシを考えて登山計画を立てて頂きたいものだ。

「山を知り己を知らば 百山するも危うからず」である。

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トイレ

2016-12-19 09:43:47 | Weblog

 文藝春秋4月号(2016年)の表紙に、「北朝鮮と中国を侮るな」という言葉が大きく刷り込まれていた。北朝鮮についてはマスコミを通じての知識しかないから、評価のまとめようがないが、“地球を遠足”のチャンスで何回か訪れた中国に関しては、「中国を侮るな」を実感している。

 2006年の正月にミニヤコンカ展望のトレッキングを楽しんだのだが、成都で出会った女性のガイドさんの「中国の自信」をうかがわせる意気軒昂さにはショックを受けた。昨年10月、雲南省の茶馬古道を探訪した。ほとんどは専用車で回ったのだが、玉龍雪山では手前の駐車場に専用車を置き、ロープウェイ乗り場までは一般のバス利用となる。列に並び、バスに乗る。すでに座席は埋まっているので前に立つと、座っている若い人がスマートに立ち上がって、「どうぞ」と席を譲ってくれる。小ポタラ宮と称される松賛林寺のときも同様だった。そのことを中国人の知人に話したところ、最近、モラル急上昇中だと笑っていた。

 今年の11月、黄山のハイキングを楽しんできた。コースは、我々日本人にはやり過ぎ感を抱くほどきれいに整備されていて、ゴミ一つ落ちていない。トイレがきれいで、数がたくさんある。男性用小便器の上のスペースには、水墨画のような写真が並べて貼られていた。悪臭など無縁である。しかも利用料など取らない。中国のトイレといえば、だれもが“あの仕様”を想像するだろうが、とんでもない。中国人大衆の割り込みや喧噪、バク買いあるいはトイレの仕様を、我々日本人は眉をひそめて話題にする。それはまぎれもなく優越感の裏返しであろう。黄山が特例かもしれないが、中国はまぎれもなく変わりつつある。中国を侮ってはならないのだ。

 昔々、登山者の大多数は男性だった。山小屋のトイレは汚かった。いつの頃からかトイレがきれいになった。トイレがきれいになるに従って、女性登山者が増加した。トイレとは、それくらいのものなのである。北漢山十二城門周遊で降り立ち飛び立った仁川空港で、成田の負けを実感した。トイレの数が多くきれいなのだ。成田のゲートで搭乗時間になり、乗る前にちょっとトイレに寄っておこうと思っても、すぐ近くにないことが多い。仁川ではすぐ近くにあることが多い。北朝鮮についてはコメントできないが、韓国もなかなかやるな、と思った。これでなくてはハブになれまい。トイレはお金を産み出さないスペースだ。そんなスペースにどれだけスポットライトを当てられるかが、その国の勢いというものであろう。割り込みやバク買いを笑っている場合ではない。

 黄山では入山料は取るが、トイレは無料。富士山では善意の人からは入山料を取り、トイレは有料。世界遺産としてはどちらが世界の人に支持されるか、自明であろう。トイレ一つとっても、中国を侮ることはできない。

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ホンネとタテマエ②

2016-11-18 09:40:41 | Weblog

 山の天気は変わりやすい、これは常識といっていいだろう。ホワイトアウトで道迷い。滑って転んで捻挫・骨折、登ったり下ったりだから日常生活に比し疲労は大きい、不測に事態はいつ起こるか分からない。不測の事態が足をひっぱり、安全圏に辿り着く前に陽が暮れるということも時としてある。どんな登山・ハイキングでも、雨具とヘッドランプを携行することは、タテマエでありホンネであると前号では書いた。10月下旬、韓国の首都ソウル郊外の人気の山、北漢山の人気コース、十二城門周遊を歩いて来た。ウィークデーだというのに大勢の人が登っている。ザックを背負い、トレッキングシューズを履いている人もいるが、多くの人は街着で運動靴、デーパックを肩にしている人もいるが、手ぶらで歩いている人も少なからずいる。近場のハイキングコースだから、雨が降ってきたら楽しみは中止にしてさっさと下山すればいい、という考えなのであろう。

 ツェルマットやグリンデルワルトのハイキングコースでも、手ぶらで歩いて入る人は多い。その延長線上という考えなのか、富士山でも手ぶらで登っている欧米人をけっこう見かける。十二城門周遊やバッハアルプゼーへのコースで手ぶらの人と出会っても、行動時間は短いし、引き返すのも容易だから問題視するようなことはない。むしろこちらの格好が重装備すぎて気恥ずかしくおもったりする。しかし、富士山で手ぶらな登山者と出会うと雨が降ってきたらどうするんだよ、と心配してしまう。

 と、ここまで書いてきたことでぼくが言いたいことは、容易に想像つくと思う。「どんな登山・ハイキングであれ、雨具とヘッドランプを携行することは常識」としてきたが、そんなことを考えているのは我が国の一部登山社会だけで、「雨具とヘッドランプの携行はT・P・O」だということじゃん、ネエ(笑)。

 それと、もう一つ気がついたことは、性悪説と性善説。雨具とヘッドランプの携行をT・P・Oとするのは、登山者一人一人が状況判断ができるという前提がある。重いしかさばるから携行するのはゴメン、というのは状況判断ができているとは言い難い。その日の行程、天気変化、パーティ構成メンバーの体力・気力・健康状態をかんがみられるのが、状況判断できるということだ。その上で雨具とヘッドランプを携行は不要とするのは、問題無し。雨具とヘッドランプを携行するのは常識としてきた裏側には、状況判断ができない登山者が多いということを前提としていたのではあるまいか。性悪説だ。

 現役バリバリの頃の岩崎は、性悪説だったんだと思うようになってきた。雨に降られりゃ濡れて辛いのは自分なんだから、携行するかしないか誰だって判断できるさ、と、トシのせいか性善説に替わりつつある。めざす山が幌尻岳だったら、雨具とヘッドランプ、絶対に携行するけどね・・・。

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ホンネとタテマエ

2016-10-20 17:14:51 | Weblog

「雨具置いて行っていいですか?」「ダメ」。「ヘッドランプ置いて行っていいですか?」「ダメ」、よくあるやりとりだ。

 素晴らしい青空、きょう一日絶対雨は降りそうもない。で、雨具携行の是非をリーダーに聴いてみる。きょうは行動時間が短い軽ハイキングだ。昼過ぎには間違いなく下山できるだろう。そう思ってヘッドランプ携行の是非をリーダーに聴いてみる。どちらも、返ってくる言葉は「ダメ」。

 山の天気は急変する。早朝出発の際素晴らしい青空でも、いつ灰色になるか予断を許さないのが山だ。ぼく自身何回かそんな目に会わされている。特に忘れられないのは十数年前、中央アルプスでの天気の急変だ。入山一日目は池山尾根を登って空木岳に立ち、下って木曽殿山荘に登山靴を脱ぐ。夕食後のテレビのニュースは、明日は昼前頃から天気が崩れると報じていた。翌朝小屋を出ると、天気が崩れるなどとは信じられない素晴らしい青空だ。歩きはじめて2、3時間、熊沢岳を越えた辺りだった。なにげなく空を見上げると空いっぱい灰色だ。ヤバイ、と思った次の瞬間、頬に水滴がパチンときた。ただちに足を止め、雨具装着を指示した。全員が雨具を着込みザックを背負って態勢を整えたときは、本降りの雨、強い西風が吹きはじめた。

 ネパールトレッキングでの一日。素晴らしい青空の下、朝食を済ませる。メンバーの一人がサーダーに質問した。「雨具携行しなくても大丈夫ですか?」。サーダーとはシェルパ頭のことである。トレッキングパーティのチーフリーダーといっていい。ぼくらのサーダーは、三浦雄一郎さんがエベレスト登頂のパーティでサーダーを務めたちょーベテランのシェルパである。縁あって彼とは仲良くしていたので、ぼくのトレッキングでも体が空いているときはサーダーをお願いしていた。その彼が、「きょうは雨はふらないでしょう」と答えた。荷物は1グラムでも軽い方がいいと考えているメンバーは、大喜びで背中のザックから雨具を出し、ポーターに預けるバックに移した。ポーターとは行動が別、途中で雨が降ってきても雨具はひっぱり出せない。

 この日、午前中はよかったが、午後にわか雨が降ってきた。道端の民家の屋根の下で雨宿り、小一時間で雨は上がり衣服を濡らすことはなかったが、サーダーがちょーベテランのシェルパだったので、皆さん大笑いで一件落着。

 ガイドブックの行動時間によれば、余裕持って日暮れ前にバス停に着けるはずが、一人ころんで捻挫、なんとか歩けるから歩いて下ることとする。しかし、ペースが半減して日が暮れてしまったというのは、よくある話し。

 どんなに天気がよく行動時間の短いコースでも、雨具とヘッドランプは絶対に携行するというのは、登山者の常識である。

 以上、常識的なことを書き連ねたが、実は次号巻頭言の前書きなのだ、念のため・・・。

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山の遭難事故減少へ

2016-09-16 16:30:55 | Weblog

 今朝(9月7日)の新聞「この人」の欄に青山千彰さんが紹介されていた。「山の遭難事故減少へ原因を分析」している方だ。同記事によると昨年の国内の遭難者数は3,000人超で、半数が60歳以上。青山さんは、「大半の事故は危険と思われる急傾斜や氷結道でなく、一般的な登山道で起こる。油断せずに登山計画を周りに伝え、緊急グッズも携帯して」と指摘している。この言は目新しいものではなく、登山界のリーダーの誰もが、まったく同じ発言をしている。

「事故の大半は一般的な登山道で起こる」

 急傾斜や氷結道を通過するときはだれもが緊張して、初心者であっても初心者なりに注意深くゆっくり歩を進める。従って事故が起こることはまずない。初心者が自身の技術では通過できない難場に直面したときは、その場で動かずサポートの手が差し伸べられるのをじっと待てばいい。

 緊張して注意深く行動すれば、事故を招来するはずはない。悪場を通過して緊張が緩んだとき、うっかりミスが事故を引き起こす。うっかり乗った玉砂利が石車になって転倒、うっかりつかんだ木の枝が折れる、赤土の斜面にうっかりカカトから着地してスリップダウン。トラブルの招因は、すべからくうっかりミスだ。悪場を抜けても緊張を持続できていれば、うっかりミスを犯すはずはない。しかし、緊張を持続させるのは難しい。悪場を抜けてほっと一息、あーこれだ大丈夫などと気を緩めてしまうのは初心者の証拠である。遭難者の半数が60歳以上とあるが、加齢に従って緊張感を持続するのは難しくなっていくようだ。どうしたらいいか。緊張感を持続させるには、「声を出す」ことである。悪場を抜けてほっとしたらすぐに、「緊張」と自らに声をかけること。パーティ全員でお互いに声を掛け合うことが有効である。

「油断せずに登山計画を周りに伝える」

 登山とは、非日常の世界をプレイグラウンドにしているのだから、「油断せず」というのは自明のこと。「登山計画を周りに伝える」ためには、その登山計画を自分なりに把握できていなければならない。いつ、だれと、どんな山に登るのか。それが把握できていれば、楽勝気分で計画に乗れるだろうし、ちょっと厳しいけど面白そうと思えるかもしれないし、このメンバーじゃ無理と判断して計画中止を進言できるかもしれない。

 孫子の兵法ではないが、「山を知り己を知らば、百山するも危うからず」である。登山計画書の作成、内容の把握は「山を知り己を知る」ことである。登山計画の作成は、安心安全に登山するための第一歩といえる。登山計画書の作成、把握は山の遭難事故減少に直結するはず。であるにも関わらず、登山計画書も提出しないまま登山する人のなんと多いことか。登山計画書を作成、提出できる自立した登山者の育成こそが、現在の登山界に求められている大きな課題である。

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オーストリアの山旅

2016-07-21 17:22:13 | Weblog

 塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読んでいる。6月19日から27日にカナディアンロッキー、7月1日から10日がオーストリアと“地球を遠足”が決まっていたので、この二つの山旅で文庫本『ローマ人の物語8・9・10ユリウス・カエサル ルビコン以前上・中・下』を読もうと思い3冊をザックに入れて、まずはカナダへ。海外は疎いから、手近な参考書として『地球の歩き方』を手にすることが多い。カナディアンロッキーには『カナダ』、オーストリアには『ウィーンとオーストリア』を携行。

 27日にカナダから帰国し、1日再び成田にむかった。京成スカイライナーの指定座席に腰を下ろし、『ウィーンとオーストリア』を開く。オーストリアの山といえば、まずチロルが浮かびあがる。次にグロスグロックナーとその周辺、ぼく自身そのあたりのハイキングは数回経験している。しかし、今回は趣を異にしていた。成田からウィーンに飛び、乗り換えて着陸したのはクラーゲンフルト。東西に延び、ウィーンのある東の方がふくらんで、オタマジャクシのような形をしたオーストリアのほぼ中央南部、スロヴェニアとの国境近くに位置しているのがクラーゲンフルトである。

 荷物を受け取り、現地ガイドのウルフさんに乗せられたバスが北方向に30分ほど走った先がアルトホーフェンのホテル、プレヒテルホフだった。時間は12時近く、日照時間の長いこの季節でも周辺は静かで真っ暗、どんなところなのか見当もつかない。部屋に入り、早々にベッドに潜り込む。

 6時モーニングコールで目を覚まし、7時からの朝食に階下に降りる。ビュッフェスタイルなのでお皿にパンとハムとチーズを取り、テラスに出る。目の前に広がる光景に息を飲む。ホテルは丘の上の旧市街にあった。テラスから眺める光景は見渡すかぎり緑が広がって、雄大にして爽やか。今回のツアーリーダーはアルパインツアーの社長、芹澤健一さん。芹澤さんはぼくたちをここに連れてきたかったようなのだ。アルトホーヘン旧市街を構成する家々のたたずまいがまたいい。街中を散歩しているだけで、気持ちが癒される。芹澤さんが意図する新しい切り口の、オーストリアの山旅が始まった。

 塩野さんの本が3冊目、『ローマ人の物語10ユリウス・カエサル ルビコン以前・下』に入った。「ガリアとゲルマンの比較論」という項があって、「ガリアでは、町や村ごとに必ず、家庭内も、と言ってよいくらいだが、複数の派閥が存在する」と指摘している。このことが頭にひっかかった。前後して『ウィーンとオーストリア』を何気なく開いた。そのページに池内紀さんのコラム「オーストリア人の郷土意識」があった。どこで生まれてもオーストリ人であるはずだが必ずしもそうでなく、チロル生まれはチロル人、ザルツブルグ生まれはザルツブルグ人・・・。カエサルのおかげで、その話しがすんなり受け入れられた。

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雨天中止

2016-06-16 09:59:13 | Weblog

 毎月15日、会員諸賢にDMを発送している。メインは3ヶ月先のご案内。即ち6月15日発送のDMは、9月に予定する山行のお知らせになる。「9月4日(日)子檀嶺岳」といった具合にだ。

 1981年5月、ネパールから帰国してプラプラしていたぼくは、街の山岳会が登山学校として機能しなくなっているのに気付かされ、この年の11月、無名山塾を誕生させた。岩登り・沢登り・雪山登山の基本を学んで貰おうという場を創ったのである。83年11月、中高年と女性を対象にした(日本百名山をめざすような)登山入門講座を開講したいということで、サンシャインシティ文化センターからお声がかかった。机上講座はサンシャインシティ文化センターで開講、実技は無名山塾で引き受けた。実技講座には「中高年と女性のための山の遠足」とネーミングした。

 昭和山岳会で登山の基本を学んだぼくの教科書に、「雨天中止」という言葉はなかった。どんな悪天でも一歩踏み出せ、踏み出して行動できるなら行動しろ、行動出来ないような悪天だったら、そこで初めて行動中止を決断すればいいと、教えられた。「山の遠足」でも、その考え方を踏襲した。

「原則、雨天決行です」とメンバーには伝えた。東京で雨が降っていても、現地は晴れているかもしれません。どんな悪天でも集合場所までは行きましょう。集合場所で行動出来ないような悪天だったら、そのとき中止を決める。現地が土砂降りで山行を中止にしたら、近場の温泉に行ってもいいし、東京にUターンして映画を見に行ってもいい。朝、我が家の玄関をでるとき、どんな悪天であれ現地まで行くことになんの疑問も感じることはなかった。65歳を過ぎた頃だったろうか。朝、目を覚まして外を窺うと土砂降りの雨、この天気で行く・・・?ぼくの心に初めて疑問が生じた。雨の中だって、山を歩いていれば幸せだったのに、雨の中、歩くのが嫌になってきたのだ。我がことながら不可思議な考え方の変化である。

 トシのせいにすると諸先輩からお叱りをうけるが、間違いなくトシのせいだと思う。体力がなくなった。バランスが悪くなった。持久力がなくなった。自分もそうだし、ご一緒する皆さんもそうなのだ。若いときならいざ知らず、このトシになっての雨天決行はリスクが大きい。ぼくの作った新しい山の教科書、「65歳からの山歩き」には「雨天中止」という文言が加えられた。

 もちろん、前日の天気予報だけを信じて山行中止にするようなことはしたくない。当日の朝、布団から抜け出したらまず窓の外を見る。運が良ければ予報が外れて、青空が広がっているかも知れない。残念ながら予報通りの雨降りならあっさりあきらめて山行中止を決断、参加の皆さんに中止の電話を入れる。メンバーがお家を出る時間をチェックしておき、その前に電話しなければいけない。当たり前か・・・。

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