新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

がん哲学校たより・54(0091)

2015年03月23日 | 樋野先生からのメッセージ
第103回「がん哲学学校」
【鵜鷺小学校閉校】~「夕暮れ時に、光がある」~

2015年3月21日、鵜鷺小学校閉校式である ( www.izumo.ed.jp/usagi-sho/ )、(【報道提供資料】出雲市立鵜鷺小学校閉校式・同幼稚園閉園式について )。
思えば、丁度30年前の1985年には、鵜鷺中学校が閉校された。筆者は、小学校も、中学校も、地上にない、卒業生になった。涙なくして語れない! 人口減少による、生徒の激減は、時の流れであろう。この故郷を、「Medical Village」するのが、筆者の夢である。【1人の人間を癒す為には、1つの村が必要である】。まさに、「夕暮れ時に、光がある」(ゼカリヤ14章:7節) が、胸に迫る。

定例の南原繁研究会(第131回)が開催された。今回の箇所は、著作集 「第1巻『国家と宗教』Ⅱ 第1章 プラトン復興」であった。極めて難解な 文章の読書会も、いつの間にか、3巡目である。「継続は忍耐なり」の心境である。まさに、「寄り深い視点と広い展望」の学びの時もある。思えば、田舎で生まれた筆者が、夜を徹して、読書を始めたのは、19歳の京都での浪人時代の「南原繁の東大法学部時代の教え子との人生の邂逅」による。不思議な出会いであった。

ある医学技術専門学校の生徒に、講義「風貌を診て、心まで読む~がん (病理) 哲学~」をする機会が与えられた。「がん教育」には、「顕微鏡によるがん細胞の観察」は、重要であることを痛感した。今度、子供達が卒業した International Schoolの生徒、さらに、日本国の生徒(小学校~高校生)に、見学・実習を進めてみたいものである。昨年 (2014年) は、国産顕微鏡「エム・カテラ」100周年記念であった。今年 (2015年) は、山極勝三郎人工がん発見 100周年である。

世界中で起っている、痛ましい、多くの報道に接し、「教育の核心」とは、「正常細胞 & がん細胞~風 貌を診て、心まで見る~」ではなかろかと思う。「マクロからミクロ、ミクロからマクロの世界」であり、【森を見て、木の皮まで診る】時代的要請でもある。 「空の上から、自分の住かを観る」俯瞰性が大切であり、まさに、【広々とした病理学者】の出番を感ずる。早速、「がん教育としてがんを概念的に理解するだけでなく、実態を視覚としてとらえるとより理解が深まると思われます。賛同します。」との、心温まるコメント頂いた。

がん哲学校たより・53(0090)

2015年03月19日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2015.3.15配信)
第102回「がん哲学学校」
「神谷美恵子生誕 100 年」読書感想文コンクール~ 『生きがいについて』~

『中央公論』(2015 年 4 月号)で『対話から生まれる言葉の処方箋「がん哲学外来」がつなぐ医療と患者の隙間』が送られてきた。大変、好評のようで、多数のメールが届いた(http://www.chuokoron.jp/newest_issue/index.html)。7年目になる「がん哲学外来」の理解・認知にも、大いに、貢献したようである。

3月14日は、北陸新幹線(長野~金沢間)開業であった(東京~金沢間は約2時間半)。今度、筆者は「北陸新幹線開通記念」講演会の機会を与えられた(冨山県立中央病院に於いて)。ささやかな、人生の良き想い出となるであろう。

週末の午後、毎月1回の定例の<がん哲学外来>お茶の水メディカル・カフェ in OCCが開催された。早、34 回目とのことである。70 名を超える参加者があり、満席の盛況であった。今や、お茶の水メディカル・タウンの「オアシス」の様相を呈して来た。筆者は、挨拶で【生きがについて】語った。「がん哲学外来カフェ」が、「意識的に、個性的な生きがい」を探索する場になってきた。【使命のほうがわれわれを探しているのであって、われわれのほうが使命をさがしているのではない】(ハマーショルド)の言葉が想い出される、この頃である。

終了後、筆者は、「神谷美恵子生誕 100 年」 読書感想文コンクール受賞者決定 表彰式・神谷美恵子記念がん哲学学校(愛カフェ)に向かった。14歳~85歳の78名の公募者から、「神谷美恵子賞」、「長島愛生園長賞」、「入所者自治会長賞」、「樋野興夫賞」、「みすず書房賞」の5名が選ばれた。「樋野興夫賞」は、18歳の女学生の「人間をみつめて」の感想文が、受賞決定となった。「長島愛生園」の記念的な事業として、毎年、継続して頂ければ、最高である。

新幹線の中で、『生きがいについて』&『人間をみつめて』(みすず書房)を改めて、再読した。当時 2000 人の長島愛生園入所者は、現在 226 人であり、平均年齢は 84 歳である。何時の日か入所者ゼロとなろう。長島愛生園を訪問して、3年が経過した。親しい入所者との邂逅でもあった。今後、長島愛生園を【世界遺産】として、世への贈り物として、地上に残して欲しいものである。

がん哲学校たより・52(0089)

2015年03月19日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2015.3.9配信)
第101回「がん哲学学校」
【21世紀の遣隋使】~ 聖徳太子の現代的意義 ~
3月7日の誕生日に、【誕生日ケーキ・カフェ】が、東京と横浜で開催された。生涯の想い出に残る【がん哲学外来】の日でもあった。スタッフの「心温かいおもてなし」には、感動した。「先生の献身と志が世の中への尊いギフトとしてこれからもたくさん届きますように。」、「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時がくると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。」(詩篇1章:3節)の誕生日メッセージをはじめ、アメリカ、カナダに住む,娘、息子からもメッセージが送られてきた。涙なくして語れない。
『埼玉県がんサポートハンドブック』(埼玉県保険医療部疾病対策課がん・疾病対策担当)が送られて来た。その中に1ページも割いて『がん哲学外来メディカルカフェ』の項目があり、埼玉県の7箇所の「がん哲学外来カフェ」の紹介(https://www.pref.saitama.lg.jp/a0705/gantaisaku/documents/gansupporthandbook.pdf)があった。行政的な認知であり、時代の流れを感ずる。

『ならのがん対策県民提案事業~がん患者サロン開設5周年記念事業シンポジウム「がんなっても安心して暮らせる奈良」に向けて~』(主催:奈良県・奈良がんピアサポートなぎの会;なら100 年会館に於いて)に招待された。シンポのレベルの高さに、感激した。筆者は、講演『がん哲学外来 in 奈良~聖徳太子の現代的意義~』の機会が与えられ『聖徳太子の「十七条憲法」』に付いて触れた。筆者は、若き日、田舎の大自然の中で「和をもって貴しとなしーー」で始まる『十七条憲法』を 暗記したものである。今回は、特に、第五条「賄賂を取るな」、第七条「官のために人を求め、人のために官を求めず」、第十四条「政治家たちは嫉妬心を持っ てはいけない」のエッセンスについて、語った。まさに、「遠き過去を知らずして、遠い未来は語れない」の学びの時でもある。

患者、医療者、学生、企業の皆様と、打ち上げ的な、お茶会の一時が持たれた。大変、話が盛り上がり、懇親会が「飛鳥会」の創立記念日と化した。年内に市民公開講演会『医療維新~奈良モデルの提唱~』が企画されることであろう。【医療の隙間を埋める懸け橋】であり、まさに【21世紀の遣隋使】でもある。

2月例会の様子です(0088)

2015年03月03日 | 集まりの様子
集まりの様子です。画像をクリックすると拡大します。

今年初めての例会を2月21日(土)に開きました。いつもは講演からスタートするのですが、今回は講演はなしで、参加者の近況連絡など自由スタイルで行いました。今回は時間が余るかな、と思いましたが終わってみるといつも通りの時間になっていました。色んな話が飛び交っていまして、たまにはこういうのもいいねという声もありまして、主催者としてはほっとしました。
皮膚病などでステロイドを使い、副作用や逆効果に苦しむ人も多いと思いますが、どうも医療用大麻という自然の力を使った良く聞く薬があるようで、今後大注目という注目すべき情報も雑談のなかからもたらされました。
恐るべしは参加者パワー、私たちは普通の人間の集まりですがその普通の人が持つ普通の力のすごさを目の当たりにした例会でした。
さらに、今年は出張がん哲もトライしてみようか、という話も出ました。一歩前に、ということでもありましょうか。

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。