グーグル地図で地形図がみれるってしらんかった。
でも、ふつうの地図からどうやってきりかえるかわからん。とほほ・・・。
(さんこう)
グーグル地図で地形図がみれるってしらんかった。
でも、ふつうの地図からどうやってきりかえるかわからん。とほほ・・・。
(さんこう)
ながらく北京にいってなくてしらんかっただけど、いま、究極の北京飯ってのがあるだげな。
だしとるのは、みかわあんじょうにある北京本店。これはいくしかないだけど、ほれにしても、こんなにじょうずに北京飯をとった写真みたことないわ。
(さんこう)
おりたことのないえきでおりてみる。たまにほんなことをやっとるだけど、こんかいは名古屋本線の神宮前から分岐する常滑線のさいしょのえき、豊田本町(とよだほんまち)でおりてみた。
◇ ◇
神宮前からのった内海いきふつうでひとえき、高架の豊田本町にとうちゃく。平日のあさ8時11分だ。ホームの見学をおえ、階段をおりて地平のかいさつをでる。自動券売機のうえの料金表をかくにん。わが碧海古井までは600円で、東岡崎までとおんなじ料金だ。
かいさつをでた高架したのコンコースはあっぱっぱーで、にしにもひがしにも自由にではいりできるだけど、まずはひがしぐちにでてみる。ひがしぐちっていってもなにがあるわけじゃなくて、鉄道に平行する道路と、ちょうどコンコースのへんからT字にひがしにのびる道路があるだけだ。りょうほうともほんなにみちはばはひろくなくて、えきにむかうひと、えきからでてきたひとがきままにあるく。また、このT字のとこにパチンコやさんとなんとかクリニックがあるほかはとくにめぼしいものもなく、一帯は住宅街の様相だ。
ひがしぐちの観察をするうちに、さがりホームを河和いき特急がとおっていく。このあたり、通過電車もほんなに速度ははやくなくて、しずしずといくってかんじだ。おんなじ高架のえきで、こっからまあちょっとみなみにいった大同町(だいどうちょう)や柴田(しばた)が、おそがいぐらいの速度で通過電車がホームをかすめていくのとはえらいちがいだ。この豊田本町前后の線形が高速走行にむいてないってことか。
コンコースにもどると、ちょうど電車がついた時間か、かいさつからけっこうなかずのひとがでてくる。じぶんがここについたときも、電車からおりるひと、電車にのるひとのかずはそこそこあっただ。いまヰキペディアをみてみると、豊田本町は2014年度で1日平均乗車人員が2,260人とある。2倍して乗降人員に換算して4,520人。わが西尾線でいうと、特急、急行停車駅のみなみあんじょうや桜井に匹敵する。都心にちかいだけあって、ふつう停車駅っていってもあなどるべからずだ。
こんどはにしぐちだ。コンコースからまっすぐにしに歩行者専用道路がのびとるのをみてもわかるとおり、こっちがえきの正面だ。
歩行者専用道路のりょうがわは駐車場になっとって、自動車王国愛知の片鱗がのぞく。まあ、パークアンドライドでも鉄道を利用してくれるならよしとすべきか。高架のホームに金山いきふつうがはいってくる。高架したのパンやさんにははいらんじゃったけど、こういうみせがあるのはいいことだ。
084319 豊田本町 - にしぐち(ポケットパークみたいなとこ)
歩行者専用道路からつづくポケットパークみたいなとこをぬけるとT字の道路になり、ほのままにしにすすむみちがえきまえどおりになっとる。左右にたつ高層アパート下層階のみせやさんが「えきまえ商店街」を形成しとって、喫茶店なんかけっこうひとがはいっとったよ。いや、人工的につくったもんだけどみごとだ。こういうのを都市計画っていうだ。えきにつながってひとがすみ、えきにつながってみせがある。
さて、T字のねもとまでもどって、T字のよこぼうがわのいりぐちにあった喫茶店にはいって、いっぷく。たのんだのは、おぐらあんサンドふたきれとゆでたまごつきのモーニングサービス。こいで380円とはさすがモーニング王国、名古屋! おまけにこのみせ、いちんちぢゅうモーニングサービスやっとって、ほのなもモーニング喫茶リヨン。いやいや、おそれいりました。常連らしいおきゃくさんがいれかわりやってきとったよ。
まちあるきをおえ、えきのかいさつをはいる。ホームにあがる階段から、のみやさんがいくつかみえる。うん、これもまちのにぎわいにはかかせんもんだね。
高架のホームにやってきた金山いきふつうにのり、豊田本町のまちをあとにした。
(さんこう)
クロで長浜までいった。長浜では旧長浜駅舎とこれに併設の長浜鉄道文化館、北陸線電化記念館、さらにこれらのむかいにある慶雲館をみてきた。
◇ ◇
しらさぎ3号グリーン車クロ681-3を長浜でおり、橋上のかいさつをでる。えきとうちゃくまえに電車のなかからみえとった旧長浜駅舎は、線路のにしがわをちょこっとみなみにいったとこにある。たてもんの正面であるみなみがわにまわりこむ。明治の洋館だ。想像しとったよりこぶりなたてもんだけど、維新政府のいきごみがかんじられる。
〔鉄道開通以前の交通〕〔新橋横浜間の鉄道開業にあたっての勅語〕〔最初の鉄道計画と長浜駅の開業〕〔のびる長浜周辺の鉄道〕〔1890年ごろの東海道線駅舎の写真〕〔かがやく新快速〕〔ED70がた1号〕〔旧長浜駅舎と姫路いき新快速〕〔旧長浜駅舎内部〕〔慶雲館〕 |
入館料をはらって、旧長浜駅舎にはいる。2階は事務室で1階がえきになる。見学可能な1階をひととおりみて、おくの長浜鉄道文化館にはいる。まずは鉄道開通以前の交通。琵琶湖にはいくつかの航路があり水運がさかんだったことがわかる。長浜も湖北の水運拠点のひとつで、陸運と水運の結節点になっとる。
展示物に「江戸時代の長浜大津間はやぶねの告知」なんてのもある。くれむつどきに長浜を出船して、翌日あけむつどきに大津につくとある。う~ん、夜行列車ならぬ夜行船だ。このことによっても江戸時代の琵琶湖水運のにぎわいが察せれる。
さて、鉄道の開業だ。1872年、新橋横浜間のわがくにはじめての鉄道の開業によせた明治天皇の勅語がある。なかなかむずかしいとこがおおくてわからんだけど、「朕(ちん)わがくにの富盛を期し百官万民のためにこれを祝す」ってとこはわかる。「わがくにがとみさかえることを期待し、役人や国民のためにこれをいわう」っていう意味だね。天皇陛下のおよろこびのようすがわかる。また、「朕、さらにこの業を拡張し、この線をして全国に蔓布せしめんことを庶幾す」は、「さらに鉄道を拡張し、全国にひろげることをこいねがう」っていう意味になる。鉄道にかける意気ごみがわかるね。
ほいで、鉄道がどうやって全国にひろがっていったか。「最初の鉄道計画」っていう展示にこうある。「まずさいしょにえらんだ路線は、1.東京-横浜、2.神戸-大阪-京都、3.京都-敦賀のみっつで、第3の経路で水運と陸運の接続点として、長浜が敦賀にいく路線の起点としてえらばれた」って。ふぅむ、長浜をとおる路線はにほんさいしょのみっつの路線のうちのひとつだっただ。
で、長浜駅の開業は1882年3月とおか。1872年の新橋-横浜間の開業におくれること10年。柳ヶ瀬トンネル区間をのぞく長浜-敦賀間といっしょに開業しとる。
むかしの写真で、駅舎とふなつきばがすぐとなりにあることがわかるよね。1960年ごろのさつえいで、とっくに駅舎は移転しちゃっとるだけど、まんだ旧駅舎もふなつきばもむかしの状態をのこしとっただ。
△ 「最初の鉄道計画」旧長浜駅舎(1960年ごろ和田清太郎さんさつえい)
つぎに、長浜に鉄道が開通したころの全国の状況が展示されとった。さっきの東京横浜、京阪神、長浜敦賀のみっつのほかは、北海道の官営幌内鉄道と東北の釜石鉄道のふたつだけ。いや、長浜のいかに鉄道先進地だったことか。
1887年ごろの長浜駅の模型も展示してある。
つぎは長浜周辺の鉄道がどうやってのびていったか。1882年3月は長浜-敦賀間の開業時で、柳ヶ瀬トンネル区間はまんだつながっとらん。
1883年5月は、長浜からひがしに線路がのびて、関ヶ原までいっとる。いまの東海道線にあたるだけど、米原じゃなくて長浜が起点になっとっただね。
1884年4月は柳ヶ瀬トンネル区間が開通し、ほの翌月の1884年5月は関ヶ原-大垣間が開通しとる。
5年おいて1889年7月は、ほれまで水上航路だけだった大津-長浜間に線路がひかれとる。いまの形態だね。ほれと、関ヶ原方面の線路の起点が長浜から米原にかわっとるだけど、これはよくなかったじゃないかなっておれはおもうよ。長浜は太閤秀吉以来のまちだけど、米原はまちでもなんでもない。
また、11年おいて1900年2月は、草津から分岐する関西鉄道や彦根から分岐する近江鉄道ができとったり、さらに米原-関ヶ原間の経路の一部が変更になったりする。う~ん、鉄道がどんどんひろがっていくね。
ちょっと休憩で、1889年東海道線全線開通当時の駅舎の写真をながめる。うん、わがあんじょうえきはない。陳情活動がみのって、岡崎-刈谷間にあんじょうえきができたのは1991年のこと。この展示は、旧長浜駅のおくに長浜鉄道文化館とならんでたっとる北陸線電化記念館のなかにあったもの。
長浜鉄道文化館の展示にもどって、「かがやく新快速」! いや、じつに新快速によってJR西日本区間の東海道線はいきかえり、また、新快速の長浜延伸によって長浜のまちもいきかえっただ。
初代新快速の登場は1970年。まんだこのころの運行は本格的じゃなかったっておもう。2代めが1972年から1980年。1975年から5年間の学生時代を彦根ですごしたわがみとして、これはかなり本格的な運行だったっていう実感がある。なんせ京都-大阪間に停車駅なしって、特急といっしょじゃんっておもったよ。バドミントンのしあいで大阪までいくときとか、重宝したもんだ。3代めが117系で1980年登場。
4代めが1989年登場の221系。JR西日本となってから投入された新車で、5代めである1995年の223系、6代めである2010年の225系と、いまにつづく。破壊的な速度で関西のおもだった都市をつなぐ。
ところでながらく長浜は新快速のかやのそとだった。米原からわずかのきょりであるにもかかわらず、東海道線区間じゃないってことでかやのそとにおかれとった。このままじゃまちはさびれるいっぽうだ!っていう危機感をもった長浜のひとたちの、新快速延伸要望がみのったのが1991年9月じゅうよっかのこと。長浜の属する北陸線は交流電化区間だって、これを東海道線とおんなじ直流電化区間に変更してまで実現した。こうして長浜は高速交通網のなかにくみいれられ、黒壁スクエアの成功ともあいまって、まちはおおいににぎわうことになる。わが学生時代、彦根のまちがおおいににぎわっとるのと対照的に、長浜のまちはひとっこひとりあるいてないような状態だっただよ。新快速さまさまだ。
北陸線電化記念館で電気機関車をみる。ED70がたっていう形式名で、長浜にとってはのちにあだとなる交流電化だけど、1957年10月ついたちに実施された米原-敦賀間の交流電化にあわせて製造された、にほんはつの量産がた交流用電気機関車だとのこと。いや~、電気機関車の運転室なんてはじめてはいってみたけど、電車の運転室よりそうとうひろくて、人間がはたらいとるばしょだな~っていうかんじのつよくする空間だった。
△ ED70がた1号(うえひだり=運転席)(うえみぎ=機関室)(した=外観)
いったん施設のそとにでて、いっぷく。旧長浜駅舎のとなりのふみきりを、ちょうど姫路いき新快速がいくわ。
△ 20160706_112947 旧長浜駅舎と姫路いき新快速
さいごにまあいっかい旧長浜駅舎を見学。いりぐちをはいったとこのひろまがコンコースで、ほのおくがかいさつぐち。
1等、2等にのるひとには、専用のまちあいしつがある。コンコースのひだりがわだ。
琵琶湖汽船の広告ってのもかかげられとる。長浜駅開業まもないころのもので、「公衆の便益に応ぜんがため合資協力して太湖汽船会社を創立して、安全堅牢な鉄船数艘の新造に着手するとともに、在来の汽船会社所有の船舶もことごとく購入して『江湖の望』を満足せしめんと欲す」ってかいてある。『江湖の望』ってのはようわからんけど、「資本をあつめてしっかりした会社をつくって、鉄製のふねの新造に着手し、在来のふねも購入して、みなさんの期待にこたえていきますよ」っていうような意味かな。きおいがつたわってくる。
1、2等まちあいしつには洋装の紳士、和装の婦人、はおりはかまのこどもの3人がおった。
おくの駅長室には威厳のある駅長さんがたっとった。
休憩室っていうへやもある。まどのうえのランプがいいふんいきだ。
鉄道関係施設の見学をおえ、むかいの慶雲館っていうたてものにはいる。1887年の明治天皇の長浜ご訪問をおむかえするために、じもとの豪商、浅見又蔵っていうひとが私財を投じて建設したもんだっていう。わがあんじょうでも天皇陛下をおむかえするために、当時の町長だった岡田菊次郎が自宅を大増築してこれにあたっただけど、天皇陛下ご訪問ってのはほいだけ栄誉なことだっただ。
門のわきの説明がきをよんで、しきちにはいる。
△ 慶雲館(うえひだり=門)(うえみぎ=中門)(した=たてものいりぐち)
天皇陛下をおむかえするまは2階。階段をあがってはっといきをのむ。なんちゅううつくしさだ。
玉座がおいてあるのは、おくの1段たかいとこ。やんごとなきかたは、ベランダにでたりしてものほしげににわをながめたりはせんもんだ。
△ 慶雲館(うえひだり=玉座の間)(うえみぎ=説明がき)(した=にわ)
◇ ◇
見学したものすべてにおおいに満足し、ひるをとるためににぎわうまちなかにむかった。
(さんこう)
2016年6月とおかきんようび、はじめて山王(さんのう)のえきでおりただけど、えきとほのまわりのようすをつぎにしるす。
あさ7時49分、岩倉いきふつうで山王にとうちゃく。けっこうなかずのつとめにんがホームにおり、地上のかいさつにつながる階段をおりていく。
しばらくホームで電車見物。あおい車体のミュースカイがホームを通過し、名鉄名古屋方面にむかっていく。あかい電車の名鉄岐阜いきふつう6000系かんつうがたがホームにとまり、のりきれんぐらいのひとをのせていく。あかい電車の常滑いきふつう3500系きんぎょばちが発着する。空港特急の名鉄岐阜いき快速特急がホームを通過していく。
△ 1まいめ=20160610_080439 山王 - あがりミュースカイ通過
△ 2まいめ=20160610_080848 山王 - 名鉄岐阜いきふつう(6202)
△ 3まいめ=20160610_080950 山王 - 常滑いきふつう(3610)
△ 4まいめ=20160610_081049 山王 - 名鉄岐阜いき快速特急(うしろ)
ホームでの電車見物をおえ、かいさつをでたとこで、あっ!ておどろく。かいさつはえきのきたがわ、名鉄名古屋かたにあるだけど、かいさつをでたとこがまさにガードしたになっとって、あたまのうえをゴーゴーって電車がいきかうだ。あかい電車がいく。ぎんいろ電車がくる。パノラマスーパーがいく。あかい電車がくる。わらっちゃいそうにたのしい。
ガードしたでの電車見物をきりあげ、かいさつ付近を観察。いやー、電車がとうちゃくするとけっこうなかずのひとがおりてくるわ。都会のえきのふうけいだ。
(うえひだり=081844 かいさつと階段)(うえみぎ=081302 階段)(した=081451 かいさつ)
えきは自動券売機があるだけの無人駅。料金表をみると、わがもよりえきの碧海古井からここ山王まで600円。金山までの料金とおんなじで、名鉄名古屋までの660円より60円やすい。
△ 山王 - 名鉄線ふつう旅客運賃表(おとなかたみち)(うえ)(した)
運行本数はどうか。さがり方面は1時間に4本で、ぜんぶ東岡崎いき。
あがり方面は1時間に6本で、いきさきは犬山、弥富、岩倉、犬山、弥富、岩倉。さがり方面より2本おおいのはふしぎなことだけど、これについてはあらためてかんがえてみたい。
さて、ちょっとえきからはなれてみる。さいしょはえきのにしがわにでてみる。一帯は住宅と事業所のまざった、たかいたてもんのない昭和なふうけいがひろがる。えきからほどちかいとこにみつけた喫茶店にはいって、いっぷく。きゃくはじもとのご老人たちばっかりで、みせのいりぐちやなかの座席にはなんびきかのねこがくつろいどる。
つぎは、えきのひがしがわにでてみる。線路ぞいをきたにちょっとあるいたとこに西日置橋(にしひおきばし)っていうはしがあって、このはしに平行して鉄橋がある。鉄橋をいきかう電車ってのはえになるもんだ。あかい電車、空港特急、パノラマスーパーと電車がわたっていく。名鉄名古屋にいくとき、もどってくるときにはかならずとおっとるはずの鉄橋だけど、はっきりと認識したことはこれまでなかった。
さいしょはわからんかったかわのなまえだけど、名鉄の鉄橋のすぐにしにある東海道線の鉄橋の表示で中川運河だっていうことがわかる。厳密にいうと中川運河東支線で、南北に平行する中川運河と堀川をむすぶためにほられたもんだっていうことは、あとでわかった。
△ 20160610_094713 西日置橋 - セントレアいき準急と中川運河
西日置橋をむこうにわたったとこで、名鉄名古屋方面からミュースカイがこっちにむかってくる。電車のむこうには摩天楼がかいまみえ、ここが都心にほどちかいばしょだってことをおもいだす。
△ 20160610_095143 西日置橋きた交差点 - ミュースカイ
こんどは西日置橋のひがしがわにまわって、あかい電車やぎんいろ電車のいきかう鉄橋をながめてみる。
さて、西日置橋から、鉄橋とははんたいがわの中川運河東支線をながめてみる。えになるふうけいだ。おおきなビルもいくつかたつ都会のなかに、みどりにふちどられたはばのひろいみなもがしずかにわけいっていっとる。はばのひろいみなものつきあたりには、由緒ありそうな2本の塔がたっとる。運河のみなみがわ道路をあるいて塔のとこまでいってみる。とちゅうは、マンションやら大浴場やら材木店やらがまざってたつ、ちょっとかわったふうけいだ。つきあたりの塔は松重閘門(まつしげこうもん)っていう水門にたつもんで、水位差のある中川運河と堀川をいききするふねをあげさげする装置がこの水門だった。パナマ運河が名古屋にあっただ。いまはつちでうめられちゃっとる。
えきにもどってかいさつをはいる。
ホームにはいってくるぎんいろ電車の岩倉いきふつう3300系のみぎてに、わずかにDragonsっていう看板のみえるたてものがむかしの中日球場で、このえきもまえは中日球場前っていうなまえだった。
△▽ 20160610 山王 - 岩倉いきふつう(うしろ3166)(うえ=102802)(した=102830)
しばらくしてやってきた10時41分の東岡崎いきふつうにのって、山王のえきをあとにした。
△ うえ=20160610_104150 山王 - 東岡崎いきふつう(6811)
△ した=20160610_104212 東岡崎いきふつう(6811) - 山王しゅっぱつ
(さんこう)
山王(さんのう)のえきをおり、しばし電車見物。かいさつすぐよこのガードしたからガードのうえをいきかう電車をみるのはまことにおもしろい。電車がわがみにおおいかぶさってくるようだ。また、ほっからちょっときたにいったとこの、中川運河東支線にかかる西日置橋(にしひおきばし)から、鉄橋をいきかう電車をみるのはまことにたのしい。あおい鉄橋にあかい電車がはえる。
さて、まちあるきだ。電車にのったりみたりするのもいいけど、えきをおりてまちあるきをすることもだいじなことだ。えきのまわりの土地はじゅうぶんに活用されとるか、みせはどれぐらいあるか、えきがにぎわいの中心になっとるか、まちにとけこんどるか、まちなみはおちついたものであるか、むかしのにぎわいをどっかにみることができるか、などなどのことを、あるいてみてかんじてみるだ。
鉄橋からふりかえって西日置橋からひがしがわをみてみる。えになるふうけいだ。おおきなビルもいくつかたつ都会のなかに、みどりにふちどられたはばのひろいみなもがしずかにわけいっていっとる。はばのひろいみなものつきあたりには、由緒ありそうな2本の塔がたっとる。
△ 20160610_095545 中川運河東支線(ひがしむきにさつえい)
2本の塔のとこまできた。水門か。
△ 20160610_100155 松重閘門(ひがしむきにさつえい)
水門のうらがわはつちでうめられとって、ほっからはんたいむきに西日置橋のほうをながめてみると、ほのすぐむこうの鉄橋をまたミュースカイがわたっていくのがみえる。
△ 20160610_100422 松重閘門(にしむきにさつえい)
また、ほのおくがちょっとした公園になっとって、ほの一角になにやら説明がきがある。おお、この水門、松重閘門っていうのか。くわしくよまあっておもったとこで、しろいおおきないぬをつれたおじいさんがちょうどやってきて、説明をはじめてくれる。
「この中川運河東支線は南北に平行する中川運河と堀川をむすぶためにつくられたもんだけど、堀川はたかい位置にあって中川運河は海抜ゼロメートルのひくい位置にある。高低差があってほのままじゃふねのいききができん。ほいで、この松重閘門でふねを上下させていききさせとっただ。堀川から中川運河にいくときを例にとって説明すると、まず、中川運河がわの水門をしめて松重閘門の水位を堀川の水位にあげて堀川からのふねをいれる。つぎに、堀川がわの水門をしめといたうえで、中川運河がわの水門をひらいてやって水位を中川運河の水位にさげて中川運河にいけるようにする。水位をさげとるあいだ、ふねが水流にながされんようにつなをかけとくためのわっかがほこにあるだら」
おおーっ! パナマ運河じゃん!
「むかしはみんな舟運(しゅううん)だっただよ。トラックなんかおおきなもんでも4トンしかあやへんくて、みんなふねではこんだだよ。とりわけ木材の運搬がさかんだった」
なるほど、笹島貨物駅と名古屋港をむすぶ中川運河、名古屋のまちを南北につらぬく堀川、このふたつをつなぐことで縦横無尽に物資をはこぶことができただ。
「ほいから、伊勢湾台風の被害がおおきかったことでもわかるとおり、名古屋はゼロメートル地帯もおおい。中川運河のみずがあふれんように、こっからみずをかいだしてほのみずをふてるための、直径30メートルものおおきなトンネルがこのひがしがわに南北にほってあっただよ」
ほー、ほんなことまで。
「おれがちいさいころはなあ、てすりもなんにもない水門のうえをあるいて学校のいきかえりをしたもんだよ。あぶないことをしとったもんだ」
おじいさんのはなしは、まんだまんだつづく。おれのやすみは午前中だけで、ひるからのしごとのためには、まあ電車にのらにゃいかん。うしろがみをひかれながら、山王のえきにもどった。
(さんこう)
きのう2016年5月なのか、旧春日村(かすがむら)上ヶ流(かみがれ)集落に天空のちゃばたけをみてきた。町村合併したいまは、揖斐川町(いびがわちょう)春日六合(かすがろくごう)のうちになる。
◇ ◇
養老鉄道の終点、揖斐駅からのった揖斐川町コミュニティーバスで宮ノ下バス停にとうちゃく。揖斐駅からにしの方角になり、平野からたにぞいにはいってしばらくいったとこだ。
△ うえ=揖斐川町コミュニティーバス - つぎは宮ノ下バス停
△ した=宮ノ下バス停 - 揖斐川町コミュニティーバス(ひだり)(みぎ)
上ヶ流集落はこのたにぞいから、やまをきたにあがったとこにある。春日郵便局のとなりにうえにいくみちがあり、てきとうに見当をつけてのぼっていく。舗装はしてあるけど、ひともクルマもとおらんやまみちってのはおそがいもんだ。くまよけにもってきたふえをふきふきしながら、のぼっていく。みちはつづらおりの急なさかみちで、ちょっとのぼったとこで、まあはい、たにぞいの集落がこんなにしたにみえる。うつくしいふうけいだ。
たにのむこうのやまには、こいきりがかかる。いや、ほれにしても、これが目的地につながるみちだっていう確証もないままにすすんでいくのは不安なもんだ。くまがでてきたら一巻のおわりだし。写真をとるのもそそくさとすませる。とにかく、はよのぼるしかない。
むこうのやまの中腹にも、ぽかんとちゃばたけがみえる。
はじめてクルマが2台とおるのをみたとこで「天空の遊歩道」の看板があらわれ、ほっとする。まちがってなかっただ。みちもいくぶんゆるやかになってきた。
たにぞこは、こんなにしたになった。っていうか、みえんぐらいだ。
みちの左右にゆるやかにちゃばたけがひろがる。まあじきだ。
「上ヶ流です」の看板にうれしさひとしお。うん、この一面にひろがるちゃばたけこそが天空のちゃばたけだ。いや、ほれにしても、たにからこんなにうえにあがったとこに、こんなにたいらかな土地があり、ちゃばたけにかこまれた集落があるとはおどろきだ。
のぼりざかをまあちょっとすすんだとこで、ここが集落のまんなかだっておもわれるとこにとうちゃく。宮ノ下バス停からあるいてあがってくること30分だ。民家があつまり、上ヶ流茶ののぼりばたがたち、自販機があり、製材所がある。製材所には「10月1日バス運行いわい」とかいう横断幕がはってある。この上ヶ流集落にもバスがくるようになるのか。また、天空の遊歩道までの案内看板もある。ここまででしっかりあせをかいており、ここであせをふいたり自販機ののみもんをのんだりで、ちょっときゅうけい。
さて、天空の遊歩道ののぼりぐちをめざして、また、ちゃばたけのなか、のぼりざかをすすむ。
ようこそ、天空の遊歩道いりぐちへ! この遊歩道をつくったっておもわれるじもとのひとたちがなんにんかここで待機しとって、訪問者をでむかえてくれる。あるいてここまできたのはおれひとりだけど、クルマできたひとたちがつぎつぎにやってくる。おちゃまでふるまわれる。ありがたいことだ。さらに、やまのぼり用につえまでかしてくれるっていう親切さだ。
かりたつえをつきつきして遊歩道をのぼる。あしもとはどろだらけ、ひざはがくがく。
ひゃっほーっ! ついに、展望地点にとうちゃく。眼下に天空のちゃばたけがひろがる。このけしきがみたくて、やもたてもたまらずこの上ヶ流集落までやってきただ。このけしきがみたくて、つづらおりのさかみちもものともせず、くまの恐怖もものともせず、宮ノ下バス停からこの展望地点まで1時間かけてのぼってきただ。
この展望地点でも、じもとのひとがふたり作業をしてみえる。いまはつったってながめるしかないこのばしょを、なんにんかがすわれるベンチでもおいて整備するものとおもわれる。ほんとにありがたいことだ。
記念さつえいもしたりしながら、しばしながめをたのしむ。
なんにんかとすれちがいながら、のぼりぐちまでおりる。きたときよりもひとがふえてきたか。このひじゃないけど、東京からきたひともあるだげな。天空の遊歩道をつくるっていう発想が、このやまおくの地をにぎわいの地にかえる。また、さっきの「10月1日バス運行いわい」の横断幕も、まあはい区長さんのご尽力により実現しとるとのことで、月木の週ふつかだけではあるだけど、たにあいの「かすがもりもりむら」とここ上ヶ流集落をむすぶバスが運行しとるだげな。
かえりはタクシーでかえらあっておもっただけど、「タクシーなんかきてくれやへんぞ。だいたい、このばしょがわかやへんわ」ってことで、またあるいて宮ノ下バス停にむかう。ちゃばたけのなかをすすむ。
つづらおりのとちゅうで、ひがしの平野がかいまみえる。
かえりはなんだいかのクルマともすれちがい、いきよりは安心だ。
また、たにぞいの集落がみえるとこまでおりてきた。
まあちょっとでおりきるっていうとこで、ちゃつみふうけいをみる。作業をおえておつかれさまっていうとこだったか。
宮ノ下バス停までおりるもバスがくるまでまんだちょっと時間があり、さっきみえたたにぞいの集落まであしをのばす。六合っていう集落で、たぶんこれが旧春日村の中心地だったっておもう。いってみると、集落っていうより「まち」にちかいか。せばいめぬきどおりのりょうがわにまちなみがひろがり、おちゃやさんやらの事業所もあったりする。ただ、はらがへった。パンでもうってないかって、みつけたひとにきくと、もうしわけなさそうに、むかしはあったけどいまはやってないとのこたえ。クルマどおりにでてしばらく上流のほうにいくとたべれるとこもあるけどとも。
バスがくるまでしばらくこの六合のまちなみをたのしむことにする。クルマどおりにでたとこで六合バス停の位置をたしかめたうえで、まあちょっとまちのはしっこまでいってみることに。ちょっとあるきかけたとこで、おや、クルマがとまる。さっき、パンでもうってないかってきいたひとだ。しばらく上流のほうにいったとこにあるたべれるとこまでのせてってあげるっていう。あまりの好意に恐縮しつつも、あつかましくのせてもらうことに。
クルマはクルマどおりからバイパスにでて、さらにかわを南岸にわたって「かすがもりもりむら」にとうちゃく。礼をいい、クルマをみおくり、たてもんのなかにはいる。みやげものやさん、ふろ、食堂がいっしょになった施設だ。
すぐに食堂にはいり、薬膳料理もりもり膳を注文。いや~、お膳のおおきいこと、おおきいこと。高麗人参うこんころもあげうどん、えびてん、さんまのかんろに、ぶたしゃぶのオニオンサラダ、しゃけのさしみ、くろまいごはん、杏仁豆腐とたべつくし、まんぞく、まんぞく。さいごに薬草茶をのんで、ふぅーぅ。
△ ひだり=揖斐川町公共交通試行運転事業の案内看板
△ みぎ=かすがもりもりむらバス停時刻表
みやげものやさんでみやげをかい、バス停でここと上ヶ流をむすぶバスの試験運行があることをたしかめ、やってきた揖斐駅いきバスにのり、天空のさとをあとにした。
△ うえ=かすがもりもりむらにやってきた揖斐川町コミュニティーバス
△ したひだり=六合バス停、したみぎ=宮ノ下バス停
(さんこう)
いっかいのってみたかったじねんじょ列車にのってきた。いや、じねんじょ列車といわず、このての料理列車にのったことがなかっただ。ほのゆめが実現したのは、さくらの満開もまぢかの2016年3月30日のこと。
◇ ◇
中央線で恵那にとうちゃく。いったんかいさつをでて、えきまえにみつけた喫茶店でいっぷく。えきにもどって、明知鉄道のまどぐちで、このあとのじねんじょ列車にのれるかってきく。もうしわけなさそうに、「きょうにきょうはむりです。予約制ですので」と駅員さんのこたえ。もし当日ドタキャンでもあったらってだめもとできいただけど、やっぱりあかんかった。まちあいしつにもいっぱいひとがおるわ。あきらめて、併結の一般車にのることに。
きっぷをかってかいさつをはいる。きっぷはいまどきめずらしい硬券だ。まあはいそこそこのかずのひとがおる1面1線の明知鉄道ホームにじねんじょ列車がはいってくる。おおーっ! けっこうな長編成だ。とまった列車から配膳かかりのおねえさんたちがホームにおりてきて、われわれをでむかえてくれる。
△ 20160330_122826 恵那 - 明知鉄道じねんじょ列車
列車はいちばんてまえの1両が一般車で、おくは3両もが食堂車だった。食堂車は1両30人だで、ぜんぶで90人のひとがじねんじょ列車をたのしむわけだ。食堂車も1両だらあっておもっとっただけど、平日ではあるけど行楽のこの時期、人気がたかいだ。食堂車の3両はまったくかたちがばらばらで、いかにもかきあつめてまにあわせたってかんじだ。配膳かかりのおねえさんたちのてまねきで、おきゃくさんたちがいっせいに食堂車にのりこんでいく。しゅっぱつは食堂車のほうが先頭になるだけど、先頭の1両分はホームがたりずに、1両めにのるおきゃくさんは、2両めからのって1両めにうつるってかたちだった。配膳かかりのおねえさんのほかにバスガイドさんもおるだけど、これは観光バスで恵那のえきまできた団体客にちがいない。このあと、どっかのえきでひろっていくものとおもわれる。
△ じねんじょ列車にのりこんでいくひとたち(うえ=122935)(した=123103)
さて、おれは一般車にのらにゃいかん。ホームをもどるとこで、なんにんかのおきゃくさんが配膳かかりのおねえさんに列車を背景の写真をとってもらっとるとこを発見。便乗しておれもとってもらった。料理列車のおきゃくじゃないけどとってもらえますかって、ていねいにたのんでのことだけどね。いやなかおひとつせず、っていうか、おきゃくさんがよろこんでくださることならよろこんで♪ってかんじで、とってくれたよ。みばえのするように、しゃがんでまでしてとってくれた。このことだけで、まあはいこころがみたされた。
△ じねんじょ列車のまえで記念さつえい(ひだり=123147)(みぎ=123154)
のりこみ完了♪ おねえさんがかくにん♪
12時40分、恵那のえきをしゅっぱつ。一般車からも貫通とびらごしに食堂車のようすがみえるだけど、じねんじょ料理にしたつづみをうつおきゃくさんたちのたのしそうなこと。いっぽうで、配膳かかりのおねえさんたちのなんとたいへんそうなことか。ふるびた線路設備、ふるびた車両で運行される明知鉄道は、ゆれもひどい。ほんななかで90人分の料理をじゅんばんじゅんばんにはこぶだよ。ほのあいだにも、おきゃくさんのもとめにおうじて、たべとるとこの写真もとってあげにゃいかんし。なのに、えがおをたやすことはない。
△ 20160330 じねんじょ列車の客室内(ひだり=125135 食堂車)(みぎ=125547 一般車)
さて、一般車の客室内にめをむけると、さっきのバスガイドのおねえさんものっとる。引率してきたおきゃくさんたちがじねんじょ列車をたのしんどるあいだ、わが時間か。ほかのひとたちもふつうに列車のベンチシートにこしかけて、ふつうに日常をおくっとる。
列車はうららかなやまざとをごとごととはしる。速度はせいぜい40キロ。
△ 20160330_130045 じねんじょ列車 - 阿木(あぎ)停車(后方ふうけい)
おんな城主で有名な岩村もとおる。すれちがったあかい列車のかっこいいこと。ひなびたえきにはえる。
△ 20160330 じねんじょ列車 - 岩村しゅっぱつ(后方ふうけい)
(うえ=131247)(した=131258)
13時22分、山岡にとうちゃく。ひとり列車をおりる。じねんじょ列車の食堂車にのれんことがわかった時点で、終点明智のちょっとてまえのここ山岡に目的地をかえただ。いや、しかし3両のばらばらなこと。
△ 20160330_132221 山岡 - じねんじょ列車
かいさつをでて、っていうかかいさつはなく、きっぷは列車の車掌さんにわたしておわりだけど、ホームからそとにでて、えきまんまえの「かんてんかん」にむかった。明知鉄道はじねんじょ列車以外にもいろいろと料理列車をはしらせとって、ほのなかに寒天列車ってのもあるだけど、かんてんかんではほの寒天列車ででてくるのとほぼおんなじとおもわれるかんてん料理をたのしんだだよ。かんてんはここ山岡の特産で、この資料館ではかんてんの展示をするだけじゃなくて、料理もたべさせてくれるだ。このかんてんかんのことはあらためてかくよ。
明知鉄道くだり時刻表〔平日〕 (※ じねんじょ列車などの料理列車はあかじで表示)
(さんこう)