先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

返還遺骨の墓標制作 コタンの会、浦幌に再埋葬で

2017-08-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2017/08/16

再埋葬に使う墓標「クワ」の仕上げ作業を行う葛野さん(右)
 【新ひだか】北海道大学が保管しているアイヌ民族の遺骨のうち、十勝管内浦幌町で発掘された63体が地元に返還されることから、日高管内などのアイヌ民族有志の団体「コタンの会」が再埋葬する際に慰霊の儀式で使う墓標「クワ」を制作した。遺骨は19日、浦幌町の町営浦幌墓園に再埋葬される。
 コタンの会はアイヌ民族の遺骨返還を求める取り組みを続けており、クワ作りの実績を見込まれ、浦幌アイヌ協会側から制作の打診があったという。
 コタンの会によると、クワは死後、「天界」に行く際に使うつえ。墓地に立てるクワの長さは2メートル10センチ~2メートル20センチ。重さは1本で30~50キロ。会員数人がドスナラと呼ばれる木の皮をはぎ、ヤスリで削るなどして13日に完成させた。
 クワは、先端がY字形の男性用と丸みを帯びた女性用があり、計7本を用意した。同会の葛野次雄副代表(63)は「伝統のある慰霊の儀式で再埋葬するので、安らかに眠ってほしい」と語った。(升田一憲)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/125847


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一九三七年 飯田線開通 愛されて80年③

2017-08-17 | アイヌ民族関連
東愛知新聞社08月17日(木)00:00掲載

カネトの功績を伝える豊川一宮西部小の演劇
 豊川市一宮町の一宮西部小学校(柴田斉子校長)では、学校のすぐ隣を飯田線が走る。その飯田線にまつわる偉人伝を演劇で再現し、人権について学ぶ機会があった。
 総合的な学習の発表の場として、毎年11月に開く「もちの木まつり」。昨年、当時の6年生たちに学年主任の佐々木孝治教諭が飯田線の測量に尽力したアイヌ民族の川村カネトを紹介したところ、子どもたちが強い関心を示し、カネトの功績を劇で演じようと企画した。
 児童らは図書室の本でカネトの半生を研究し、台本を作り、オーディションで配役を決め、稽古を積んだ。全校生徒や父母らも前に発表した演劇「飯田線をつなげたアイヌの魂」では、カネトが沿線住民から人種差別を受けながら測量作業に取り組む姿を40分にわたって再現。カネトが作業員にバットで殴られ、穴に突き落とされるシーンなども熱演した。
 飯田線開通の立役者となったカネトの世界を表現し、差別やいじめなどの人権のあり方に向き合った子どもたちからは「カネトは差別に遭いながらも差別をしている人たちの生活を思い、飯田線を一生懸命つなげてくれた」「劇でカネトの存在や思いを伝えることができた。今までとは違った気持ちで飯田線の走る音を聞いている」といった意見が聞かれた。
 柴田校長は「高校生、大学生になれば多くの子が飯田線を利用する。常にそばを走る電車に、実はこんな話があったことを迫力ある演技で後輩たちに伝えてくれた」と話す。特別支援学級の児童も含め、沿線の駅名を暗記している子も多いという。飯田線が立派な“教材”となっている。
(由本裕貴)
 ◆川村カネト◆ 1893(明治26)~1977(昭和52)年。旧国鉄の測量技手として北海道各地の線路工事の測量に携わる。飯田線の前身となる信州方面の路線を運営していた三信鉄道から頼まれ、天竜川や渓谷などの難所で引き受け手がなかった三河川合~天竜峡の測量を同じアイヌ民族の測量隊を率いて成功させた。これが現在の豊橋~辰野の全線開通につながった。北海道旭川市には自ら館長も務めた川村カネトアイヌ記念館がある。
http://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/1501

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画・伝統芸能・食・本 深み増す日台交流 肌で感じる文化の多元性

2017-08-17 | 先住民族関連
産経ニュース2017.8.16 09:14

日本台湾祭りでは、さまざまな民族芸能が披露された=7月7日、東京・上野の上野恩賜公園
 日本と台湾の文化交流が一層深みを増している。日本とのつながりを描いた映画が次々と登場する一方、日本では食や音楽、美術など、幅広い分野で台湾文化に注目が高まってきている。その背景を探ってみた。(藤井克郎)

 7月中旬、東京・虎ノ門の台湾文化センターで、ドキュメンタリー映画「台湾萬歳(ばんざい)」(酒井充子(あつこ)監督)の完成披露試写会が開催された。上映後には、酒井監督とのトークイベントに美術家の奈良美智(よしとも)さんが登場。約15年前、台北での美術展をきっかけに台湾の魅力にはまり、すでに10回ほど同地を訪れているという。
 「昔から変わらない自然が残っていたり、原住民の人が今もたくさん暮らしていたりする。そんなところに、どんどん興味を持つようになっていきました」と奈良さん。
 「台湾萬歳」は酒井監督が手がける台湾3部作の3作目で、東京・ポレポレ東中野で公開中だ。台湾東南部の台東県を舞台に、日本伝来の漁法でカジキ漁を続ける先住民族アミ族の夫婦ら、土地に根ざして生きる人々の姿をとらえる。
 ほかにも台湾のドキュメンタリー映画が相次ぐ。今月12日から、戦前に石垣島に渡った台湾移民の今を見つめた「海の彼方」(黄胤毓(いんいく)監督)の公開が始まり、19日には日本統治時代に日本語で詩作に励んだ台湾人を描く「日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち」(黄亜歴監督)が東京で公開される。
 こうした状況について、現在は沖縄に住む黄胤毓監督は「新作の台湾映画だけでなく楊徳昌(エドワード・ヤン)監督作など古い作品も日本で人気が高く、ちょっと驚いた」と話す。
■ □
 台湾の食文化や伝統芸能を紹介するイベントも花盛りだ。6月に台湾フェスティバル、先月初旬には日本台湾祭りが東京・上野公園で開かれ、同下旬にも代々木公園で台湾フェスタが開催された。一昨年に次ぐ2回目となった日本台湾祭りには、前回よりも3万人多い約13万人が訪れ、魯肉飯(ルーローハン)といった台湾料理や人形劇の布袋戯(ポテヒ)などを楽しんだ。
 一昨年に開設された台湾文化センターでも、積極的に台湾の芸術文化を紹介している。現在は蔵書票の特別展を開催しているほか、音楽やトークイベントなどを定期的に企画。地方でも台湾文化に触れる機会は増えており、今月6日には青森県弘前市で台湾の月琴と津軽三味線の交流演奏会も開かれた。
 関連書籍も増えており、中国・アジア専門書店の内山書店(東京・神田神保町)では、4~5年前にそれまで香港と一緒だった台湾コーナーを独立、拡充した。広報担当の内山己乃美(このみ)さんによると、昨年あたりから台湾華語の会話本なども刊行が始まっている。「文学でも呉明益、甘耀明といった若手作家の評価が高い。ただ日本での人気はまだこれからでしょうか」
 映画「台湾萬歳」の酒井監督は、平成23年の東日本大震災で、台湾から200億円を超す多額の義援金が寄せられたことが、日本人が台湾文化に興味を抱くようになった大きな要因ではないかとみている。「今は女性誌でも特集が次々と組まれている。最初は食べ物からでもいいが、その一歩先の台湾を感じてもらいたい」と話す。
■ □
 台湾文化センター長の朱文清さんは、台湾文化の魅力について「一言でいえば多元文化」と強調する。
 「台湾は、漢民族、原住民、客家(はっか)に、最近では東南アジアから嫁いできた花嫁など、さまざまな民族の文化を包含している。ここからお互いに尊重し合う文化が定着し、少数派に対する温かい視点も培われた。日台間の相互訪問は年間600万人を突破したが、そのうち台湾人が約420万人を占める。もう少し日本人にも台湾に来てもらって、文化の多様性を感じていただければと思います」
http://www.sankei.com/life/news/170816/lif1708160018-n1.html

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾先住民の少年少女楽団が放った「光」 国際コンクールで初優勝 国際舞台で存在感

2017-08-17 | 先住民族関連
産経ニュース2017.8.16 18:17

13日、台湾・南投県の森林公園の木陰で演奏する「親愛愛楽」の少女ら(田中靖人撮影)
 台湾の山岳地に住む先住民の少年少女で作る管弦楽団が7月、ウィーンで開かれた国際コンクールに初出場して優勝した。元は小学生が放課後に見よう見まねで始めた楽団で、手作りのバイオリンを使う子供もいる。中国からの圧力で社会の閉塞感が強まる中、国際舞台で台湾の存在感を示した先住民の子供らの活躍に、地元紙は「台湾の光」(聯合報)と喝采を送った。(南投 田中靖人)
 「ウィーン国際青少年音楽祭」の管弦楽部門で優勝したのは、台湾中部・南投県の親愛小学校の在校生と卒業生で作る楽団「親愛愛楽」。学校は標高約1000メートルの山中にあり、団員75人はタイヤル族かセデック族。今回は初めての海外遠征で32人が参加した。
 同祭は「音楽界の青少年オリンピック」とも呼ばれ、今年は14カ国・地域の37団体約2000人が歌や演奏を競った。親愛愛楽はモーツァルトの課題曲と先住民の歌を編曲した計3曲を民族衣装姿で披露した。タイヤル族のヤーブン・ビーユーさん(15)は「賞よりも先住民の音楽を大勢に聞いてもらえたことが誇らしかった」と話す。
 台湾の先住民は現在、16部族が公認され、伝統文化の保護や地位向上策が取られている。だが、学力や家庭の経済力は平均を下回り、一部では差別も残る。遠征費用の一部を負担した外交部(外務省に相当)は「音楽で外交に力を尽くし、台湾の生命力を世界に見せてほしい」とさらなる活躍に期待している。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「この世界の片隅に」は疑似体験。ある大学教授がたどり着いた、“物語“の受け継ぎ方

2017-08-17 | アイヌ民族関連
buzzfeed. 8/15(火) 11:41配信
「戦争体験をどうやって伝えていくか。最近の例で言うと『この世界の片隅に』ですよね。あれは疑似体験。ああいう生活をした若い人はいないわけだけど、でも、あれを見たら共感してのめりこむわけだよね」
そう話すのは、千葉大学でアイヌ語を研究する中川裕教授。アイヌの「語り」を聞いて録音し、資料化する活動を続けている。
戦争体験などに限らず、これまで「語り」で紡がれてきた物語をどう受け継いでいけば良いのか? BuzzFeed Japanは研究室を訪ねた。
6月に観客動員数200万人を突破した映画、「この世界の片隅に」。昨年11月の上映開始当初はわずか63館という小規模展開だったが、口コミで評判が広がり異例のヒットを記録した。
戦争体験者らが制作に協力し、戦時下に生きる人々の姿を描いた同作品は、老若男女の心を捉えた。若い人は戦争を知っているわけではない。みんなが語り部の話を聞いたわけでもない。だけど、映画に共感し、当時何があったのかもっと知りたいと引き込まれる。
終戦から70年余りが経ち、戦争を今に伝える「この世界の片隅に」。戦争の記憶をどう受け継ぐか模索が続く中、現代ならではの「伝え方」を示した。
同様の模索が続けられる文化がある。それがアイヌだ。
「語り」で受け継がれてきた物語
アイヌ民族は明治時代まで文字を持たず、主に口頭によって文学を語り継がれてきた。いわゆる「昔話」である散文説話や英雄叙事詩など、あらゆる物語が口承で伝えられてきた。
2013年に発表されたアイヌ生活実態調査によると、アイヌ民族の人数は16,786人(道内在住者のみ、アンケート調査)。アイヌ語で喋ろうと思っている若い人は、今は大勢いるが、一時は担い手がいなくなることも危惧されたという。
「アイヌ語弁論大会が始まった1998年。初回の参加者は9組12名で、年配の方ばかり。それが昨年の大会では49組55名に。人数が増えてきたので、子どもの部まで分けざるを得なくなってきた」と、中川さんはアイヌ語話者についての現状を語る。
中川さんはアイヌではないが、アイヌ語を教える活動にも携わってきた。本来はアイヌの人たちがアイヌ語を教えるべきだと思っていた。だが、当時は親の世代で話せる人がいなかった。
「だったら、私がお母さんたちに教えましょうと。そこで関東ウタリ会と始めたのが『母と子のアイヌ語教室』。お母さんたちが子どもたちに教えることを目的としています」
アイヌ語を話すことができる人たちを増やす。そして、アイヌの文化を伝える。
しかし、そのようにして語り継がれていくアイヌ文化も、「語り」だけによる伝承は簡単ではない。語り手や聞き手がアイヌの世界観を知らずに育ってきた、というケースもありうる。
そういった状況で、どう受け継いでいけばいいのだろう? そう聞くと、中川さんは「この世界の片隅に」を引き合いにこう答えた。
(映画を見て)その世界に入っていく。昔の話に対してもっと知りたいっていう人が出てきつつある。質的な体験は一緒だよね。
私のかみさんはロシアのフォークロアを専門にしているんだけど、筑波大学で集中講義をしたとき、学生に「子どもの頃にお母さんから昔話を聞いたことがある人」と聞いたら、30人いて1人か2人くらいしか手を挙げない。
寝るときに本を読んでもらった人と聞くと、手を挙げたのはほんの数名。子守唄については皆無。これが、日本の伝承の現実なわけだ。
この日本の伝承の在り方と、アイヌとの違いはどこにあるかというと、アイヌ語自体を聞いても分からなくなってきているということ。あとは同じ。
つまり片一方は日本語は分かるのだけど、語られてきた物語は知らない。片一方はアイヌ語が分かんないわけだから、アイヌ語で聞いてもわからない。
そこが根本的な違いではあるが、なくなりつつあることはどこだって同じ。その点において特殊なわけではない。
だから、新しいかたちでの伝承を追求していかなきゃいけない。ゴールデンカムイのヒットに、そのヒントが見つかるかもしれない。
ゴールデンカムイとは明治時代の北海道を舞台にした、アイヌの少女・アシㇼパと元陸軍兵・杉元佐一がメインキャラクターのサバイバル漫画だ。
ゴールドラッシュに湧いた北海道。アイヌは大量の金塊を秘蔵していたが、ある男がそれを奪って隠してしまった。その後、男は死刑囚として網走監獄へ。隠し場所は収監されていた囚人たちの背中に入れ墨として記され、見つけるには彼らを全て捕らえるしかない。アシㇼパは父の仇を討つため、そして杉元佐一は親友の願いを叶えるために金塊を求め、囚人たちの後を追うーー。
作中ではアイヌの食生活や死生観などにもふれられ、アイヌ世界の一端を垣間見ることができる。マンガ大賞2016の大賞を受賞するなどし、話題を呼んだ。
中川さんは千葉大漫研の顧問を十数年務め、同作のアイヌ語を監修。「物語として、(掲載誌の中で)一番よくできている」と話す。
「昔ながらの方法で伝わらなくなってきたっていうのは、世界中のあらゆるところである」。アイヌ文学は口承で伝えられてきた文化。だけど、かたちを変えて受け継いでいけばいい。現代には現代の伝承の仕方がある。
(かたちを変えて受け継がれる中で、残してもらいたいものは?)それは、「人間以外のあらゆるものに対する共感」。
つまり、人間だけじゃなく、人間以外のあらゆるものが同じ立場で、社会を作っているという考え方。それは自然だけじゃなくて、スマホでも。昔の考え方で言うと、これはカムイ(アイヌ語で神様の意)。
子どものゲーム機を割るとか、そういう行為はカムイを殺しているわけで。アイヌの考え方からすると、報いを受けるべき行為になる。
日本で言えば「もったいない」になるのかもしれないけど、別の人格を持った存在であるという考え方をしていた人たちからすると、それは他人に対して不敬行為を働いたということになる。
人間以外のあらゆるものにそういう見方を拡大するというのが、アイヌの基本的な考え方。ものを大切にしましょうではなくて、まわりのひとたちと付き合っていきましょう、人格を尊重にしましょうという。
あらゆるものがカムイという観念によって秩序立てられているので、カムイが理解できないと、アイヌのことは何もわからないと言っていい。
カムイとは何かを理解して、それが常に意識されている。(伝えられる中で)それが、一番の核なんじゃないですかね。
「ユカㇻ(日本語で叙事詩の意)はそもそもが少年漫画と同じ、冒険活劇ロマンの物語。ドラゴンボールと話が一緒。アニメ化できるはず」
「中国に京劇ってあるでしょ? 中国のカラオケに行ったら京劇の曲が入っていて、それを歌う人がいたんだよね。日本で言えば歌舞伎がカラオケにある、といった感じ。使える人はわずかかもしれないけど、ありなんじゃないか」
中川さんは、学生時代からアイヌの「物語」を聞いてきた。まだまだ資料化できていない語りがたくさんある。それをどう受け継いでいくか。
伝統という枠組みを外せば、他の伝え方が思いつくはずだ。「語り」にこだわらず、伝えていけるものもあるのではと、あらゆる伝え方に言及する。
そうやって、これまで受け継がれてきたものが伝わっていくといいですねと言うと、中川さんはこう答えた。
「現代においてかっこいいと言うかたちにアレンジできるのであれば、それをどんどん使っていい。(核となる部分を残して)新しい文化っていうものを作ること。それが受け継ぐっていうことなんじゃないかな」
https://www.buzzfeed.com/jp/ryoyamaguchi/ainu-story-telling?utm_term=.jew7Ax2jA#.cqqExJgXx


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする