ヒストリカルロマンスアワー

Historical Romance Hour

Antipode

2007年01月29日 | HR Mania!

Antipode: 流刑の地 Port Arthur

タスマニア旅行2日目にタスマニア南東端にある19世紀の流刑地Port Arthurに行って来ました。強引にHRつながりということで、紹介します。
HR小説でもよく出てくるAntipodeとはイギリス英語では豪州・NZの流刑地のこと。現代でもイギリスにいる豪州人達は自分達でAntipodeanなんて呼んだりしてます。

19世紀、産業革命が始まると国内あちこちから職を探しにロンドンに人口が集中します。しかしみんなに職があるわけもなく、失業率もグンと上がり貧困も広がります。実は豪州に来た受刑者には、現代の豪州人でさえもあまり知らないけど今の私達が考えるような重罪犯は片手で数えるほどしかいません。ほとんどは絶望的な状況に駆られた窃盗犯ばかりでした。(と、同性愛者も)
しかも当時は法的に「未成年」という概念はなく、長ズボンをはくようになった7歳以上は大人であり、全ては自分の責任。Port Arthurに送られた最年少は、おもちゃを盗んだ9歳の男の子でした
Lady Rogueのコメントでも触れましたが、ここでも服装と人の社会での位置が関係しています。)

Port Arthurは1830年にイギリス政府のプロジェクトとして最初は建築・造船用の製材所として開拓が始まりますが、1833年から1877年に囚人受け入れ終了するまで、再犯者の刑務所/更生所となります。また、更生はしても長期間服役していたため普通に社会復帰できない元囚人や、『精神異常者』達が生活する場ともなりました。
彼らが製材する木材はイギリスに直輸入され、Port Arthurは大変栄えましたが、結局後々の市場の競争には勝てず、町全部が山火事にも見舞われ、今では歴史的観光名所として残っています。

一番の注目写真は下の方で紹介しますが、1830年代にCommandant(司令官)一家が住んでいた時のまま残されている家のDrawing Room(客間)
です!

でもまずは、廃墟となったけど当時の雰囲気たっぷりの監獄から。

港へ入ってきた時の眺め。受刑者達は一見緑豊かでのどかにみえるこの風景をどんな気持ちで見たんでしょう。
左手奥、丘の上の廃墟は病院。囚人のための病院なんて、世界でも始めてだったとか。
ちなみに、未成年という概念はなかったけど、18歳以下の囚人達は年上の囚人の影響を受けるといけないので、離れ島のPoint Puerという所に収容されていました。

↑Penitentiary 刑務所:1897年に山火事のため200戸以上が焼け落ち、刑務所や教会、病院なども元の形では残っていません。この中の独房はだいたい各2畳程で、イラストを見るとカプセルホテルのような感じ。2階にはタチの悪い囚人達を収容したそうです。更生目的もあるので、ここには大きな図書館もあったそう。

↓Separate Prison 別館監獄:この当時、罰するよりも更生させようとする動きが出始めました。沈黙の中自分の行いや罪を見つめさせるため、到着した受刑者はまず最低4ヶ月、最高12ヶ月間、ここで誰とも口を利かずに過ごします。
この写真は『運動場』…。

Port Arthorは幽霊目撃情報もたくさんあり、夜のゴーストツアーも人気です。
別館刑務所内↓ 中央下あたりを見ると何か光が…

誰が何と言おうと心霊写真 
(ほこりじゃないもん

別館での囚人服↓ きちんとポーズとってるところがチグハク。

別館では囚人達は目だし帽をかぶらなければいけなかったそうです。この建物内では看守達も囚人も一言も口を利いてはいけません。

驚いたのは、Port Arthurってものすごく小さな町なんです。監獄から数百メートル程しか離れていない場所に司令官の家が当時のままきれいに残っています。夜といわず昼といわず囚人達の苦痛の声など聞こえてきたと思いますが、Port Arthurに来たお役所・軍関係の人達とその家族はこの土地でプライドを持って生活していた様子が伺えます。

司令官の家 玄関を入って左側には箱時計。
 
入って右に行くとダイニングルーム↓


玄関から左へ行くとジャーン!1833年からそのまま残っている客間です。

左手にあるライティングデスクのあたりに注目。司令官の奥さんの霊が!(もういいって) この部屋の右手にはベートーベンに作ったものと全く同じ造りのピアノが置かれています。
この家は後々ホテルとして使われていたそうです。
それにしても、この家の中はどんなに観光客がバタバタしていても、留守宅に上がりこんだような、昨日まで家族が使っていたような雰囲気が残っているところが不気味でもありました。幽霊の話が出るのも分かります。

この時代に立てられた建物は天井にも気を配ってます。



子供は8人いたそうですが、そのうちの一人、娘の部屋。ベッドの下にはHR小説では時に武器にもなるChamber pot(トイレ)


↑マスターベッドルーム。子供8人はここで… 
書斎↓のデスクもありかも…



キッチン 
白い光は… ただの反射です。ガラス越しでしか見れなかったんです。


Pantry 食料貯蔵室

次はご近所、判事・医者の家へ

ダイニングルーム


ダイニングルームで食事をし終えたらご婦人方は客間へ。司令官の家の客間にはかなわないけどね! この写真にも全体的に霊が写り込んで… 
ハイハイ、ただのピンボケです


Warming Pan「ベッド暖め器」
これもHR小説ではお馴染みアイテムですよね 確か、これも武器になったお話もありましたよ。

そして最後は刑務所内からの眺め。

囚人の一番の死亡原因は不衛生からくる病気や結核などの感染病。二番目は自殺だったそうです。また、キリスト教の教えから自殺者は天国へ行けないので、自分と同じような自殺志願者の囚人と同意して、外での作業中にその人を殺し自分は死刑に臨むという囚人も少なくはなかったとか。

当時の刑罰システムは現代の目から見ると残酷で非人道的ですが、実際にここで更生してイギリスに帰ったり、豪州で新たな人生を送った人たちはたくさんいます。
その後オーストラリアは様々な人種の開拓移民を受け入れたこともあり、受刑者を祖先にもつというオーストラリア人は少数です。"Descendants of Convicts Group"を組織して祖先の思い出を守っています。


参考
Appleyard, R. T. 1964. British Immigration to Australia. ANU.
Port Arthurホームページ
Port Arthurガイドブック



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2 コメント

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Kanbatsu (Reno)
2007-01-30 03:41:21
News de Australia no kanbatsu wo mimashita.
Sonnani hidoi no desuka?
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干ばつ (K)
2007-01-30 06:39:34
Renoさん、いらっしゃいマセ

干ばつ、今年はまたひどいですよ~。ビクトリア州政府は夏の初めに節水制限を忘れてたので、一時期貯水量が23%ほどまでに落ち込み、今でも厳しい制限が続いてます。

昨日のニュースでは、オーストラリアは将来、飲み水は下水の水を浄化して再利用することになるかも!って言ってました。
ちょっと抵抗アリ…
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