トモちゃんといっしょ ~認知症の母と暮らして~ 中年プーのぐうたら日記(再会)

実家に戻って3年目。母は中期の認知症。今年から仕事をやめて中年プーに突入。誰にも言えない胸の内を綴ります。

魔法が切れると

2016-10-09 14:38:54 | 日記

昨日も、おとといも雨が降り、特に昨夜の雨は物凄く、何度も目が覚めました。

 

長良川がまた増水するのではと、午前4時ごろから気がかりになり、

雨雲レーダーをにらんでいました。

 

そんなこんなで、朝もまだすっきりせず、地域の運動会は中止になり、

トモちゃんは、近所の高齢のお友達とラーメンに誘われて出かけています。

 

私も誘われましたが、丁重にお断りいたしました。

 

 

昨日は昨日で、おそばを食べに出かけ、トモちゃんは天ぷらそばを、

私はカレーそばをいただきました。久しぶりです。

 

それにしても、今日はトモちゃんがいないので、ちょっと愚痴を。

 

都合の悪いことには嘘をつき、自分を守ろうとする。

そうした行為は子どもから大人まで、

そしてサルや鳥を含めた、あらゆる生き物に共通する行動です。

「擬態」なんてまさにその、最たるものではないでしょうか。

 

いいか悪いは別として、生きるために敵を欺き、仲間を作る。これはサバイバルの鉄則です。

 

トモちゃんのうそが、もともとそういう処世術に長けた人だったことに加えて、認知症による

健忘を無意識に隠そうとして、

うそ=事実の変容によって、自分を守ろうとする行為が顕著になっています。

 

 

帰宅するなり、見つからないカセットテープの電源を私のせいにしたり、

鎌を私が隠した、鋏をどこかにやってしまった、などなど、

さらに、言ってもいないことを私が話したことになっています。

 

帰っていきなりそうした言葉の報酬を浴びせられると、さすがに、ムッとします。

 

その間に、反復する行為があり、その激しいこと、激しいこと。

はんぱなく、同じことを聞いてきます。

そして、それに関係する人の悪口のオンパレード。

 

その繰り返しが、寝ても覚めても続くのです。

 

例えばこの18日に老人会の旅行で富山に行くことになっており、

それは「いつ」で、今日は「何日か」という問いから始まり、

「何を着ていくか」という心配を、何日も前に決めているにもかかわらず、

毎回毎回聞いてきます。

 

 

そして「旅行のお小遣いが欲しい」という訴えが、

(お財布には常に2万円以上入っているにもかかわらず)、小遣いが足りない、

欲しいと言って、繰り返されます。

 

正直、まいってしまいます。特にこうしたイベントがあると、大変です。

気が狂いそうになるときがあります。

 

『メメント』という映画みたいに、何が事実で真実なのか、そして、いまどこらへんで生きているのか。

突然すべてどうでもよくなって、走り出したくなります。

 

ま、ですが。

大事な息子を「泥棒」呼ばわりして、近所中にふれ回る認知症のおばあさんもいるわけですから。

こうなると息子さんの方もお母さんもとてもつらい状況に追い込まれてしまいます。

それを思えば、私は本当に恵まれているといえます。

 

トモちゃんは、いつまでもどこまでもトモちゃんであり、

そうしたトモちゃんらしさを維持しながら生活できる環境が、まだ十分整っているわけですから。

そのために私も懸命に努力し、この暮らしを維持し続けているわけですから。

 

ときどき鬱陶しいほどになるトモちゃんで、

「ありがとう」の魔法のことばが切れてしまうことがあるけれど、

彼女の、

手を取り合っていたいという気持ちは痛いほどわかります。

 

そういうときは、いっしょにゴロゴロして、

それからごはんを作って食べるのです。

 

 

さっき、従兄弟のお嫁さんタミちゃんが、枝豆を持ってきてくれました。

今年は雨のせいで、出来がよくないのだとか。

 

大根の、すぐり菜もいただきました。

 

 

手作りの野菜の味わいに勝るものはありません。

ふところの深さでしょうか。

 

ありがとうございました。

 


コメントを投稿