6月13日
日曜日に、映画『この世界の片隅に』を、トモちゃんと二人で観て来ました。
アニメではありますが、わたしの浅薄な予想を裏切る、いい映画でした。
たとえ戦火の中にあっても、つましく、豊かな心をたもち、工夫を重ね、みんなと力を合わせて生きていきましょう。
そういう映画だと思っていました。
でも、それでは当たり前・・・・・・というか、
そういうメッセージで戦争の映画はよく作られます。
戦争は、人々からささやかな日常を奪ってしまう、とても悲惨なものです。
特に日本では、多くの人がそういう体験を語ることがなくなってしまいましたが、
それは決して忘れてはいけないことです。
ですがこの映画は、その描き方が、とても優れていました。
まず、主人公の「すず」の性格が、のんびり屋さんで、ぼんやりしていること。
そして、幼い頃から大切にしていることを「すず」が決して失わないこと。
それは「絵を描くこと」です。
絵描く中で日常を見つめなおす特技が、すずにはある。
そう言い変えてももいいでしょう。
すずは、その特技を日々の生活の中で保ち続け、
その価値を理解している人のお嫁さんになることです。
こういう設定は、ありそうで、なかなかないことです。おとぎ話に近いものです。
本質で理解しあっている人同士が結ばれていくのですから、
特にあの時代に、そんなことありえないでしょう。
この特技のせいで、憲兵に目をつけられたり、ちょっと高飛車な夫の姉に意地悪されて円形禿が出来たりするのですが。
物語の終盤に、原爆が落とされ、終戦を迎えます。
その数ヶ月前、すずは、爆撃弾で、右手を失います。
大切な右手を。
そして、右手をつないでいた、かわいい姪(姉の娘)までも、失ってしまいます。
仕事も出来ず、絵もかけない。大切な姪も失って、すずは実家へ帰ろうとします。
自分の大切な体の喪失と愛する人の喪失という、二重の苦しみ中で、
すずは終戦を迎えます。
これが戦争の本質ではないでしょうか。
圧倒的な力で、体と心を傷つけ、破壊する。
暴力以外の何者でもありません。
最後は、実家へ帰ろうとするすずを夫が引き止めます。
そして、姪の生まれ変わりのように、原爆で母親を失った少女と出会います。
彼女を家に連れて帰り、家族として迎え入れるところで物語りは終わります。
おとぎ話のような物語なのに、感動してしばらく動けませんでした。
トモちゃんは、始まってすぐに寝てしまい、つついて起こすと、「観とるんや」と言います。
『この世界の片隅に』というタイトルがいたく気に入ったようで、
「本当にそのとおりや。そのまんまやった。わたしらもおんなじやったんやで」と、
満足してくれました。
タイトルにすべてが語られていたのでしょうか、癒されたのかもしれません。
ところで、一転。今朝のこと。
NHKの7時ぐらいのニュースと報道のいっしょになった番組を見ていました。
「没イチ」だったかなあ。
配偶者が亡くなって、一人になった人のことをそう呼ぶのだそうです。
なんだか語感が悪い言葉ですねえ。
ところで、夫に先立たれて8年。ある女性が特集で出ていらっしゃいましたが、
お仏壇の横に、羽生選手の「ホプレガ」のお写真がチラッと映って、
もう、ドキッとしたんです。
見間違い?と思ったりも下のですが、やはり羽生君の、青と緑と白のお衣装を着た爽やかな笑顔でした。
そうしたら、意気消沈していた方が、今は、羽生選手に夢中で、北海道まで観戦に行ったとか。生きがいなんですって。
いいなあ。
羽生選手の大ファンだというところがいいですよね。
羽生選手には、悲しみの中から人を立ち上がらせる力があります。
誰がなんと言おうと、ぜったいに、あります。
毎回毎回、彼に立ち上がらせてもらっているわたしが言うのですから、間違いありません。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ところで一転、今朝のこと。