トモちゃんといっしょ ~認知症の母と暮らして~ 中年プーのぐうたら日記(再会)

実家に戻って3年目。母は中期の認知症。今年から仕事をやめて中年プーに突入。誰にも言えない胸の内を綴ります。

納得の上で

2017-02-16 13:38:57 | 日記

2月16日  納得の上で

明日17日にお坊様をお呼びし、お性根入れを行います。

 

いろいろ調べてみますと、お仏壇は、家を新築した時にあつらえるのが昔からの習わしだそうです。

仏壇店の方とお話したときにも、そういう話が出ました。

 

この地域よりもう少し東にいった、飛騨に近い地域の話ですが、

実家のおばあさんが、都会で新築した弟の「お祝い」としてお仏壇を買ってあげたそうです。

まさに一家に、一基、です。お仏壇が心のよりどころとして機能しているのです。

 

ちなみにトモちゃん、「うちが仏壇を買ったら援助してやる」と本家の若様が話したと、

毎日言ってます。ホントかしら?

 

 

ちなみに、わたしは羽生選手を毎日拝んでいますけど……

これはもう、祈り、そのものでしょうか。

 

もちろん今朝も、羽生祭壇にお参りし、自分自身に喝を入れ、

羽生選手の今季最高の演技を祈願します。

なんといっても「四大陸選手権」がもう、明日です!!!

頑張れ、羽生君!!  まけんな、自分に!!(そりゃ、わたしのことだ)

  Let’s Go Crazy!!

 

お仏壇が来て、トモちゃんも毎日自分自身に喝を入れているのか、

あれこれあれこれ、いろんな物を「空間移動」させて楽しんでいらっしゃいます。

 

(昨日、雪が降りました。 よく降ります)

 

お仏壇は亡き人の49日や、一周忌に購入するというのが一般的だそうですが、

そうしなかった我が家は、私のささやかな「抵抗」があり、それを貫いたわけです。

 

その、ささやかな「抵抗」とは……

 

祈りの場はどこにでも持つことができる。けれど、

そこを聖なる場所とするには、神聖なるものをお呼びしなければなりません。

その装置として仏壇と仏様がいらっしゃる、ということになります。

 

私は、もともと宗教的なことに関心がありました。

でも、そうした権威や悪しき習慣には敏感でした。

何度も書きますが、私が死んだら誰も残らないし、残さない人生を望んでいます。

が、それを絶対に許さない人たちがいます。

人と同じにするために、負の遺産を残し、仏壇だけ残るのは耐えがたい苦痛でした。

 

しかし、父が「仏様の空間」を開けて家を建てていたわけです。

もともと、この家は私が建てたわけではなく、私には「仮の家」。

魂にとっても、この世は「仮の家」です。

 

逆に言えばその確認として、

この世こそ、魂の仮の宿であることを確認するために、

お仏壇の購入を決めました。お金も父のものです。

 

 

 

それと、もうひとつ。

お迎えする仏様は何なのか、という話ですが、

私的には、こちらが最も重要なところです。

 

真宗大谷派なので阿弥陀如来様をお迎えするのですが、

わたしは死後の魂の救いの場所ではなく、

宇宙の神様をお迎えする、という気持ちでいます。

 

 

魂が還るとしたら、こんな場所もアリ、でしょうか。

 

 

納得の上でお迎えするので、

満足しています。

 

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


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