壱頭2g00鷹翁の図書館

写真付きの日記や趣味

20120521 金環食

2013-02-04 22:47:47 | 日記


2012年5月21日
金環食が見られた


DSCF1050


051


052


053


054


056


057


065


068


070


以上です






20120520 庭の草花

2013-02-04 22:30:13 | 日記


2012年5月20日前後の
庭の草花です。





DSCF1034





035



036



037


038


039


040


041


046


058


060


以上です






20101010正八幡建て御柱祭

2013-01-31 08:26:09 | 日記


2010年10月10日
正八幡建て御柱祭
の写真です

私も中にいます。

PA100019





20



21



22



23



24



25



26



27



28



29



30



31



32



33



34



35



36



37



38



39



40



41



42



43



44



45



46



47




48



49



50



51



52



53



54



55


以上です











20100922満月15夜月

2013-01-31 08:22:05 | 日記


2010年9月22日
我が家から
満月が見えた。



見てください





20100507宝殿遷座祭

2013-01-19 11:05:38 | 日記


2010年5月7日
春宮の宝殿遷座祭に
参列いたしました。

im0696






im0697






im0698






im0699






im0700







im0701






im0702






im0703






im0704






im0705







im0706






im0707







im0708







im0709







im0710







im0711







im0712







im0713







im0714







im0715







im0716







im0717







im0718






im0719







im0720







im0721







im0722







im0723







im0724







im0725







im0726







im0727







im0728







im0729







im0730







im0731








im0732







im0733






im0734







im0735







im0736







im0737







im0738







im0739







im0740







im0741







im0742







im0743







im0744







im0745







im0746







im0747







im0748







im0749







im0750







im0751







im0752







im0753







im0754








以上です



参考資料

無断でお借りしています


http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/simo-sinji/housenza.htm
無断でお借りしました


諏訪大社と諏訪神社トップ / 特殊神事メニュー /

宝殿遷座祭(諏訪大社下社春宮)

 諏訪大社下社では、明日は里曳きという夜に宝殿遷座祭が行われます。御霊代を新築または改築した宝殿に移す神事で、神霊は新しい社殿で新しい御柱を迎えることになります。ところが、下社は毎年「秋宮から春宮・春宮から秋宮」へと半年交替で遷座しますから、6年に一度の御柱年は「遷座」が何回も続き、神職と神事に奉仕者する関係者は多忙を極め神霊も落ち着かない年になります。

 具体的な日程を挙げると、2月1日に秋宮西宝殿から春宮西宝殿に移り、御柱の里曳き開始前夜に隣の東宝殿に移り、8月1日になると(また)秋宮の東宝殿に引っ越しをします。どうしてこんなシステムを作ったのか理解できませんが、神様の世界のことなので…。混乱を避けるために、今日行われる遷座祭は「宝殿遷座祭」と表記しました。
葺合祭 22.5.6

 宝殿遷座祭の前日には、新宝殿の竣工式である「葺合(ふきあえ)祭」があり、「今回は、春・秋両宮とも東宝殿を建て替え、御簾(みす)など調度品も新調した」と報じていました。市民新聞グループ発行『おんばしら』で確認すると、以下のようにありました。
春(秋)宮本殿造営立柱(りっちゅう)式 当年の三月中旬以降、下社では古例により、春・秋両社の四宝殿のうち一棟を造改築し、一棟の屋根葺合(ふきあい)を行うが、改築後は立柱式を、葺替棟は葺合祭を行う。
春(秋)宮宝殿竣工奉告祭と清祓式および葺合祭

 新しく造立された宝殿と、屋根が葺き替えられた宝殿の清祓式と奉告祭が、御柱里曳き祭の前日春・秋両社で行われる。この時、奉祝の投げ餅が、下諏訪町の各区から寄進される。

 新聞記事の「春秋とも建て替え(新築)」から「葺合祭」の表現が微妙ですが、今ではすべて葺合祭で済ませているということでしょうか。
宝殿遷座祭 22.5.7


 傘を差しての撮影を覚悟していましたが、出かける頃には上がり、時間が迫ると星が見えてきました。

 午後8時、神職と参列者の行列が粛々と進んできました。
 そのまま社殿前へ進まず境内に張られたテントの下に入ったのは、遷宮に先立って行われる「お祓い」をするためでした。


 写真ではよく見えませんが、神職は「木綿襷(ゆうだすき)」を肩に掛けています。宮司と権宮司はタスキ掛けで冠には木綿鬘(ゆうかずら)を付けていました。かつての

「上社御頭祭」では「神使に木綿蔓を掛けた」とありますから、このような姿だったのでしょう。この後、長野県神社庁の献幣司が右片拝殿・諏訪大社の神職は左片拝殿に着座し、大総代と参列者は神楽殿に詰めました。



新宝殿へ遷座 どちらに陣取るか迷いましたが、遷座先の東宝殿側を選択しました。


 「宮司が西宝殿を開扉(かいひ)しました」と、スピーカーを介して式次第の声が伝わってきます。この場所からは反対側なので見えませんが、西宝殿側も片拝殿の格子を透かしての見学なので、神職の動きだけが見える程度とわかっています。それでも、少しでも撮影条件の良い場所を求めたい気持ちはあります。しかし、下社では最重要の神事の最中なので厳粛な空気を乱すのは差し控えられます。


 今は「神宝奉遷」で東宝殿がメインの祭場になっていますが、こちらも狭い空間を神職が横切る姿だけが見える状態です。


 参列者が見守る境内を除き、すべての明かりが落ちました。警蹕(けいひつ)が流れているのは、今、まさに遷座が行われている証拠です。



 昭和43年発行の長野県教育委員会『諏訪信仰習俗』から紹介します。古いのですが「式次第と写真」は「ここにしか」ありません。
遷御 先ず祢宜御幣束、権宮司第二霊代、宮司第一霊代を奉裁、神社本庁献幣使これに前行し祭員前後陣に供奉して新殿に向かう
この間 警蹕・奏楽
入御 是より先権祢宜壱新殿の御扉を開く、宮司・権宮司御霊代を御帳台に奉安し、祢宜御幣束をその前面に奉安す
 両宝殿間を結ぶゴザの通路には布単(白布)が敷かれています。「絹垣」はよく見る形と違い、片側一枚だけの覆いです。参観者をシャットアウトした瑞垣内で、しかも遷座の距離が短いとあって片側だけのガードで十分なのでしょう。御幣束・第二御霊代・第一御霊代を持つ神職は覆面(おおいめん)を着けています。



 再び点灯し、献饌以下、宮司一拝までの神事が粛々と行われました。ただし、「何かが行われている」としかわかりません。
 「以上をもって平成22年庚寅(かのえとら)の年諏訪大社式年造営御柱大祭(みはしらたいさい)諏訪大社下社春宮宝殿遷座祭を終わります。皆さん長時間の参列ありがとうございました」の挨拶で時計を見ると、…9時半でした。
 初めは6年に一回という神事に張り切っていました。しかし、徐々に目覚めてきた空腹に肌寒さが加わり、格子の向こうにチラチラと動く人影を見ているだけなので、生アクビが出始めると眠気を感じます。神事の進行や撮影ポイントがわかったので、次回は…、人生6年先のことはわかりません。

「遷御の儀」 「御(ぎょ)」は「神」と同意語だそうです。
 以下は、ビデオ音声からの変換なので、誤字や当て字の可能性があります。また(見たわけではないので)神職の説明と実際の手順・動きが一致していないこともあります。〔 〕内は意味(聞き取り)不明。
• 宮司、遷御(せんぎょ)の祝詞を奏上。
• 御神宝奉遷。御神宝奉遷召立(めしたて※役割)は、御神宝繰出し・御神宝納め。御盾(おんたて)・御鰭矛(おんひれほこ)・御手箱・御月の御矛・御日の御矛。 [宝物名と担当者を紹介]
• 遷御の儀。召立は、前駆(ぜんく)の日の御矛・〔かげとう〕・第一御霊代(みたましろ):宮司・第二御霊代:権宮司・御幣束(ごへいそく):祢宜・後駆(こうく)の〔かげとう〕・月の御矛。
 ここで社殿の明かりが落ち、警蹕と五常楽急(ごしょうらくのきゅう)の調べに包まれて遷座が行われます。その後、「ただいま西宝殿より東宝殿へ入御(にゅうぎょ)が無事終わりました」とアナウンスがあり、再び明かりが入ります。
• 権宮司以下祭員、神饌を奉る。
• 宮司、御幣帛を奉る。
• 天皇陛下から下賜された御幣帛を奉る。
• 宮司、遷座の祝詞を奏る。
• 権宮司、本庁幣(※神社本庁からの幣帛)を奉る。
• 本庁使(※神社本庁の献幣使)、祭詞を奏上。
• 宮司、玉串を奉りて拝礼。
• 本庁使、玉串を奉りて拝礼。
• 参列者、玉串を奉りて拝礼。
(参考までに)諏訪大社大総代会代表(正・副)・長野県議会議員・下諏訪町町長・下諏訪町区長会長・長野県神社庁諏訪支部長・長野県神社総代会長・群馬県諏訪神社宮司(二名)・諏訪安全協会下諏訪支部長・特別崇敬者
• 権宮司、本庁幣を徹す。
• 宮司、御幣帛を徹す。
• 権宮司以下祭員、神饌を徹す。
• 宮司、神殿の御扉を閉じる。警蹕あり。
• 宮司一拝。
 この間、宝殿の開扉・遷座・祝詞奏上時は、参列(見学)者も「お頭(かしら)をお下げ下さい」に従います。また、遷座時はカメラのフラッシュは禁じられます(警告がありましたが、2、3回光りました)。
宝殿遷座祭で使われる「かげとう」とは
陰灯・蔭灯 遷座の行列は、御霊代の前後に「かげとう」が“付き”ます。ところが、図書館で分厚い辞書を何冊か見ましたが載っていません。暗闇では「つまずく」おそれがあります。そこで、どんな物かは全く想像できませんが「影・陰(になる・ならない)灯」ではないかと考えました。空振りの「影灯」の次に「陰灯」で検索すると、ズバリの「陰灯」がトップに表示しました。「神具木工品」のサイトですから、「これだ」と確信しました。
 陰灯の写真は、42cm×18cm角の縦長の木箱でした。早く言えば中にロウソクを立てる「明かり箱」で、前蓋だけに(目測で)約2cm幅の長いスリットがあります。今風のスポットライトですが、光源がロウソクなので「ほんのり」という明るさだと思われます。周囲(三方)には明かりが漏れないので、神事に用いるには最適の照明器具なのでしょう。
 これで、魔除け(警備)の「日の御矛」―「陰灯」―「第一御霊代」―「第二御霊代」―「御幣束」―「陰灯」―「月の御矛」と、見えない“行列の構成”が理解できました。ただし、それぞれがどんな形をしているのかはわかりません。むしろ、具体的な形がわからない方が神秘的で尊い物のように思えます。
 後に「蔭灯」で検索すると、PDF文書を含めた幾つかのサイトがヒットしました。その中で、「陰」ではなく「蔭灯」が正しいことを知りました。
遷座祭の蔭灯 『諏訪信仰習俗』の巻末に下社宝殿遷座祭の写真があり、その二枚に「蔭灯」が写っていました。著作権があるので、「神職の体を基準にすると大小二種類があり、前面は幅一杯に四角い穴が空けられている」と文字に代えました。大きな物は、トップの写真にある提灯の代わりに使われていました。
有明の蝋燭(ろうそく)
 宮地直一著『諏訪史第二巻後編』「下社の遷宮」の項に「有明之蝋燭」が出てきました。「陰灯」を調べた後だったので、「特別な蝋燭―有明之蝋燭」ではないか直感しました。
燈籠に関しては、文明四年の仕譯(しえき)に、御宮移の夜の料として、挑燈(とうとう)・蝋燭とともに、有明之蝋燭の代を挙げて居る。それは上社に見えない費目であるが、之によってもその由来の江戸時代以前に求め得らるるだけは確かである。
 しかし、「有明の蝋燭」を検索しても「武田信玄が織田信長に贈った越後有明の蝋燭三千張」だけで、具体的な形はわかりませんでした。この検索で「有明行灯(あんどん)」を知り、また、乏しい脳内メモリーの領域が減ったような気がしました。また、どうでもよいことですが、蝋燭の単位を辞書で調べると「挺・丁・本」とあり「三千帳」が理解できました。

終わり