
前回の投稿まで非常に間が空いてしまい申し訳ありません。
お詫びと言っては何ですが、ひさびさに「昆虫ツギラマ」の新作を撮りました。
2000年にコニカフォトプレミオで受賞して以来、この手法では撮ってなかったので、まさに11年ぶり(笑)
デジカメで撮影したのも初めてです。
カメラはリコーCX6使いましたが、あらためて撮ると難しすぎる・・・
手前のアブラムシのコロニーから撮り始めて、徐々にカメラを上向きにずらすのですが、そうすると角度的に液晶モニターが見えなくなって、どこを撮ってるのか分からなくなります。
撮り方もつなぎ方もこれで良いのか?と言う疑問もあって、ともかく昆虫ツギラマは普通のツギラマより格段に難易度が高いです。
国分寺市












この風景はよく通った道なので、なぜかホッとします。
今年も糸崎氏のブログを楽しませて頂きました。来年も楽しみにしています。では、よい年をお迎え下さい(明日から山梨県へ向かいます)。
ある意味人間みたいで面白いのですが。
お体にお気を付けて良いお年を。
最初糸崎さんのHPで昆虫ツギラマを見たときの客観的印象は、ツギラマの応用によるクリビジョンの代替手段の様でもありました。
いやあくまでも個人的な印象ですが、、。
今回の昆虫ツギラマは何かもっと自由を感じます。(笑)
エッシャー的というか非ユークリッド感たっぷりです。(笑)
右側のアブラムシ部分が手前のアブラムシに隠れてオーバーラップしていると個人的にはもっと高電圧だったかもしれません。
昆虫ツギラマの発表は栗林さんの超深度写真の発表とほぼ同時で、ぼくがコニカプラザで個展を開催してた同じ時期、栗林さんはペンタックスフォーラムで個展をしてました。
ぼくは栗林さんにごあいさつに伺ったところ、全く興味を持たれずガッカリしましたw
この作品を評価してくれたのは海野和男さんと、長野重一さんでした。
で、自分自身はこの技法に疲れ果てて封印してたのですが、原点に立ち返って復活してみようと思ったわけです。
冬のこの時期にどうかとも思いますがw
>右側のアブラムシ部分が手前のアブラムシに隠れてオーバーラップしていると個人的にはもっと高電圧だったかもしれません。
原理的にオーバーラップするはずが、実際にそうならないのが不思議・・・
ま、遠近法を利用した一種のトリックですね。
又、クリビジョンが先だと思っていたのは私の長年の勘違いでした。
んっと、、、、、結構長い期間ですね。(笑)
>ぼくは栗林さんにごあいさつに伺ったところ、全く興味を持たれずガッカリしましたw
>この作品を評価してくれたのは海野和男さんと、長野重一さんでした。
意外と言えば意外でも有りましたが、参考になりました。
栗林氏の機材も撮影法も奇抜で前衛的ではありましたが、探究心のベクトルが機材や写真の見せ方に向かっているのでは無く、あくまでも昆虫の観察そのものに向かっていて、そして世間の道具は常に発展途上であったという事なのでしょうね。
栗林さんご自身の興味がどこに向けられているのか、は今のぼくには判断できません。
しかしぼくの方は『カメラレビュー』誌などを通じて、栗林さんに多大な影響を受けてます。
栗林さんのカメラ改造は、合目的で合理的で、それゆえに大胆さがありました。
そう言う思想を受け付いたつもりでぼくは「昆虫ツギラマ」を開発し、それだけに栗林さんが異なる方法で「超深度写真」を開発されていたことが、感慨深かったのです。
もちろん、それはぼくの一方的な思いで、栗林さんご自身の思いはまた別の方向を向いていたのでしたw
一方でぼくは海野和男さんが魚眼レンズで撮った「バッタの向こうに佇む子供」の写真にも大きな影響を受け、そっちの方がダイレクトに「昆虫ツギラマ」や「路上ネイチャー」に繋がっています。
ただ、海野さん自身は「虫の向こうに人が写っているような写真は、特に発展させるつもりが無かった」とおっしゃっていて、それも意外でした。
意外と言えば、去年の夏に「虫テックワールド」で開催された871さんの昆虫写真展を観に行ったのですが、そのとき館長の養老孟司さんが来られたのです。
しかし養老さんは写真を一瞥もせず、その場にいた871さんに挨拶することもなく、さっさと通り過ぎてしまいました。
871さんによると、養老さんは871さんの写真にもご本人にも全く興味を示さず、無反応なのだそうです。
871さんの写真は、ぼくと同様に「昆虫と人間の関わり」がテーマになっており、養老さんの著書の多くもまさにそのテーマですがら、それだけに意外でありまた失望もしました。
しかしぼくの方も、自分を評価してくれてコニカフォトプレミオの大賞のみならず、東川賞新人賞にも推薦してくれた長野重一さんに対し、どのような写真家であられるのか全く興味を持ってこなかったのです。
これは今でこそ礼儀を欠いた態度だと反省してますが、しかしぼくは「自分の殻に閉じこもること」が自分のオリジナリティーを獲得するために必要だと、長い間信じていて、長野重一さんをはじめとする「写真」というものについて、全く興味がなかったのです。
これは全く礼を欠いた失礼な態度と言えますが、逆に礼を尽くして長野重一さんに向き合っていたのであれば、自分の興味や感覚も新しい分野に開かれることにもなるわけで、その意味では世の中のしきたり(象徴界)は良くできていると言えます。
別などこかのBBSでやっていたとして、、、みたいなパラレルワールドを想像してみたとして、、、、、どれもまぁ今ほどの影響は受けていなかっただろうなぁと。
何より
世間で良いと言われている作品を理解出来なくても異常では無い事を理解しました。
同時に、自分の作品が他人に異常扱いされるのは全く正常な事である事を知りました。(笑)
そもそも人間は遺伝的に両親の真似をしながら、自分オリジナルの顔を作ります。
人間の文化もまた同じですね。