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【COGHCC聖書通読】 2017/04/19

2017-04-19 07:48:36 | 一日一章・聖書通読日記
ネヘミヤ記 1:1-3
『ハカリヤの子ネヘミヤの言葉。第二十年のキスレウの月に、わたしが首都スサにいた時、 わたしの兄弟のひとりハナニが数人の者と共にユダから来たので、わたしは捕囚を免れて生き残ったユダヤ人の事およびエルサレムの事を尋ねた。 彼らはわたしに言った、「かの州で捕囚を免れて生き残った者は大いなる悩みと、はずかしめのうちにあり、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼かれたままであります」と。』

今日からネヘミヤ記に入ります。ネヘミヤは昨日まで通読していたエズラ記の年代と同時期に活躍した人です。ペルシャ王クロスの勅令によってバビロン捕囚から解放されエルサレムへの帰還が許された第一期エルサレム帰還が紀元前536年、アルタシャスタ王の命令によりエズラ率いる第二期エルサレム帰還が紀元前458年、そしてこの後ネヘミヤがアルタシャスタ王の許可を得てエルサレム帰還を果たしたのが紀元前445年とのことです。

ですからネヘミヤ記のはじめにはすでに神殿が再建され、エズラが民に律法を教えるために遣わされてからも13年が経過していたため、エルサレムの復興は順調に進んでいると思っていたネヘミヤが兄弟ハナニから聞かされた現実は、エルサレムの人々は近隣諸国や先住民たちからの迫害に遭い、ネブカデネザル王によるエルサレム陥落の状況と変わらず城壁も崩されたまま、門も火で焼かれたままという、実に衝撃的なものでした。これは東日本大震災や熊本地震の被災地よりもはるかに復興が遅れています。

私たちは厳しい現実から目を背けてはなりません。罪の支配するこの世に生きるクリスチャンが迫害に遭うのは当然のことで、私たちは理想郷に住んでいるわけでもなく、温室育ちのようにのほほんと安穏な生活を送れるほど生易しいものではないと心得るべきです。現実をしっかりと見据えた上で、なおも信仰によって希望を見失わずに生きるたくましさを、私たちは身に付けなければなりません。

http://bible.com/81/neh.1.1-3.ja1955

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ネヘミヤ記 1:4-7
「わたしはこれらの言葉を聞いた時、すわって泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈って、 言った、「天の神、主、おのれを愛し、その戒めを守る者には契約を守り、いつくしみを施される大いなる恐るべき神よ、 どうぞ耳を傾け、目を開いてしもべの祈を聞いてください。わたしは今、あなたのしもべであるイスラエルの子孫のために、昼も夜もみ前に祈り、われわれイスラエルの子孫が、あなたに対して犯した罪をざんげいたします。まことにわたしも、わたしの父の家も罪を犯しました。 われわれはあなたに対して大いに悪い事を行い、あなたのしもべモーセに命じられた戒めをも、定めをも、おきてをも守りませんでした。」

想像だにしなかったエルサレムの厳しい現状を聞いたネヘミヤは、心に深く悲しみ、数日もの間、断食して主に祈りを捧げました。その祈りの内容は、ただ悲しさを主にぶつけるのではなく、主よなぜですかと訴えるのでもなく、まず先祖の罪を自分の罪として受け止め、主の御前に悔い改めて告白する祈りでした。真の回復は、他人事ではなく自分のこととして現実を受け止め、心から悔い改める真摯な祈りから始まります。

http://bible.com/81/neh.1.4-7.ja1955

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ネヘミヤ記 1:8-11
『「どうぞ、あなたのしもべモーセに命じられた言葉を、思い起してください。すなわちあなたは言われました、『もしあなたがたが罪を犯すならば、わたしはあなたがたを、もろもろの民の間に散らす。 しかし、あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの戒めを守って、これを行うならば、たといあなたがたのうちの散らされた者が、天の果にいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ所に連れて来る』と。彼らは、あなたが大いなる力と強い手をもって、あがなわれたあなたのしもべ、あなたの民です。 主よ、どうぞしもべの祈と、あなたの名を恐れることを喜ぶあなたのしもべらの祈に耳を傾けてください。どうぞ、きょう、しもべを恵み、この人の目の前であわれみを得させてください」。この時、わたしは王の給仕役であった。』

私たちが神様に訴える根拠は、御言葉の約束の他にありません。ネヘミヤは主がモーセに語られた御言葉を思い起こしてくださいと祈りました。それは自らの罪を認めて悔い改めた上で、憐れみに富む主の慈しみ深さに訴えかける祈りです。ご自身の語られた御言葉を引用して祈るとき、どこまでも真実な主がその祈りを聞かずにおられましょうか。クリスチャンにとって祈りの醍醐味はここにあります。日々の信仰生活の中で、もっともっと祈りに専心させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/neh.1.8-11.ja1955
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