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【COGHCC聖書通読】 2016/10/29

2016-10-29 09:48:12 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記上 6:1-3
『主の箱は七か月の間ペリシテびとの地にあった。 ペリシテびとは、祭司や占い師を呼んで言った、「イスラエルの神の箱をどうしましょうか。どのようにして、それをもとの所へ送り返せばよいか告げてください」。 彼らは言った、「イスラエルの神の箱を送り返す時には、それをむなしく返してはならない。必ず彼にとがの供え物をもって償いをしなければならない。そうすれば、あなたがたはいやされ、また彼の手がなぜあなたがたを離れないかを知ることができるであろう」。』

イスラエルから奪い取った神の箱の故に災いを受けたペリシテ人たちは、どのように送り返したらよいか、祭司や占い師を呼んで指導を受けました。彼らはただ単に返却すればよいのでなく、咎のための供え物を添えるべきと進言しました。神の民イスラエルよりも、異教の民ペリシテ人たちの方が、よほど神様に対して真摯な態度を取ったことは注目すべきです。まことの神に出会った者は、畏れをもって神様に接すべきことを、経験的に学び取ることができます。

http://bible.com/81/1sa.6.1-3.ja1955

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サムエル記上 6:4-6
『人々は言った、「われわれが償うとがの供え物には何をしましょうか」。彼らは答えた、「ペリシテびとの君たちの数にしたがって、金の腫物五つと金のねずみ五つである。あなたがたすべてと、君たちに臨んだ災は一つだからである。 それゆえ、あなたがたの腫物の像と、地を荒すねずみの像を造り、イスラエルの神に栄光を帰するならば、たぶん彼は、あなたがた、およびあなたがたの神々と、あなたがたの地に、その手を加えることを軽くされるであろう。 なにゆえ、あなたがたはエジプトびととパロがその心をかたくなにしたように、自分の心をかたくなにするのか。神が彼らを悩ましたので、彼らは民を行かせ、民は去ったではないか。」』

ペリシテ人はイスラエルの神に対し、はるか昔の出エジプトの出来事、すなわちパロのように心を頑なにする者は滅びることを覚えていました。そして神の箱を聖なるものとしてではなく戦利品として扱った自ら犯した咎の供え物として、ペリシテの君主たちの数にちなんで金の像を5つずつ作り、イスラエルの神に栄光を帰することを行いました。異教の民であっても主の偉大なる御業を覚え栄光を帰するのですから、まことの神様を信じる私たちはなおさら、主の救いの御業を忘れることなく、その栄光をほめたたえる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/1sa.6.4-6.ja1955

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サムエル記上 6:7-9
『それゆえ今、新しい車一両を造り、まだくびきを付けたことのない乳牛二頭をとり、その牛を車につなぎ、そのおのおのの子牛を乳牛から離して家に連れ帰り、 主の箱をとって、それをその車に載せ、あなたがたがとがの供え物として彼に償う金の作り物を一つの箱におさめてそのかたわらに置き、それを送って去らせなさい。 そして見ていて、それが自分の領地へ行く道を、ベテシメシへ上るならば、この大いなる災を、われわれに下したのは彼である。しかし、そうしない時は、われわれを撃ったのは彼の手ではなく、その事の偶然であったことを知るであろう」。』

ペリシテ人たちはこの災いが主から来たものか、それとも単なる偶然かを見分けるために、子牛が生まれたばかりの乳牛が引く車に神の箱を乗せて、まっすぐにイスラエルの領地に上るかどうかにより判断しようとしました。子牛が生まれたばかりのは母牛は本能的に子牛のもとに帰ることを利用して、自然現象か、それとも目には見えない神様の力が背後に働いているかを見極めようとしたのです。神様を盲信するのではなく、理性的な状況判断により神様の見えざる御手の業を見ることができるならばさいわいなことです。

http://bible.com/81/1sa.6.7-9.ja1955

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サムエル記上 6:10-12
「人々はそのようにした。すなわち、彼らは二頭の乳牛をとって、これを車につなぎ、そのおのおのの子牛を家に閉じこめ、 主の箱、および金のねずみと、腫物の像をおさめた箱とを車に載せた。 すると雌牛はまっすぐにベテシメシの方向へ、ひとすじに大路を歩み、鳴きながら進んでいって、右にも左にも曲らなかった。ペリシテびとの君たちは、ベテシメシの境までそのあとについていった。」

神の箱を乗せた牛車を引く母牛たちは、自らの母性本能に反して、イスラエルの領地ベテシメシにまっすぐに向かいました。鳴きながら、という言葉に、子牛たちのことを思いながらも神様の見えざる力に動かされて進む母牛たちの嘆きの心が聞こえてくるようです。

ペリシテ人の君主たちは、自分たちが受けた災いが本当に神様の御業であるかどうか、事の次第を見極めるために、神の箱の後を追ってついて行きました。神様は、動物にも、信じない者にも、ご自身こそまことの神であり、この世のすべてを統べ治められることを明らかにされるお方です。

http://bible.com/81/1sa.6.10-12.ja1955

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サムエル記上 6:13-16
「時にベテシメシの人々は谷で小麦を刈り入れていたが、目をあげて、その箱を見、それを迎えて喜んだ。 車はベテシメシびとヨシュアの畑にはいって、そこにとどまった。その所に大きな石があった。人々は車の木を割り、その雌牛を燔祭として主にささげた。 レビびとは主の箱と、そのかたわらの、金の作り物をおさめた箱を取りおろし、それを大石の上に置いた。そしてベテシメシの人々は、その日、主に燔祭を供え、犠牲をささげた。 ペリシテびとの五人の君たちはこれを見て、その日、エクロンに帰った。」

ベテシメシの人々は、神の箱が帰ってきたことを喜び、牛車を取り壊して薪として、神の箱を引いてきた牛を燔祭として捧げて、その場で神様を礼拝しました。ペリシテ人の君主たちは、ことの始終を見納めて、自分たちの国に帰りました。イスラエルの神、聖書の神こそまことの神であることは、誰の目から見ても明らかなことです。

http://bible.com/81/1sa.6.13-16.ja1955

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サムエル記上 6:19-21
『ベテシメシの人々で主の箱の中を見たものがあったので、主はこれを撃たれた。すなわち民のうち七十人を撃たれた。主が民を撃って多くの者を殺されたので、民はなげき悲しんだ。 ベテシメシの人々は言った、「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができようか。主はわれわれを離れてだれの所へ上って行かれたらよいのか」。 そして彼らは、使者をキリアテ・ヤリムの人々につかわして言った、「ペリシテびとが主の箱を返したから、下ってきて、それをあなたがたの所へ携え上ってください」。』

神の箱が帰ってきたことを喜んだのも束の間、ベテシメシの人々のうち、神の箱の中を見てしまった人々がいたために、多くの者が主に撃たれて殺されてしまったのです。主を喜ぶと言いながらただ単にお祭り騒ぎをするだけで、主に対する畏れの心を抱かない不敬虔な者は、自ら滅びを招きます。私たちは主を心から愛し喜ぶと共に、畏敬の念を込めて礼節を保って接すべき心を、同時に兼ね備えなければなりません。

http://bible.com/81/1sa.6.19-21.ja1955
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