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【COGHCC聖書通読】 2017/05/06

2017-05-06 06:50:21 | 一日一章・聖書通読日記
エステル記 5:1-2
『三日目にエステルは王妃の服を着、王宮の内庭に入り、王の広間にむかって立った。王は王宮の玉座に座して王宮の入口にむかっていたが、 王妃エステルが庭に立っているのを見て彼女に恵みを示し、その手にある金の笏をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。』

3日間の断食の祈りを終えたエステルは王妃の服に着替えて、決死の覚悟でアハシュエロス王との謁見に臨みました。この記事から推察されることは、おそらく断食の祈りの最中は王妃であっても荒布をまとい、神様の御前に徹底的に遜って祈っていたものと思われます。しかし王の前に出るときには荒布をまとったままではなく、王妃の服に着替え、麗しい姿で謁見を求めました。何事にも礼節を保つことは重要です。またこの姿は、自らの命を完全に主の御手に委ね、何の迷いもなく晴れやかな心となったエステルの心境を物語っているように思います。

するとアハシュエロス王は、召されていないのに謁見を求めたエステルに恵みを施し、金の酌を伸ばしたので、エステルは死を免れることができました。祈りの結果がここに表れ始めたのです。私たちもまた心から遜り、御心を求めて必死に祈るならば、その祈りは必ず叶えられると知ることができますから感謝いたします。

http://bible.com/81/est.5.1-2.ja1955

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エステル記 5:3-8
『王は彼女に言った、「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」。エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、きょうわたしが王のために設けた酒宴に、ハマンとご一緒にお臨みください」。 そこで王は「ハマンを速く連れてきて、エステルの言うようにせよ」と言い、やがて王とハマンはエステルの設けた酒宴に臨んだ。 酒宴の時、王はエステルに言った、「あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。 エステルは答えて言った、「わたしの求め、わたしの願いはこれです。 もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしわたしの求めを許し、わたしの願いを聞きとどけるのをよしとされるならば、ハマンとご一緒に、あすまた、わたしが設けようとする酒宴に、お臨みください。わたしはあす王のお言葉どおりにいたしましょう」。』

アハシュエロス王は金の酌を伸べてエステルに恵みを賜っただけではなく、望むならば国の半分も与えようとまで語ったこもから、非常に上機嫌であったことがわかります。しかしエステルは直ちに自分の本当の願いを王に申し上げることはせず、あえて2回も宴席を設けて、憎き敵ハマンと共に臨んでいただくことを願いました。これはエステルが神様の御心を確かめる慎重さと、神様のときを待つ忍耐と従順の信仰深さを表しています。

私たちはすぐに結果を求める性急さがありますが、神様が御業を成し遂げる前に自分で物事を進めてしまっては本末転倒です。そのようなことは信仰などなくても誰にでもできることです。真の信仰者とは、神様のときを待ち望み、徹底して主の御手に委ねることのできる人です。自分が神様よりも前に立って主のなされようとする御業を邪魔し、奇跡を押し留めることのないよう、常に謙虚に、主の導きにその身を委ねる私たちでありますように。

http://bible.com/81/est.5.3-8.ja1955

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エステル記 5:9-12
『こうしてハマンはその日、心に喜び楽しんで出てきたが、ハマンはモルデカイが王の門にいて、自分にむかって立ちあがりもせず、また身動きもしないのを見たので、モルデカイに対し怒りに満たされた。 しかしハマンは耐え忍んで家に帰り、人をやってその友だちおよび妻ゼレシを呼んでこさせ、 そしてハマンはその富の栄華と、そのむすこたちの多いことと、すべて王が自分を重んじられたこと、また王の大臣および侍臣たちにまさって自分を昇進させられたことを彼らに語った。 ハマンはまた言った、「王妃エステルは酒宴を設けたが、わたしのほかはだれも王と共にこれに臨ませなかった。あすもまたわたしは王と共に王妃に招かれている。」』

2度も王妃の祝宴に招かれたハマンは、完全に浮かれて思い上がっていました。そして家族や友人など自分の気に入った身内たちを集めて、自分が得たこの世の富と祝福と栄誉の数々を自慢し、誇りました。この世の人々が切に求める俗世的で刹那的な幸福に酔いしれるハマンの姿は、端から見るとなんと愚かなことでしょうか。しかしそれらはすべて一時的なもの、限定的なもの、やがて消えゆく儚いものに過ぎません。私たちが求めるべきは、この世に生きる間だけで終わってしまうような刹那的な幸福ではなく、朽ちず錆びず虫も喰わない天の宝、神様から授かる永遠に続く栄誉と祝福です。

http://bible.com/81/est.5.9-12.ja1955

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エステル記 5:13-14
『「しかしユダヤ人モルデカイが王の門に座しているのを見る間は、これらの事もわたしには楽しくない」。 その時、妻ゼレシとすべての友は彼に言った、「高さ五十キュビトの木を立てさせ、あすの朝、モルデカイをその上に掛けるように王に申し上げなさい。そして王と一緒に楽しんでその酒宴においでなさい」。ハマンはこの事をよしとして、その木を立てさせた。』

この世の栄華を独り占めし、幸福の絶頂にいるハマンが唯一、思い通りにならなかったことは、自分に屈服しないユダヤ人モルデカイの態度でした。エステルの設けた宴席から帰る際にモルデカイの顔を見たハマンは、たったそれだけのことで大いに気分を害し、喜びも数々の栄誉も幸福も吹き飛んでしまったと、家族や取り巻きの友人たちに語りました。これこそがこの世の与える幸福の限界です。怒りや人に対する憎しみ、コンプレックスなどが、私たちの喜びや心の平安を、いとも簡単に吹き飛ばしてしまいます。そんな軽い幸福に、何の価値があるのでしょうか? しかしこの世の人々は、それでも一時的な幸福を切に求めます。本当の恵みと祝福を知る私たちは、決してそうであってはなりません。

そしてハマンはその屈辱の憂さ晴らしをするために、22〜3メートルもの木の柱を立ててモルデカイを晒し者にするとの妻たちからの提案を受け入れました。それが後に自分の命取りとなることも知らずに…。怒りや妬み、復讐心などに支配されてしまうと、人に対するマイナスの感情は必ず自分の身に降りかかり、破滅を招くことになりますから、直ちに捨て去らなければなりません。もし人に対して良くない感情を抱くことがあるならば、直ちに悔い改め、主の十字架と共につけて滅ぼし尽くし、罪の根を完全にきよめていただくことが必要です。

http://bible.com/81/est.5.13-14.ja1955
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