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【COGHCC聖書通読】 2017/03/08

2017-03-08 08:00:19 | 一日一章・聖書通読日記
歴代志下 5:1
「こうしてソロモンは主の宮のためにしたすべての工事を終った。そしてソロモンは父ダビデがささげた物、すなわち金銀およびもろもろの器物を携えて行って神の宮の宝蔵に納めた。」

神殿建築の工事をすべて終えたソロモンは、まず父ダビデが主の宮のために捧げた金、銀および器物を宝物倉に携え入れました。これは主から禁じられたために神殿建築を許されなかったダビデの志をソロモンが正しく受け継いで、世代を越えて成し遂げたことを意味します。

私たちもまた、信仰を次の世代へ正しく継承し、たとい自分の目では見ることができなくとも、救いの完成の希望を未来へとつなぐことを何よりも大切にする者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2ch.5.1.ja1955

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歴代志下 5:2-5
「ソロモンは主の契約の箱をダビデの町シオンからかつぎ上ろうとして、イスラエルの長老たちと、すべての部族のかしらたちと、イスラエルの人々の氏族の長たちをエルサレムに召し集めた。 イスラエルの人々は皆七月の祭に王のもとに集まった。 イスラエルの長老たちが皆きたので、レビびとたちは箱を取り上げた。 彼らは箱と、会見の幕屋と、幕屋にあるすべて聖なる器をかつぎ上った。すなわち祭司とレビびとがこれらの物をかつぎ上った。」

いかに荘厳な神殿が完成しても、その建物自体には意味はありません。なぜなら神殿は神様がその聖なる御名を置く場所であり、そこに神様がおられなければ単なる飾り物に過ぎません。そこでソロモンは7月の祭、すなわち仮庵の祭りの日に合わせて、全イスラエルの氏族の長、長老、つかさたちをエルサレムに召集し、ダビデの町の会見の幕屋にあった神様との契約の箱を、完成した神殿に担ぎ入れました。

仮庵の祭は、出エジプトの苦難を追体験し、神様の救いの契約を感謝するために行う祭でしたから、神殿奉献に最も相応しい日です。この日に幕屋すなわち仮住まいのテントから、主が永遠にその御名を置くと約束されたエルサレムの神殿に、モーセが神様とイスラエル全会衆との間に結んだ契約の箱が移されました。これは主をまことの神とする人との間に結んだ救いと祝福の契約が、仮のものではなく、永遠に変わらないものとなったことの象徴です。

私たちもまた主を唯一の神として崇め、御言葉に聞き従う契約を結んだ者の一人です。信仰によって心の中に永遠に変わらない神の宮を建て上げ、心から喜んで主をお迎えし、この救いの約束は永遠に変わらないものであることに感謝する者でありますように。

http://bible.com/81/2ch.5.2-5.ja1955

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歴代志下 5:6
「ソロモン王および彼のもとに集まったイスラエルの会衆は皆箱の前で羊と牛をささげたが、その数が多くて、調べることも数えることもできなかった。」

神殿に契約の箱をかき入れたソロモンとイスラエルの全会衆は、主をお迎えしたことを心から喜び、おびたたしくてその量を数えることもできないほどの犠牲を主に捧げました。私たちの捧げものも、このように惜しみなく、心から感謝して捧げたいと願います。

http://bible.com/81/2ch.5.6.ja1955

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歴代志下 5:7-10
「こうして祭司たちは主の契約の箱をその場所にかつぎ入れ、宮の本殿である至聖所のうちのケルビムの翼の下に置いた。 ケルビムは翼を箱の所の上に伸べていたので、ケルビムは上から箱とそのさおをおおった。 さおは長かったので、さおの端が本殿の前の聖所から見えた。しかし外部には見えなかった。さおは今日までそこにある。 箱の内には二枚の板のほか何もなかった。これはイスラエルの人々がエジプトから出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれ、モーセがホレブでそれを納めたものである。」

ソロモンが神の箱を神殿に携え入れたとき、その中にはモーセが神様から授かった律法を記した石の板しかなかったとあります。出エジプトを成し遂げ約束の地に入ったときには、モーセの杖と、マナも一緒に入れられたと記されていますから、いつそれらが失われたかはわかりません。しかし大切なことは、ソロモンが神殿を建て上げたときには、主の契約のしるしであるモーセの律法の石版がそこにあったということです。

歴代志が記された時代、すなわちバビロン捕囚を終えてイスラエル人がエルサレムに帰還したときには、神殿には契約の箱も律法の石版もなく、ただ神の箱を運ぶさおだけが残されていたとあります。それがいつ失われたかはわかりませんが、今もまだ失われたままであることは事実です。これは神様の契約を見失ったイスラエルの現状を象徴しているように思えてなりません。私たちは彼らの失敗を反面教師として賢く学び、神様と交わした救いの契約を決して見失い、手放すことのないよう、肝に銘じたいと思います。

http://bible.com/81/2ch.5.7-10.ja1955

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歴代志下 5:11-14
「そして祭司たちが聖所から出たとき(ここにいた祭司たちは皆、その組の順にかかわらず身を清めた。 またレビびとの歌うたう者、すなわちアサフ、ヘマン、エドトンおよび彼らの子たちと兄弟たちはみな亜麻布を着、シンバルと、立琴と、琴をとって祭壇の東に立ち、百二十人の祭司は彼らと一緒に立ってラッパを吹いた。 ラッパ吹く者と歌うたう者とは、ひとりのように声を合わせて主をほめ、感謝した)、そして彼らがラッパと、シンバルとその他の楽器をもって声をふりあげ、主をほめて「主は恵みあり、そのあわれみはとこしえに絶えることがない」と言ったとき、雲はその宮すなわち主の宮に満ちた。 祭司たちは雲のゆえに立って勤めをすることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。」

神の契約の箱が神殿の中心である至聖所に安置され、身をきよめた祭司たちが心一つにして讃美の音を捧げたとき、神の栄光の雲が主の宮に満ちて、祭司たちはその勤めをすることができなかったとあります。「栄光の雲が宮に満ちて」というワーシップソングがありますが、これはそのときの情景を讃美の歌にしたものです。私たちもまた教会で礼拝を捧げ、心を一つにして神様に讃美を歌うとき、人の奉仕や能力には依らない主の栄光が会堂に満ちあふれるような礼拝と讃美を捧げたいと心から願います。

http://bible.com/81/2ch.5.11-14.ja1955
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