伊東家のデスク

オタクの備忘録など

これをなんとかできるのは私だけ論

2016-10-18 21:49:12 | 雑文
 ペルソナ5は三周目。当然のごとくセーフティで続けている。

 序盤を見て思うのだが、本当、主人公と竜司のコンビで動くあたりの興奮は素晴らしいものがあるな。
 竜司のキャラと主人公の境遇及び選択肢が絶妙でさ、昔の刑事ドラマのような熱さがある。
 とりあえず、今はこの辺は置いておこう。強調したいのは下記である。

 ペルソナ5では序盤から、現状をなんとかできるのは自分たちだけ、という感覚が強く呼び起こされる。
 この「これをなんとかできるのは私だけ」は、ペルソナ5全体によく張り巡らされている。
 コープを進めて「名前」を聞く場面など震えが来るほどだ。
 
 この感覚を他の作品を例にして説明すると、次のようになるのか。

 必殺シリーズで、依頼を受けて出陣のテーマがかかるようなもの
 金田一少年がじっちゃんの名にかけるようなもの
 死して屍拾うものなし 死して屍拾うものなし
 僕がドクターだ

 ちょっと雑だが、こういった「ヒーローでなければ絶対逆転不可能」な状態で、まさにヒーローが戦いに赴くのだ。
 この瞬間の燃えっぷりはたまらないものがある。
 そして、ペルソナ5は(多少、ここに弱点を抱えつつも)これが実にうまい。
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