雨の三連休開け、やっと晴れた、朝から洗濯機はフル回転、
30軒の軒先庭先干せる場所なら何処でも、万国旗もいかばかりか、明るい陽射しを受けた干し物の列々
青空を待っていたの干し物だけではない、山畑のじゃが芋が連日ずぶずぶの雨に打たれ浸され
「わたしゃもう限界、はよ掘ってくれ」と矢の催促、収穫前の長雨の記憶が青空がばばを走らす......
過去にあった長雨の収穫では、粘土質のオデラ畑のジャガイモは土の中で腐ってしまっていた
「ズバ桶=丸い木の魚専用の桶」一杯しかなく.今なら10kも無かった事になる
その頃、じゃが芋は耕せる所なら何処でも、灯台が建ってる島で一番高い斜面でも作っていた
作ったじゃが芋は新潟市に嫁いだばばの叔母の元に送られ、叔母は学校給食に出したり、
本町の下の市で売ったりしていた、島出身者が島の産物を集めて商売が成り立つ時代だった
じゃが芋は働き者の島のおなごしょによって、現金収入、一年分の芋の花(澱粉)、食材、おやつ
お土産等になった
「あっさりした甘さで美味しかった芋飴」
茹でてつぶした芋にひたひたのお湯を入れ、人肌になったらモヤシをいれかき混ぜ4時間ねかせる
それを布の袋で濾す、もう一回人肌のお湯をいれ混ぜそれを布でまた濾す、その液を一晩かけて煮詰
める、できた飴は硬く箸にからめても流れることは無かった..
一斗缶一つの飴を作るのは大仕事だった...じゃが芋ひとつでも語りつくせないばばの昔語り.....
今年デビューの島じゃが芋焼酎「んっぽん」...あっさりとしたくせのない味わい
意味はおかーちゃん、ちなみに「んっぽん」は内浦地区、「いっぽん」は釜谷地区の方言
釜谷地区では、昭和30年代、分校の先生が中心になって、地区をまきこんだ言葉直し運動がおき、
特に戦後生まれはつかわなくなったようだ