のこしたいもの

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民主主義社会(2)

2017年06月14日 | 未来へ残したいもの

戦後

日本は1945年(昭和20年)8月、米軍による広島、長崎への原子爆弾投下の後ポツダム宣言を受諾し9月2日連合国側に無条件降伏した。翌1946年には連合国の占領統治下で象徴天皇、主権在民、基本的人権の保障、三権分立、戦争の放棄を柱とした日本国憲法が公布された。その後1951年(昭和26年)9月8日サンフランシスコ講和条約が日本と連合国側(ソ連、中国等を除く)との間に締結され、同条約にもとづいて日米安全保障条約が同時に調印された。ここに至って戦後6年間にわたったアメリカ軍の占領統治が集結し国際的に日本は主権を取り戻りし1956年には国連加盟を果たした。
※国際連合 1945年国際平和の維持のための集団安全保障体制構築を目指した組織で結成当時51ヵ国が参加していたが2016年現在193ヵ国の加盟国を数える。
ここで最も不思議に思うのは何故連合国の中でアメリカのみが日本に強い影響力を行使できたのかという事がある。どうも太平洋戦争終結後(以下戦後とする)一貫して日本が「対米従属的姿勢」をとりつづけ、あるいはとらざるを得なかった原因は戦争終結時の世界情勢、特に東アジア情勢にあるように思える。当時圧倒的に強大であったアメリカにとって、中国における国民党と共産党との争いの推移や東アジアに資本主義陣営の国がかろうじて朝鮮半島の南半分に位置する大韓民国があるだけという地理的条件が最も重要視されたのではないだろうか。日本は1949年台湾に撤退した中華民国(台湾)では果たしえないアメリカの軍事拠点として最も重要度の高い位置づけがされていたのと思えるのである。そもそもソ連等の不参加でルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統の間で行われたカイロ会談後に採択されたカイロ宣言(1943年)の履行を基本としたポツダム宣言は、アメリカにとっての世界戦略に欠かせない対日戦争終結通告であり、日本にとっても都合の良いものでもあったのだろう。

この辺りのことについては様々な事が考えられようが、日本に課せられた各国への戦後賠償の中身、象徴天皇として天皇の地位を保証したこと、1960年の日米安全保障条約改定、日本の戦後復興の事等を考えると少なくとも世界屈指の経済大国に成長し東西冷戦が終結する以前の日本にとっても受け入れやすい事態であったのかもしれない。

第二次世界大戦の終結後1991年ソビエト連邦の崩壊に至るまでの世界が米ソ二大陣営の対立する東西冷戦が続いた約30年間、日本は資本主義陣営の中で軍事力をアメリカに依存しつつひたすら国の復興と経済力の強化に邁進した。1968年にはGNPはアメリカに次ぐ世界第二位にまで成長し、以後もバブル景気の崩壊(1991年)に至るまで安定した経済成長を続けたのである

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