ピンコロ往生伝

ピンコロで逝った方々のエピソードを集め、ぜひ自分もピンコロで逝きたいと願うブログ。

「草履作りに大切なのは、最後のシメだよ」

2016-10-24 00:22:30 | 日記
 Tさん(77・男性)が亡くなったのは、まだ昭和20年代後半。つまりだいぶ昔のことになる。
 正月元旦の朝、元気で、雑煮を普通に食べて、午後には寝つき、翌朝、死んでいるのが発見されたという。この時代は、こうしたピンコロが、さほど珍しくないくらいにあったのだ。

 Tさんは、もともと北九州の農家。田んぼもたくさんもっていたのだが、山っ気のある人で、知り合いの口車に乗って投資話に乗っかってしまい、土地のあらかたを手放してしまった。軍隊に行って戻ってきた長男がその半分近い土地を買い戻したものの、Tさんは責任をとって50代で隠居。それからは、地元の自治会長をやるなど、ご近所の世話役やっていたらしい。
 
 酒は一日1~2合は飲み、タバコも好き。持病は喘息。ただなかなかタバコをやめられなかった。
 すでに年取って農作業はしなかったものの、手先が器用で、藁を編んだり、げたや草履を自分で作ったりもしていた。
 それで、草履の作り方を周りの人たちに教える時などに、
「草履作りに大切なのは、最後のシメだよ」
 などとよく話していたという。草履を作る際には、まず足に合わせて全体をまとめて、最後は鼻緒に当たる部分をキュッと止めて形をキメる。このシメの作業がうまくいかないとバラバラにほどけてしまったり、形が崩れる。
 10人以上の人たちが一緒に住んでいた大家族で、正月のしめ飾りなどもみんなで作ったが、Tさんは特にうまかったという。
 
 病院にはほとんどかかったこともない。だいたい当時の田舎の農家は、病院に行ったり、そんな寝たきりでもないのに医者を呼んだりする習慣があまりないのだ。
 年とっても健康そのものだったTさんがまさか突然死ぬとは誰も思わず、今になってみたら死因もよくわからない。
 最近なら不審死として刑事が捜査に来るケースだが、当時は、そんなこともなかったらしい。

(Tさんから学ぶピンコロへの道)
 古き良き牧歌的時代の中のピンコロ死というべきか。今は、こんな死に方をするのはめっきり難しくなっている。
 たぶん定期健診を受けていれば、すでにどこか病気も見つかっていただろうし、そうなったら病院も家族も、寄ってたかって、その病気を治すために様々な手を打ってくるだろう。
要するに昔と比べて、病人に対してやたらと「おせっかい」なのが現代なのだ。おかげで、とっとと死ねる人が生き続ける不幸に陥ったりする。
 できれば、そんな「おせっかい」は受けたくないが、これがそう簡単にはいかないのだなぁ。