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行元寺 波の伊八と呼ばれた彫刻師 (いすみ市)

2009年10月22日 | 国吉その周辺・いすみ鉄道

江戸時代、独特の「波」製作技法をあみ出し、

「波の伊八」と呼ばれた彫刻師がいました。



本名:武志伊八郎信由です。彼は文政7年(1751)房州長狭郡(ながさごうり)下打墨(しもうっつみ)村<現鴨川市打墨>で生まれ、宝暦元年(1824)73歳で生涯を閉じる迄の間、確認されているだけで寺社の向拝や欄間に約52件の彫刻作品を残しています。

この寺の書院にある欄間彫刻「波」が、その時代の上方の同業者に『江戸に行ったら波を彫るな』と言しめるほど、世に名を馳せた作品です。
http://members.jcom.home.ne.jp/ryuuousaijin/nendaibetu/gyouganji/hondou/1.htm

 武志伊八郎信由・葛飾北斎、そしてドビュッシー波の逸話

今日は、流離人さんからの投稿です

国吉駅から車で5~6分のところにある行元寺に行ってきました。

波の伊八の彫刻があることは知っていましたが、まさかいすみ市にこんな立派なお寺があるとは正直思いませんでした。(失礼)

おごそかな参道を行くと立派な山門が現れ、そしてその奥に豪華絢爛な欄間がある本堂がありました。それから波の伊八の彫刻。説明してくれた方もとても親切でした  ( by 流離人)

住 所 :千葉県いすみ市荻原2136 『行元寺』

交 通 :JR国吉駅から車で8分 (徒歩だと50分)

 

私・ジャンヌも先月19日に行ってきました~

行元寺ご住職の市原淳田さんはいすみ鉄道『房総のけむり饅頭』の栞に、「私のけむりの思い出」を書かれていますね。 ご存知ない方は、けむり饅頭を買ってくださいね。  美味しいですよ

さて、入り口からお寺への山道は、静寂で、歩いていて気持ちが清らかになります。 

こんなところに、立派で目にも鮮やかな朱色の山門が 

今まで、知らなかったなんて、もったいな~~~~い

山門を通り、歩いていくと、左手に鐘楼があります。
朝夕2回梵音がこだまし、斉藤信夫作詞 海沼実作曲の「母さんたずねて」の童謡も聞くことができます。

本堂↓。建立されたのは安土桃山時代ですが、

元禄時代に拡張改造した房総屈指の大建造物です。 

中は撮影禁止なのでこちらでご覧ください 『行元寺』

俳優・高橋英樹さん来訪時の写真が飾られていました ↓(左から3番目)聞くところによりますと、お母様かお父様が、いすみ市のご出身ということです。

行元寺は、いすみ市が誇る観光名所です ファッションセンター・ヨシダさんも「波の伊八Tシャツ」(下の写真)を作っちゃっていますし、行けば行くほど、新しい発見がありそうです。  

そして・・・

お願い: 山門彫刻彩色復元修復への浄財にご協力ください。

行元寺は私達みんなの財産です。 いつまでも美しく残したいと思い、私も一口させていただきました。

今回は残念ながら、ご住職さんにはお会いできませんでしたが、我らが「遠方・いすみ鉄道ファン団長の国吉さん」は、行元寺のことを語る・語る・語るの方ですから、今後の情報にご期待ください 地元・ムーミン列車応援団ヨシダさんも、語ったら1日では済まない予感です もしかすると、お二人はお知り合いの仲かも 

市原淳田さんのご紹介  こちら

電話 0470-86-3816

 *私は養老渓谷出身千葉市在住なので、「しょうがない。教えてやろう」というくらいの軽い気持ちでいすみ市の情報をどんどんください。 投稿があったら、あった分、このブログに紹介としていつまでも残っています。  私には取材や調査の時間がありません ですから、コピーして貼り付けられるように情報をいただけると嬉しいです。 情報は写真と一緒に「掲示板れいるうぇい」に入れてください。

いすみ鉄道に乗って、ムーミンショップだけじゃなく、いろんな所に行っていただきましょう 

 


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
波の伊八 (tass)
2009-10-22 20:50:12
飯縄寺・・・いすみ市岬町和泉2935-1  

ここにもあるんですが行元寺の方が有名になりました
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発見! 市原さんを紹介するサイト (ジャンヌ)
2009-10-22 23:07:49
http://www.cl-shop.com/citylife/cl/back/kiji/jiritu/3.htm
市原淳田さん 
昭和5年 夷隅町生まれ 千葉県立総南博物館学芸課長、県立安房博物館長など歴任。現在行元寺住職 著書に市原允として、『日本文化発信の地 みゆき野物語』『大多喜城物語』『夢を売った男』など


セット文字のどかな田園風景が続く夷隅町・荻原にある行元寺。この寺は、「波の伊八」の欄間彫刻と童謡「母さんたずねて」のゆかりの里として知られている。ここに、ふるさと夷隅をこよなく愛し、人生をこの地方の歴史や文化の堀り起こしにかけた人がいる。住職の市原淳田さんだ。市原さんは、住職のかたわら県内の博物館の館長などを歴任。ライフワークとして、ふるさと夷隅を見つめてきた。 そのきっかけは何だったのか、お聞きした。    「文化的、経済的にも夷隅地方は県下一どん底。取るに足らない、何もない地域と思われがち。ましてや、そんな所に偉人が出るはずはないと。ならば、自分でふるさと夷隅のことを一生かけても調べてみよう、そう考えたわけです。それは住んでいる者の使命としてやらなくてはいけないことなんです」ときっぱり。 それからあらゆる文献を調べ、足を運び、人に話を聞き、歴史と文化の掘り起こしに全力を注ぐ。調べていくうちに、何もないと思われていたこの地域が、実は明治までの時期、農業、商業、政治においても、多くの偉人が生まれたことが、わかってきた。 「農業ひとつ取っても、明治期、人耕にかわって馬耕が初めて行われたのもこの地域。それによって耕地整理が進められ、画期的な収穫を得ることができた。日本一の水車を用い、低い所から高い所に水を揚げる揚水に成功したのも夷隅地方なのです」。 文化においても例外ではない。「夷隅地域は、文化はつる所という印象を持たれている。ところが、逆なんですね。たとえば、近代絵画を支配した世界に誇る狩野派が生まれたのは夷隅町。といえば、みなさんはそんなことはない、と言うんです。だけど調べてみると、まちがいなく夷隅町・大野からは狩野派の始祖・狩野正信が生まれているんです」と市原さん。  偉人はいなかったのではなく出さなかった、といっても過言ではない。調べれば調べるほど、この地方が格調高い地域であることを確信する。しかし、そんな文化はあるはずもない、と思われていた地域。その事実を世間が認めるには時間がかかる。そのことを発信し続けなければいけない。なにより、地元の人に伝えたい。いかにこの地が勢いのある地域であったか。そしてふるさとを誇りに思ってほしい。そこで20年来かけて、県内の学校、公民館、資料館などに数多く出講して、ことあるごとに話してきた。そのひたむきさが通じたのか、最近では少しずつ認識されてきている。 足元をみても、お話しを伺った寺の客殿には、「波の伊八」と異名を取った、彫物大工による欄間彫刻「波に漂う宝珠」がある。その彫刻の波頭はまさに溢れんばかりで、いまにもしぶきが降りかかってきそうな迫力だ。市原さんは以前からこの伊八の波が、浮世絵師・葛飾北斎の代表作『富嶽36景・神奈川沖浪裏』とそっくりなのに注目していた。今まではあまり知られていなかったが、最近になって新聞、テレビなどで取り上げられ、世間で話題になった。 市原さんの所へは、興味深い話を聞きに多くの人が訪れ、取材に来る。その話からは豊富な知識と、なによりふるさとを思う真摯な人柄が伝わってくる。 「今確かにこの地域は過疎化に向かっている。しかしそこに住む人が諦めるか、自分たちで立ち上がって未来に向かって希望を持つかは、考え方しだい。人はハングリーな方が、負けてはいられない、と根性がつくんだよ。やる気があれば何でもできるんだ。自分たちの足元の過去を見直すことにより、新たなる希望と活力を見いだしてほしい」と市原さん。 「まだまだ調べることがいっぱいでやりきれないよ」と、体力の許すかぎり、歴史と文化の掘り起こしを続けるつもりだ。
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続きはクリックして (ジャンヌ)
2009-10-22 23:14:42
続きがUPできないんです。クリックして読んでください。感動しました。
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住職最高〓 (奥村)
2009-10-23 01:27:35
10年くらい前に住職の話を聞きました…30分の予定が4時間ちかく話されて…(^^;)
「このじぃちゃん何年前から生きてんだょ(=_=;)」ってくらい夷隅のルーツを詳しく教えてくれました…ぶっちゃけ住職ももぅ何年も生きられません…生きてる間に生き字引の話を聞いておく事はとても大切です。
波の伊八…あの時代に写真で撮ったような波…瞬きの一瞬を欄間にする事は誰も真似出来なかった事でしょう。北斎もそりゃパクるよね(^^;)
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ジャンヌさんのおじさん (みむら姉)
2009-10-23 14:02:09
ジャンヌさんの叔父様の墨絵もこのお寺に展示されているそうです。

私も、ジャンヌさん繋がりでいただきました。墨絵は部屋に飾って、癒されています。
墨はいい。炭はいい。
絵は行元寺修復工事の寄付金になっているみたいです。
駅で売っていたら、観光客の方は、きっと買いますよ。太鼓判。

あの田園風景画にいすみ鉄道が描かれていれば素晴らしいと思います。

才能のある人が多いですね、いすみには。 
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看板完成 (奥村)
2009-10-23 18:09:57
やっと国吉駅の看板が完成しました…('-^*)
皆さん見に来てください…あと出来たら看板の感想を教えてください(-.-;)y-~~~
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Unknown (ジャンヌ)
2009-10-23 22:22:51
奥村さん☆

看板作成お疲れさまでした。
掲示板れいるうぇいにUPして参りましたよ!


tassさん☆ 
たくさん写真をUPしてくださっていましたよね。 tassさんの頭の中には、もうすごい情報が入っていてシルクハットで受け止めるほどね(^_-)-☆


みむら姉さん☆
叔父のことを知ったのはごく最近。
けむり饅頭の栞を見て、「これは、叔父の好きな話。栞を持っていってあげよう」と、我ながら素晴らしい考えでした。
けむり饅頭は売り切れだったので、お饅頭なしの紙だけ。。。。(^_^;)

まあ、紙だけでも気持ちってことで、、、
叔父は「全く、中身がないお土産! ジャンヌらしいよ。あはは~~」って、感動?してもらいました。 が!

「淳田さんとは長い付き合いで・・・」ということでした。
何がどう結びつくかわからない今日この頃。

叔父の絵は・・・私も大好きです。
毎日1枚描いているのですよ。自分自身は商売ぬきが基本らしいです。ですから、修復の寄付になるようなことなら喜んでだったのでしょう。

他にも、弟のお嫁さんの実家は、行元寺の檀家でした~(^_-)-☆
家族揃ってお世話になっておりました。
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伊八のこと (川上一)
2010-07-24 07:27:52
鴨川においでください 伊八には打墨村周辺に宮大工の集団が存在していたようですその方たちとともに仕事をしていたと思われます7名 木挽き2名石工2名伊八30歳の頃です 
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追伸 (川上一)
2010-07-24 08:00:42
伊八とは関係ありませんが鴨川市に過去銅鉱があったようでそこからダイヤモンドが取れる可能性がある鉱脈があります場所は貝渚灯篭塚といいます
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Unknown (ジャンヌ)
2010-07-25 09:53:28
川上様 はじめまして
貴重な情報ありがとうございます。

房総には伊八の足跡多数ですね!

鴨川にダイヤモンド 観光スポットですね~
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