アイ!サラマッポ in フィリピン

Ay! Salamat po in The Philippines

バギオ・フラワー・フェスティバル“Panagbenga 2012”の2大パレードが今週末(2月25・26日)に…!

2012年02月21日 | バギオ

The 17th Panagbenga season has come in Baguio City!
“Community Convergence for a Sustainable Tourism Growth”
(The Theme of Panagbenga 2012)

Panagbenga 2012 -Flower Festival in Baguio City-

 


 

今週末の2月25日(土)と26日(日)に、ここバギオ市で、第17回目となるバギオ・フラワー・フェスティバル『パナグベンガ・Panagbenga 2012』のメイン・イベント、2日間に渡る大パレードがあります。

 25日(土)は、
Grand Street Dancing Parade

民族衣装と音楽で、人々がメイン・ストリートでダンスを披露。その後、アスレティック・ボールでは、参加団体ごとに名誉と賞金をかけてパーフォーマンスを…。


 26日(日)は、Grand Float Parade

生花で飾り付けされた巨大な山車(花車)が、メイン・ストリートを凱旋し、アスレティック・ボールに集います。

パレードのコースは、セッション・ロードの上方のパナグベンガ・パーク(SMバギオ近く)から、セッション・ロードを下り、ハリソン・ロードを経て、バーンハム・パークの横を通り、アスレティック・ボールまでです。

両日とも、かなりの混雑と渋滞が予想され、交通規制も行われます。お出かけの際はお早めに…。くれぐれもお気をつけてお越しください。


 以下は、今年のバギオ・フラワー・フェスティバルのこれまでのイベント等の記事です。↓

 

バギオ・フラワー・フェスティバル 2012 後半 -Baguio Panagbenga 2012 Grand Parades is coming soon! -

2012-02-18 12:02:18

 

バギオ・フラワー・フェスティバル 2012 「水上パレード」 -Fluvial Float Parade in Baguio- Feb.12

2012-02-16 12:02:12

 

バギオ・フラワー・フェスティバル 2012 開幕 -Baguio Panagbenga 2012 Grand Opening Parade on Feb.1-

2012-02-04 12:02:04

 

バギオ・フラワー・フェスティバル・2012がやって来る! Flower Festival 2012 in Baguio is coming soon!

2012-01-20 12:01:20

 

 

2月1日のオープニング・パレード。バギオ市内の小学校が参加。↓

 

 

(リーダー・The leader

 

これまでのバギオ・フラワー・フェスティバルの記事(2009・2011)です。↓

 

バギオ・フラワー・フェスティバル! -Baguio Panagbenga 2011

20110219

 

バギオは花盛り・人だかり−フラワーフェスティバル
2009-03-02 17:25:35

 

フラワー・フェスティバルは最高潮

2009-02-28 18:37:24

 

 

バギオ(Baguio, Philippines)のブログ↓

 

リボーン・ライフ in バギオ - Reborn Life in Baguio, Philippines -

バギオでよみがえれ!生命・人生…♪クラシック音楽にのせて。

(2011年7月7日〜 )

 

Reborn Life in Baguio, Philippines

Introducing Cordillera Region, Philippines especially Baguio City through pictures. I also attached my favorite classical music sites.

July 7, 2011〜 )

 

『アイ!サラマッポ in バギオ』 Ay! Salamat po in Baguio(旧ブログ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

(旧ブログ Nov, 2008Sep. 2009

 

−フィリピン・バギオ市にて−

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第101回看護師国家試験(2012年)が明日2月19日(日)に…。外国人看護師は…!?

2012年02月18日 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー

 明日2月19日(日)、日本の第101回目となる看護師国家試験が行われます。

 EPA(経済連携協定)を通して日本に受け入れられたインドネシア人看護師にとっては4度目、フィリピン人看護師にとっては3度目の挑戦となります。

 全体で54,270人の出願者のうち、インドネシア人とフィリピン人の出願者は417人ということです。

 ちなみに、昨年までに来日した看護師候補者は572人。そして、昨年度までに合格したのは、インドネシア人17人、フィリピン人2人の計19人です。これまでの両国からの看護師候補者全体の受験者数(のべ734人)に対する合格率は「2.6%」という実情です。

 3月末(26日)には、先に行われた、インドネシア人候補者初挑戦となる介護福祉士国家試験(28日)と合わせて、その結果が発表されます。

 

 1月末には、こんなニュースもありました。↓

 

外国人看護師、合格率向上へ母国語・英語試験も併用(厚労省検討

(2012年1月30日産経ニュース)

 

 経済連携協定(EPA)に基づき受け入れたインドネシア人とフィリピン人の看護師の国家試験について、厚生労働省が、母国語などによる看護専門科目試験と日本語能力試験を併用する検討を始めたことが29日、分かった。現行の資格取得は、日本の看護試験に合格することが条件となっているが、言葉の壁から合格率が低迷。来日した若者が落胆して帰国するなど、国際問題にもなっている。

 外国人看護師が来日して初の国家試験となった平成21年は合格者がゼロ。23年の試験は、漢字にふりがなをふるなど対策を講じたが、それでも合格率はわずか4%。過去3回の平均合格率は2・6%にとどまっている。

 このため厚労省では、外国人向けの試験の見直しを検討。現在の看護師試験を翻訳したものを想定した「母国語や英語での看護専門科目試験」と、国際交流基金などが外国人向けに実施している「日本語能力試験」と同じような「日本語によるコミュニケーション能力試験」を併用する案が浮上した。

 厚労省は併用案などについて、すでに有識者らから意見を聴取。看護師の仕事には日本語能力が重要だが、現在の試験制度には改善の余地があるとの認識ではほぼ一致した。だが、併用をめぐっては意見が割れているという。

 改革に慎重な立場の有識者からは「医療安全の確認は、言葉で行い、記録で確認する。国家試験は国民に対して医療の質を担保するという性格がある以上、かなり厳重に取り扱う必要がある」との声があがった。一方で、「日本で働きたい看護師候補者もいる。外国人に漢字は難しく、試験時間延長も考えるべきだ」という声もあった。23年の試験から認められた、病名などの専門用語に英語を併記する仕組みを拡大する案も出たという。

 厚労省はこうした意見を踏まえ、併用試験導入の方向性を決める方針。

 EPAに基づく看護師の受け入れは、日本がアジアの成長を取り込むための改革の一つと位置づけられている。(以上)

 

 

 しかし、この併用試験という話も、仮に導入されるとしてもまだ先の話…。明日の看護師国家試験では適用されません。3日前のニュース…。↓

 

母国語か英語で試験を6割超

NHK - 2012215日‎)

 

EPA候補者、看護師国試の併用は見送りも

(キャリアブレイン - 2012215日)

 

 今回の看護師国家試験でもまた、一体どれだけのインドネシア人とフィリピン人合格者が出るのだろうか、不安だけが募ります。

 2008年8月に来日したインドネシア人看護師第1期生で、一定の条件を満たして一年の在留延長を認められた人たち(27人・在留延長を認められなかった他の第1期生はすでに帰国)にとっては、泣いても笑ってもこれが最後のチャンス…。また、2009年5月に来日したフィリピン人の看護師第1期生にとっても、同様の一年間在留延長条件をクリアできない人たちは、帰国となります。

 また、同じくインドネシア人介護福祉士候補者第1期生も、3月末介護福祉士国家試験の合格発表の結果で、原則として不合格者は帰国、となります。日本人でも合格率約50%という難しい壁(国家試験)、それもたった一度の受験機会しか与えられず、落ちれば否応なく帰国となります…。
 今回ラスト・チャンスとなるインドネシア人・フィリピン人受験者の不合格者を、本当にこのまま帰国させてよいのでしょうか?

 これでは、外国人看護師・介護福祉士候補者たちを受け入れ、一切の費用を負担している病院や施設にとっては、大打撃でしょう。

 

 

フィリピンでは、数日前にこんなニュースがありました。↓

 

「第4陣の訪日予定看護師、介護福祉士候補者、初年度比6割減で過去最低の計104人」

 比日経済連携協定(EPA)に基づく比人看護師・介護福祉士候補者の日本就労で、第4陣にあたる2012年度の訪日予定者は計104人(看護師29人、介護福祉士75人)で、初年度から6割減で過去最低となった。12年度の日本の医療・福祉施設の求人数は136人(同43人、同93人)で過去最低だった。書類審査を通過し、11年11月下旬の面接を受けたのは計368人(同109人、同259人)。受け入れ施設とのマッチングを経て、訪日予定者は求人数より32人減少した。

(2月13日 まにら新聞)

 

 

 日本サイドの、フィリピン人受け入れの名乗りを上げる病院や施設、受け入れ人数が年々減っているのも、現状では仕方のないことでしょう。

 

 このフィリピン人看護師・介護福祉士候補者受け入れに関して、日比政府間での交渉・合意、そして現在に至るまでに10年間以上の長大な時間と莫大な税金をつぎ込み、その結果が今の有り様です。

 

介護関係の職種については、2010年度の有効求人倍率は「1.38倍」、全職種平均の0.56倍と比べても倍以上の高さで、人手不足なのは明白、特に地方の人材不足は慢性的な課題となっています。将来、介護の現場で人出が不足するのは目に見えていて、まさにその対策に「待ったなし!」という時に…。

介護職に関しては、EPAで受け入れている外国人に「介護福祉士」の資格を義務づける意味がどこにあるのでしょう?ヘルパー1・2級資格で、現場で十分通用する、しているではありませんか!?実際に、多くの在日フィリピン人がその資格を取得し、日本の介護の現場で働いています。

実際には「介護福祉士」でないと(困る)…という介護の法制度上のからくり等があるのでしょうが、もっと介護の現場の立場に立ち、現実的な方向に転換していかないとだめだと思います。

 このままでは、単に病院や施設といった受け入れ機関と外国人看護師・介護福祉士候補者当事者だけでなく、両国間の関係、日本の将来にとっても大きなダメージとなることははっきりしています。

 

 

(参考:当ブログ以前の記事より)↓

 

100回看護師国家試験が今日…。外国人看護師は…!?
(2011-02-20 10:15:55 |
フィリピン人看護師・ケアギヴァー)

 

第100回看護師国家試験(2010年度)合格発表。外国人看護師合格者は16人…!
(2011-03-25 16:16:55 |
フィリピン人看護師・ケアギヴァー)

 

2012年介護福祉士国家試験(第24回)に外国人(インドネシア人)が初挑戦!
(2012-01-23 12:01:23 |
フィリピン人看護師・ケアギヴァー)

 

 

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フィリピン看護師国家試験の結果が…。厳しい正看護師の事情…。Filipino Registered Nurse

2012年02月17日 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー

フィリピンでは、昨日2月16日、昨年2011年の12月18日・19日に行われたフィリピン看護師国家試験の結果が発表されました。↓

 

December 2011 Nurse Licensure Examination results released in forty two (42) working days

 

Posted on 2/16/2012

The Professional Regulation Commission (PRC) announces that 22,760 out of 67,095 passed the Nurse Licensure Examination given by the Board of Nursing in the cities of Manila, Baguio, Cagayan de Oro, Cebu, Dagupan, Davao, Iloilo, La Union, Legazpi, Lucena, Nueva Ecija, Pagadian, Pampanga, Tacloban, Tuguegarao and Zamboanga last December 18 and 19, 2011.

 

Official Website of the Professional Regulation Commission (PRC)

 

 67,095人の受験者のうち、22,760人だけが合格。合格率は、過去最低のわずか34%(!)でした。

 

 その前の2011年7月の看護師国家試験では、78,135人の受験者のうち、37,513人が合格。合格率は48%でしたから、今回は15ポイントも下がった、ということになります。

 

 フィリピンの看護師国家試験は、毎年7月(以前は6月だった)と12月の2回行われますが、500問の試験問題の合格ボーダーラインは「75%」です。つまり、375問以上正解だと合格です。

 

 以下、2005年12月以降のフィリピン看護師国家試験の合格者数、受験者数、合格率をまとめてみました。↓

 

Dec. 2005 - 13,108 passed out of 24,287 examinees   53.97 % passing rate
Dec. 2006 - 19,712 passed out of 40,147 examinees  
 49.10 % passing rate
Jun. 2007 - 31,275 passed out of 64,909 examinees 
 48.18 % passing rate
Jun. 2008 - 27,765 passed out of 64,459 examinees 
 43.07 % passing rate
Dec. 2008 - 39,455 passed out of 88,649 examinees 
 44.50 % passing rate
Jun. 2009 - 32,187 passed out of 77,091 examinees 
 42.12 % passing rate
Dec. 2009 - 37,527 passed out of 94,462 examinees 
 39.72 % passing rate

Jul. 2010 - 37,679 passed out of 91,008 examinees    41.40 % passing rate

Dec. 2010 - 29,711 passed out of 84,287 examinees   35.25 % passing rate

 

Jul. 2011 - 37,513 passed out of 78,135 examinees    48.01 % passing rate

Dec. 2011 - 22,760 passed out of 67,095 examinees   33.92 % passing rate

 

 合格率が下がっている背景には、ここ3〜4年、職に就けない正看護師・Registered Nurseが急激に増えている、というフィリピン国内の事情も反映しているかのようです。

過剰な正看護師、授業料の高い(4年間で100〜150万円)看護課程を卒業し、リビュー・センター・Review Centerと言われる予備校での試験勉強を経て、ようやく難しい国家試験にパスして「正看護師」になれたとしても、看護師として働く場がない、というのが実情です。厳しい求職事情、長い失業期間…、看護職に就きたいという気持ちが萎えていっても仕方ありません。学費を提供してくれた家族・親戚からのプレッシャーと闘いながら…。

 試験問題の内容も年々難しくなってきているとも聞きます。

 

 その辺りの事情は、約1年前の記事にも書きました。↓

 

フィリピンの看護師事情。「正看護師」(Registered NurseRN)が…。
(2011-03-02 11:51:55 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー)

 

 

今日付けのこんなコラムを見つけました。その中に、休職中の正看護師へのアドバイスも書かれています。↓

 

Philippines: Options for Unemployed Nurses

 

 



Patrick Simon S. Soria Says:

Every year, nursing schools produce thousands of nurses in the Philippines; recent reports put the number of new nursing graduates at 40,000, however thousands of RNs are jobless due to the surplus in supply. Hospitals are full and nurses don’t know where to go, so what can you do to increase your chances of finding a job?

 

 

以下は、昨年2011年12月26日付の記事ですが、この時点でPRCは、約23万人の国家試験をパスした正看護師が、失業中、専門職で働けないのが現状だと述べています。↓

 

PRC sees more jobless nurses

By Mayen Jaymalin, The Philippine Star

Posted at 12/26/2011

 

MANILA, Philippines - More nurses will be unemployed next year, the Professional Regulation Commission (PRC) said yesterday.

Marco Sto. Tomas, of the PRC’s Board of Nursing (BON), said the current number of 230,000 jobless and underemployed nurses nationwide is rising.

“Although enrollment in nursing courses is going down, there are still many in the pipeline, considering that 68,000 graduates just took the licensure examination this month,” he said.

Many registered nurses are now willing to work for free or even pay hospitals so they could work and gain the necessary experience to qualify them for employment abroad, he added.

Labor Secretary Rosalinda Baldoz has ordered the PRC, an attached agency of the Department of Labor and Employment to coordinate with other concerned government agencies and look into the condition of unemployed Filipino nurses.

The DOLE is also looking into coming out with new rules to regulate the “hiring” of nurse volunteers in hospitals and other medical facilities nationwide, she added.

No regulation exists to stop or penalize government and private hospitals from using the services of licensed nurses for free, Baldoz said.

Sto. Tomas said the PRC is now pushing for the implementation of the so-called Hastening Options for Productivity and Employment (HOPE) for Filipino nurses, he added.

“The program aims to promote entrepreneurship putting up their own business for Filipinos nurses who are now having difficulty finding employment,” he said.

The PRC and other concerned government agencies are exerting efforts to improve the lives of nurses, including the unemployed, he added.

PRC sees more jobless nurses –Dec.26,2011| ABS-CBN News

 

 

 さて、今回合格して晴れて「正看護師」となった22,760人のうち、どれだけの人が看護職に就けるでしょうか…。

 

 約25万人もの「正看護師」が看護職には就けない…というのが、現在のフィリピンの意外な国内事情…です。

 

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2012年介護福祉士国家試験(第24回)に外国人(インドネシア人)が初挑戦!

2012年01月23日 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー

一週間後の1月29日(日)、第24回介護福祉士国家試験に、日本との経済連携協定(EPA)で来日している外国人介護福祉士候補者が初めて挑みます。
 今回受験する外国人は、2008年8月(北京オリンピックの前日)に来日したインドネシア人介護福祉士候補者第1期生etc.の96人です。

 経済連携協定(EPA)に基づいて、2008年度からインドネシア、2009年度からフィリピンより受け入れている看護師・介護福祉士候補の数は1300人余り
 日本で働き続けるには、看護師は3年以内、介護福祉士は4年以内に国家試験に合格しなければなりません。看護師は毎年の受験が可能ですが、介護福祉士の国家試験受験の場合は「3年間の実務経験が必要」という条件があり、外国人介護福祉士候補者にとっては、実質的には1回しか受験できないということになります。日本人でも合格率50%前後の難しい介護福祉士国家試験に、インドネシア人介護福祉士候補者第1期生の何人が合格するか。期待と不安の中での、介護福祉士国家試験外国人初受験です。結果が出るのはまだ1ヶ月以上先でしょうが
 たった一度の受験後、不合格者は、インドネシアに帰国となります。本当にこんなのでいいのかなあとつくづく思います。
 ちなみに、同じくEPAを通じて来日している外国人看護師候補者では、日本人の90%が合格する看護師国家試験に、これまで19人の合格者が出ています。2009年度は合格率1%(インドネシア人2人・フィリピン人1人)、2010年度には、難しい医療用語にフリガナをつけるなど外国人受験者への配慮がされましたが依然として合格率はわずか4%(インドネシア人15人・フィリピン人1人)という実情です。


(参考)

フィリピン人看護師・ケアギヴァー

15記事 in 『アイ!サラマッポ in マニラ』 Ay! Salamat po in Manila (Dec. 2009Jun. 2011)

 

フィリピン人看護師・介護士(Caregiver


20記事
in 『アイ!サラマッポ in バギオ』 Ay! Salamat po in Baguio Nov, 2008Sep. 2009

 



(追記)1月31日(火)

政府は2011年3月に、2008、2009年度に来日したインドネシア人・フィリピン人看護師候補者と介護福祉士候補者に限って、不合格の場合でも一定の条件を満たせば、在留期間を1年延長することを閣議決定しています。

この日の筆記試験の後、実技試験を経て、3月28日に合格発表が行われます。

 

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訪問者数(IP)100,000突破!「アイ!サラマッポ」 “Ay! Salamat po!”

2011年10月26日 | マイ・ライフ in マニラ

訪問者数(IP)100,000突破!「アイ!サラマッポ」 “Ay! Salamat po!”

 
Taken on Dec. 5, 2010 @ Manila bay


昨日10月25日(火)に、当ブログ 

 

アイ!サラマッポ in マニラ 

 

"Ay! Salamat po in Manila" -My Life in Manila- (Weblog) Dec. 2009Jun. 2011 

 

の訪問者数が「100,000」の大台に乗りました。おかげ様です。 

ブログ開設667日目。(記事数は122)

 

アクセス状況(10月25日まで)↓ 

トータル  閲覧   190,761 PV (Page View)
       訪問者  100,057 IP (Internet Protocol)

 

アクセス状況 (Oct.25, 2011)

アクセス

閲覧

439

PV

 

訪問者

196

IP

 

トータル

閲覧

190,761

PV

 

訪問者

100,057

IP

 

ランキング

日別

5,884

 

週別

7,612

 

                  (1,647,204     ブログ中)

 

 

これまでで、一番アクセスが多かったのは4月12日でした。

2011.04.12()   1,686 PV(閲覧)

1,274 IP(訪問者)
(261
/ 1,566,345ブログ中)

 

「アイ!サラマッポ」
“Ay! Salamat po.”

 

Isshin

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『リボーン・ライフ in バギオ』 -Reborn Life in Baguio- バギオでの新ブログです。2011年7月〜

2011年08月03日 | バギオ

2011年7月3日(日)に、マニラ(マラテ)から、高原都市バギオ・Baguio City に戻ってきました。



 

7月7日から新しく始めたブログ(Weblog)です。↓

 

『リボーン・ライフ in バギオ』 - Reborn Life in Baguio, Philippines -

バギオでの新ブログ 20117月〜

 

"Reborn Life in Baguio, Philippines" (English blog) July, 2011

バギオでの新ブログ 20117月〜 (英語版)

 

今後とも、よろしくお願いいたします。

 

-Isshin

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ホセ・リサール博士ご生誕150周年のフィリピン独立記念日 in 2011

2011年06月12日 | マイ・ライフ in マニラ

 今日6月12日は、フィリピン独立記念日(113回目)“The 113th Philippine Independence Day”です。

 今年は、フィリピン独立の父、国民的英雄の「ホセ・リサール博士」(Dr. Jose Rizal・1861年6月19日〜1896年12月30日)ご生誕150周年を一週間後迎えることもあり、例年以上の盛大な記念式典、イベントが予定されています。
 先日、フィリピン政府から、大統領令により、ホセ・リサール博士の誕生日6月19日(日)の翌月曜日をノンワーキングデー(振替休日)にするとの発表もありました。

Philippines to mark Independence Day Manila Bulletin紙・6月10日)


 1898年6月12日にスペインから、そして1946年7月4日にアメリカから、と2度の独立を果たして現在に至っている『フィリピン共和国・Republika ng Pilipinas(タガログ語)・Republic of the Philippines(英語)』…
 
しかし、フィリピンは本当の意味での「独立」した国家と言えるだろうか、フィリピンからの分離独立を求めるミンダナオ島のイスラム過激派グループをはじめ、様々な民族がうまく融合しているだろうか、といった議論も未だに国内にはあるようです。

 
 その国名の「フィリピン」“Philippines”についてですが、実は、16世紀にスペインがこの地を植民地とした当時の、スペインのプリンス“Felipe”(フェリペ王子)、“Prince Philip”(後のスペイン国王フィリップ2世)から命名されたものです。1542年、スペインの征服者が、ビサヤ地方のサマール・レイテ両島を、スペイン王子フェリペ・Felipeの名前をとって“Felipinas”(フェリペの…)と名づけ、その後ラス・フィリピナス諸島“Las Islas Filipinas”と名づけられたことに由来するものです。
「フィリップ王子様の国」が、当初の「フィリッピン」命名の由来だという訳です。
 私は、時々フィリピンの人に、スペインとアメリカからの2度の「独立」時に、「どうして以前の植民地の象徴でもあるような『フィリピン・Philippines』という国名を変えなかったんだろうね?」と尋ねてみますが、そういう問題意識を持つ人はあまりいないようです。1998年、独立100周年に際して、ごく一部の愛国運動グループが、国名の変更を試みた、とも聞いたことがありますが世論は盛り上がらなかったそうです。


 

 青、赤、白、黄橙色の4色からなるフィリピンの国旗について…。
 青は「正義・高潔な理想」を、赤は「愛国心・国民の勇気」を、白は「平和と平等・友愛」を象徴しています。また、黄橙色で描かれた太陽は「自由」を、3つの星はルソン島・ミンダナオ島・ビサヤ島を表し、太陽からの8条の光は、スペインに対して最初に武器をとった8州(マニラ、カビテ、ラグーナ、バタンガス、ブラカン、ヌエヴァ・エシーハ、パンパンガ、タルラック)を表しています。

が、その旗にはこんな歴史がありました。↓ 

The dilemma that is the Philippine flag  (Inquirer Opinion)
「フィリピン国旗に見るジレンマ」(
Inquirer紙社説・6月10日)

 
様々な苦難の歴史を乗り越えて現在に至った「独立国家フィリピン共和国」、その未来に幸多かれと祈ります。 


(ロハス大通りにて)

(以前のブログ記事より))↓

フィリピンの英雄「ホセ・リサール博士」の日(2008年12月30日) 

フィイリピン独立記念日に…。(111周年)(2009年6月12日)

  

さて、突然ですが、私的な事情により、当ブログはこれにて終了させていただきます。 

『アイ!サラマッポ 〜フィリピン人介護者と生きて〜』 上・下巻 (寺本一伸著) (拙著・2008年8月刊)

『アイ!サラマッポ in バギオ』 
(前ブログ・フィリピンバギオにて 2008-2009


『アイ!サラマッポ in マニラ』
 (当ブログ・フィリピンマニラにて 2009-2011

『アイ!サラマッポ』3部作完結(^^;)…、「アイ!サラマッポ!」
ありがとうございました。

 
東日本大震災から3ヶ月、被災地の復興を心からお祈りします。

- Isshin

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マニラ交響楽団・MSOの『マーラー 交響曲第5番』 - Gustav Mahler 100th Memorial Year

2011年06月01日 | 音楽

 6月4日(土)午後8時、パサイ市のフィリピン文化センター(Cultural Center of The PhilippinesCCP)で、Manila Symphony OrchestraMSO・マニラ交響楽団)により、グスタフ・マーラーの『交響曲第5番』が演奏されます。

 アジアでは最も歴史のあるオーケストラの一つ、Manila Symphony Orchestra(1926年創設)の、設立85周年を記念する「2011年コンサートシーズン」(11月まで)の最初のステージです。↓

 

Manila Symphony Orchestra | MSO | Philippines

Manila Symphony Orchestraのホームページ)

  

交響曲や歌曲において偉大な作品を多数作曲、指揮者としても素晴らしい功績を残した、ウィーン19世紀末の偉大な作曲家、グスタフ・マーラー・Gustav Mahlerの、没後100周年(1911年5月18日逝去)に当たって選ばれた曲目です。

 この『交響曲第5番』は、未完成の第10番を含めて11曲あるマーラーの交響曲の中でも、最もよく知られている楽曲かもしれません。特にハープと弦楽器のみで演奏される第4楽章の「アダージェット・Adagietto」は、ルキノ・ヴィスコンティ監督による映画『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)で使われてから、より親しまれるようになりました。運命の人「アルマ」と出会い、彼女への想いを込めて作られたことから「愛の楽章」とも呼ばれます。

 

 この交響曲第5番の第1楽章は、『葬送行進曲』という表題がつけられているように、暗く重苦しくて、何ともいえない挫折、絶望感といったものが伝わってきます。ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』を思わせる冒頭のトランペットソロによる「♪パパパパー、パパパパー…」という最初の3連音に示される運命の動機…。そのトランペットのファンファーレからトゥッティ・tutti(全合奏)へと入り、そこから続いていくメロディが、心を突き上げるくらいに悲しみに満ちているのです。その悲壮さは第2楽章で、さらに激しく強く響いてきます。そこまでが第1部。↓

 

Mahler: Symphony No. 5: Part I: Mov. 1Part1

(第1楽章の前半−バーンスタイン指揮ウィーン・フィル Leonard BernsteinVienna Philharmonic

バーンスタイン(1918-1990)、若い!1972年のライブ映像。 Part23…と追っていくと全曲見られます。

 

Gustav Mahler plays his symphony no.5

(マーラー自身による第1楽章のピアノ演奏!貴重…。)

 

 さて、ホルンが活躍する第2部の第3楽章「スケルツォ」では、一瞬明るく感じますが、いろいろな感情が錯綜しているかのような、動と静が交錯する激しく壮大な楽章となっています。深い悲しみに沈んでいるかと思えば、次の瞬間には舞踏風の明るい曲調になったり、静かなピアニッシモが突如打ち破られたりと…。やはりメランコリックで不安な雰囲気が基調となっています。この楽章だけで演奏時間は約18分。

 

 第3部である第4楽章と第5楽章では、それまでの重苦しい空気が一転します。「暗」から「明」への劇的な転換が表現されていきます。甘美でゆったりとした第4楽章では、陶酔的な、極めて美しいメロディの中に、どことなく切なさといったものも感じられます。

続く第5楽章では、熱狂的に人生の勝利を宣言するかのようなクライマックスを迎えます。それまでの4つの楽章は、この荘重で力強いクライマックスを迎えるために周到に準備されたものであるかのようです。

 

Mahler: Symphony No. 5: Part III: Mov. 5Part2

(最終第5楽章後半−バーンスタイン指揮ウィーン・フィル) 

 

  第2部のスケルツォ(第3楽章)をはさんだ第1部と第3部は、それぞれ「緩」(第1・第4楽章)と、「急」(第2・第5楽章)の楽章で構成されてもいます。マーラー41歳の時の交響曲…、名曲中の名曲だと思います。

 

Gustav Mahler Symphony No 5 mvt 4 Adagietto

(ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルの第4楽章「アダージェット」 in チリ。
 
Zubin Mehta conducts Israel Philharmonic Orchestra in 2001

 

 私は、マーラーの『交響曲第5番』の演奏を聴きに(見に)行ったことが一度だけあります。もう十数年も前ですが、このズービン・メータ指揮イスラエル・フィルの来日公演…。この演奏はユダヤの人たちにしかできない…、と思えるほど凄まじい演奏でした。車椅子利用者になって数年後のこと…、第5楽章が終わった後、涙があふれ出てきました。

 先日、このメータさんが、日本で東日本大震災復興支援のための演奏会を開いている、という話題もテレビで目にしました。

 

 マーラーについて、私の大学時代の一つ先輩の大柴譲治牧師(日本福音ルーテル むさしの教会・JELC)が書かれた文章を紹介します。↓ 

「ブルックナーは神を見たが、マーラーは神を見ようとした」。これはマーラーの弟子でもあった指揮者ブルーノ・ワルターの言葉である。アントン・ブルックナー〔1824〜1896〕とグスタフ・マーラー〔1860〜1911〕という対照的な作風を持った二人の偉大なオーストリア人作曲家の特質をよく言い表した言葉であると思う。

二人は師弟の関係にあった。ブルックナーは幼い頃からの敬虔なカトリック信徒であり、教会のオルガン奏者だった。作品はミサ曲などのほかに9曲の交響曲があり、いずれもオルガン的な響きを持ち規模壮大で重厚。それは彼自身の信仰をよく表していて、その音楽には揺れがない。それに対してマーラーは、ユダヤ教からカトリックに改宗した作曲家であり、生前は優れた指揮者としてヨーロッパ中に名をなした人物である。歌曲や9曲の交響曲、そして「大地の歌」など、その音楽は華麗なオーケストレーションと、美しい天上の響きがあるかと思うと次の瞬間には苦悩に充ちた不協和音があるというようにダイナミックな揺れ動きでよく知られている。先の「ブルックナーは神を見たが、マーラーは神を見ようとした」というワルターの言葉は、二人の音楽に対する深い共感に充ちた言葉であるが、言い得て妙である。マーラーは作曲家としては不遇な生涯を送ったが、「やがて必ず私の時代が来る」という預言的な言葉を残した。

北陸の古都・金沢で過ごした学生時代、数は多くはなかったが、私の周囲はブルックナー派とマーラー派とに二分されていた。圧倒的な神の栄光の存在感を示して動じることのないブルックナーの壮大な音楽と、信仰と疑いの間をダイナミックに揺れ動くアンビバレントな人間の現実に立ちつつ最後まで永遠なるものを求め続けたマーラーの音楽。私はなぜか後者に強く魅かれるのである。苦しみや悲しみという嵐の中で水に浮かんだ木の葉のように揺れ動く小さな人間存在。神殿から遠く離れた所に立ち、ただうつむいて、心痛む胸を打つ以外にはできない自分がいる。「キリエ、エレイソン」。これしか言葉にならない。(以上、抜粋させていただきました。)

レント断想〜ブルックナーとマーラー2005 2 大柴譲治牧師)

 

 

 私自身、大柴先輩からは、音楽や哲学だけでなく多くのことを教わりました。私が受傷(頸髄損傷)してからも、ずっと精神的なサポートをいただいています。

 ちなみに、当時の私は、圧倒的に「ブルックナー派」でした…。マーラーがしっくりと心の奥に響いてきたのは、受傷してからです。
 

 

 さて、「The Viennese Symphonic Tradition」(ウィーンの交響曲の伝統)と題されたマニラ交響楽団の今シーズン最初のステージは、マーラーの交響曲第5番と、交響曲の父と称されるハイドン(Franz Joseph Haydn・1732〜1809)のチェロ協奏曲第2番とのコンビネーション。ハイドンの時代は、マーラーの生きた「19世紀末ウィーン」より百年以上も前です。ウィーンの交響曲の歴史の幕開けと終焉前の輝きを伺うことのできる2曲です。

 

M.Rostropovich - Haydn Concerto No.2 in D, 1st mov.

(ハイドン『チェロ協奏曲第2番ニ長調』 ロストロポーヴィチ指揮・ソロ Mstislav Rostropovich 1927-2007

 

こちらは、そのロストロポーヴィチさんソロのハイドンのチェロ協奏曲ハ長調。指揮をされているのは、30年前の小澤征爾さんです!↓

Haydn Cello Concerto Rostropovich 1981

 


 伝統あるマニラ交響楽団がどんな演奏をしてくれるでしょうか…。3日後、6月4日夜8時です。

 

MANILA SYMPHONY ORCHESTRA CELEBRATES 85 YEARS OF MUSIC

(フィリピン文化センターのホームページ)

 

Manila Symphony Orchestra presents Mahler tribute

(5月31日・Philippine Star紙)

 

フィリピン・フィルハーモニック・オーケストラ(Philippine Philharmonic OrchestraPPO)第29期のシーズン(2011年9月〜2012年4月)の演奏会の日程も、もう紹介されています。↓

Cultural Center of the Philippines - PPO 29th Season

(フィリピン文化センターのホームページ)

 

 

(以前のブログ記事)

マーラー没後100周年に。 - Gustav Mahler 100th Memorial Year

 

長崎の鐘が。(小澤征爾さんのマーラー『復活』コンサートの思い出−浦上天主堂)

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ドイツは、2022年までに「脱原発」=17基の原子炉全面停止…と発表(5月30日)

2011年05月31日 | 原子力発電所関連

ドイツは、福島第一原発の放射能漏れの事故の直後から、国民がいち早く「ノー・モア・原発」 “ No more Nuclear Power Plant! ” と拒絶反応を示した国の一つでしょう。

国民の脱原発への強い希望を受けて、連立与党(メルケル首相)は30日、「11年後の2022年までにドイツ国内の原子炉17基すべてを停止」すると発表。主要国の中では最も早く、将来のエネルギー政策の方向転換、「脱原発」を打ち出したことになります。

 

デモで原発反対を訴えるドイツ市民(5月28日・ハンブルク)

 

「ドイツの連立与党は大きく政策転換し、2022年までに17基の原子炉をすべて停止すると発表した。

 ドイツのメルケル首相は30日、政府が任命した委員会の提言に従って、8基の原発を直ちに停止し、残りについても大半を2021年までに停止すると発表した。3基は予備電力のために2022年まで稼動を続ける可能性がある。

 メルケル首相は、数人の閣僚とともに決定を発表した記者会見の場で、『少なくとも私自身にとって福島第一原発の事故は想像を絶するものであり、原子力エネルギーの役割を再考する必要に迫られた』と述べた。

 さらに、『この計画はドイツにとって大きな挑戦となるが、わが国を効率の高い再生エネルギー時代へ移行する最初の工業国とするチャンスだ』とも述べた。

 メルケル首相は昨秋、一部の原子炉の耐用年数を当初計画より10年以上長い2030年以降まで延長する計画を発表して論議を呼んだばかりであり、今回の動きは180度の方向転換といえる。これは、2002年に社会民主党と緑の党による中道左派連立政権が決定した合意に実質的に逆戻りするもの。

 日本の原発事故によってドイツ国内では原子力エネルギーに対する懸念が高まっており、福島第一原発が最初に爆発してから数日後にはメルケル首相は旧式原発7基を停止させ、原子力エネルギー戦略の見直しを命じていた。

 その見直しに基づく今回のドイツ政府決定は、日本の原発事故を受けた国家の原子力エネルギー方針の転換としては最も大きなものだ。日本では原子炉の新規建設計画を実質的に凍結、台湾やイタリアは安全性を見直すため、新たな原発計画を保留としている。スイス政府は先週、最終的な脱原発を決定したが、段階的廃止案であり、脱原発の完全な実現は2030年以降となる可能性がある。

 ドイツでは国民の7割ほどが原発に反対しており、ドイツほど原発が問題となっている国は少ない。福島第一原発事故が発生して以来、国内各地で数百件の反原発デモが行われてきた。

 ドイツ産業界では、今回の決定は想定内ではあったものの、政治的な動機に基づいた性急なものであり、その結果、電力価格が高騰し、ドイツの競争力が脅かされると非難する向きもある。

 ドイツの電力価格は既にこの10年で2倍になっており、国内電力の50%近くを消費するドイツ産業界は特にこの問題に神経を尖らせている。

 30日、メルケル首相は、新たな脱原発方針によってドイツの再生可能エネルギー目標が影響を受けることはないと述べた。同目標では、2050年までに総発電量の80%を再生可能エネルギーとすることを目指している。現在、ドイツの消費電力のうち、再生エネルギーが占める比率は16.9%。

政府はまた、現在、総電力の22.6%を占める原子力発電の停止期限が厳しくなることで、それが再生可能エネルギーへの投資を促し、経済的恩恵となる可能性があるとした。」

Patrick McGroarty and Vanessa Fuhrmans 5月31日・The Wall Street Journal

 

 

「ドイツ・メルケル政権の連立与党は30日未明(日本時間同日午前)、遅くても2022年までに、現在電力供給の約23%を担っている原子力発電から脱却する方針で合意した。DPA通信など、ドイツメディアが伝えた。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故後、他国に先駆けて「脱原発」へと政策転換したドイツは今後、風力などの再生可能エネルギーを中心にした構造への転換を目指す。

 メルケル首相が率いるキリスト教民主同盟と姉妹政党のキリスト教社会同盟、連立相手の自由民主党の幹部が29日午後から協議していた。合意によると、現在17基ある原発を段階的に閉鎖し、大部分は10年後の21年までに止める。代替の電力源の確保が間に合わないなどの場合に備え、最後の3基の運転を1年間延長する選択肢を残した。」

ドイツ、2022年まに脱原発 連立与党が合意 5月30日・朝日新聞)

 

 

 こんな記事もあります。↓

86脱原発を希望、ドイツ国営放送調査

タナ|環境とCSRと志のビジネス情報誌

 

 

 

福島第一原発事故による放射性物質拡散などに関する「海外」の情報リンクが、こちらのホームページにまとめられています。↓

海外かの情報国際機関研究所メディアなど - 福島原発最新情報

(時々、情報が更新されています。)

 

 福島原発新情報リンク集 | 福島原発 LINK より

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台風2号による福島第一原発事故の放射能拡散シミュレーション(ドイツ発)

2011年05月29日 | 原子力発電所関連

ドイツの気象庁にあたるDWDが、そのホームページで、福島第一原発の事故以来、日本の福島第一原発周辺における放射性物質拡散の分布図(シミュレーション)を公開しています。↓

http://www.dwd.de/bvbw/appmanager/bvbw/dwdwwwDesktop?_nfpb=true&_pageLabel=dwdwww_start&T178400415551302522764483gsbDocumentPath=Content%2FOeffentlichkeit%2FKU%2FKUPK%2FHomepage%2FTeaser%2FJapan.html&_state=maximized&_windowLabel=T178400415551302522764483&lastPageLabel=dwdwww_start
(クリックしてください。)

 

(日本時間5月30日午後9時の予想図)



(日本時間5月31日午後9時の予想図)

Weather and migration conditions in Japan (日本の天気と移動の状態) 

このmigration(移動)とは、放射性物質の拡散を意味し、そのシミュレーションを示した図です。これは、一定量の放射線物質を出しているという仮定の計算条件に基づき、相対的な分布を予想したものだそうです。

(画面に表示されている時刻「UTC」は国際標準時間・GTMで、日本時間はその表示時刻+9時間となります。)

 

Weather and Climate - Deutscher Wetterdienst -- Homepageより)

 

 これによると、今回の台風2号による放射性物質拡散の恐れがいかに大きいものか、と不安になります。あくまでシミュレーションによるものですが…。

 

 自分自身、こんな記事、情報を掲載せざるを得ない今の状況は、本当に悲しく、心が痛みます。。

「台風2号、もっともっとそれてくれ!」

気象庁 | 台風情報

 

気象予報士Kasayanのお天気放談:台風2予想進路と風・雨の様子(529日)

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