「男の首 黄色い犬」

忙しかったり、回線が不調だったりして、最近更新が途絶えがち。
見にきてくださっているかたには申し訳ないです。

さて、今回は「男の首 黄色い犬」(ジョルジュ・シムノン/著 宮崎嶺雄/訳 東京創元社 1969)。
メグレ警部ものの「男の首」と「黄色い犬」の2編を収めた本。
去年の後半、フランス産の小説ばっかり読んでいる時期があって、そのときに読んだもの。
といっても、作者のシムノンはベルギー生まれだし、アメリカで暮らしたりもしているそうなので、いくらメグレ警部ものがパリを舞台にしているといっても、厳密にフランス産かどうか怪しい。
でもまあ、細かいことは気にしない。

シムノンの小説は、だいぶ昔、「13の秘密」(東京創元社 1980)を読んだことがある。
これは安楽椅子探偵ものの短編集で、ひとつひとつが短く読みやすく、とても面白かった。
この本には、メグレ警部ものの「第1号水門」も収録されているのだけれど、こちらの記憶はまるでない。
で、
――高名なメグレ警部ものとは一体どんな小説なのか?
という興味で読みはじめたのだけれど…。
いやあ、こんな小説だったとはなあ。

以下、「男の首」のあらすじを紹介しますが、ネタバレをしています。
ご注意のほどを。

では、「男の首」のストーリーを――。

本書はまず、メグレ警部が脱走する囚人を監視するという緊迫した場面からスタート。
囚人の名前はジョゼフ・ジャン・マリー・ウルタン。
花屋の配達夫をしている27歳。
裕福な米国婦人とその小間使いを殺したとの疑いで捕まり、死刑の宣告を受けた人物。

なぜ、メグレはウルタンの脱走を見張っているのか。
じつは、ウルタンを捕まえたのはメグレだった。
が、その後の取り調べにより、無罪を確信したメグレは、コメリオー判事と司法大臣にかけあい、ウルタンを脱走させて共犯者をあぶりだすという作戦をおこなうことになった。
脱走したウルタンは、パリをあちこちさまよったあげく、《シタンゲット》という安宿に入りこむ。

はたして、一介の警部であるメグレが司法大臣にかけあい、囚人を逃がすなんてことができるのか。
大変疑問なのだけれど、この疑問には答えず、ストーリーは平然と進んでいく──。

さて、ウルタンが逃げだすと、なぜか「口笛(シッフレ)」という新聞にそのことをすっぱ抜いた記事が載る。
その記事は、編集部がある手紙をもとにして書いたもの。
そして、手紙はどこかのカフェの便箋に書かれたものだった。

ここで面白いのは、パリのカフェの便箋ならどこの店のでもたいてい見分けがつくという、メルスという人物が登場すること。
そんなひとがいるのだから、警察はすごい。
メルスにより、カフェはモンパナス通りの《クーポール》と特定。

いっぽう、《シタンゲット》。
メグレの部下は、ウルタンのことをすっぱ抜いた新聞記事をウルタンに読まれたくない。
で、部下とウルタンは新聞をとりあいに。
そのあげく、ウルタンはビンで部下を殴打。
電球が消え、ピストルの音がし、なにがなにやらわからなくなり、ウルタンは消えてしまう──。

もはや、頼りは手紙から特定したカフェしかない。
メルスは筆跡から人物も鑑定。
この人物鑑定がまたすごい。

メルスによれば、手紙はわざと左手で書かれたもの。
書いた人物は数カ国後をあやつり、水準をはるかに超えた知性をもち、我の強いところがあるかと思うと、意志の弱いところもあり、冷ややかなところがあるかと思うと、感動しやすいところもある、女性的な男で、病気にかかり、しかも自分でそれを知っている人物…。

筆跡からここまでわかるなんて、まるで魔法。
さらに、紙についた染みから、クリーム入りコーヒーを飲んでいたこともわかる。

メグレは問題のカフェ《クーポール》へ。
やけに国際色豊かな、活気のあるカフェ。
ここに、殺された米国婦人の甥で、遺産相続者のクロスビーがあらわれる。
さらに、見失っていたウルタンもあらわれる。
ウルタンはあんまりみすぼらしい格好なので、カフェのなかに入れない。
メグレは部下を呼び、ウルタンの監視を再開。

それにもうひとり、カフェに妙な人物がいる。
カフェのいちばん奥まった席にすわり、ヨーグルトをちびちびと食べている男。
店のボーイがいうには、朝8時から夜8時までそうやっている男。
チェコ人で、名前はラデック。
ラデックは突然キャビアなどを頼みはじめ、無銭飲食で警察にしょっぴかれる。

ラデックはすぐ釈放される。
例によって、メグレは部下にラデックを尾行させるのだが、すぐに巻かれてしまう。
また、《クーポール》にいくと、ラデックがいて、こんどはちゃんと金を払ってキャビアを食べはじめる。
そして、メグレにむかって事件をひと通り解説。

「あなたはぼくも罪人にしたくてたまらないかもしれないが、ぼくはウルタンともクロスビーともなんのつながりもない」

などと、メグレを小馬鹿にした態度をとる。

その後、メグレはラデックから札束を渡されたり、それを調べてみると札束はクロスビーのものだとわかったり、ウルタンは実家に逃げこんだあげく首をくくろうとしたり、メグレが犯罪現場である屋敷にいったらクロスビーのピストル自殺に出くわしたりする。

いったいこれからどうなるのか。
この話は収拾がつくのか。

すると、驚いたことにラデックが警察にあらわれ、メグレに思わせぶりなことをべらべらと話しはじめるのだ。
こうして、メグレは自己顕示欲の強い犯人のおかげで真相にたどり着く──。

…なんなんだ、これは。
あんまり都合がよすぎやしないか。

文章は3人称メグレ視点。
地の文は、ほとんど描写のみ。
事情説明は、たいてい会話でおこなわれる。
描出話法による心理描写はない。
つまり、ハードボイルドの文体で書かれている。

メグレ警部ものは心理描写に定評があると聞いていたけれど、犯人の心理――一体なぜこんなことをしたのか――は、すべて事件解決後メグレの説明によってなされる。
メグレは犯人の解説役だ。

解説で中島河太郎さんが書いているけれど、メグレ警部ものは推理のデータを列挙し、伏線を張って、みごとな論理的建築を誇ろうとするタイプのミステリではない。
伏線はないわけではないけれど、それは登場人物の描写の補強につかわれるにすぎない。

話としては、メグレが語る事件の真相だけあれば、ほかの部分はいらないくらい。
これは、「一体なぜこんなことをしたのか」という心理描写に片寄った、ミステリ風の犯罪小説というべき作品だろう。
最後に登場人物の心理の解説がしたいために、すべてがある小説といおうか。
じつに不思議なミステリだ。
これがメグレ警部ものか。

「黄色い犬」については略すけれど、印象は「男の首」を読んだときと変わらない。
で、つまらないかというと、そんなことはない。
なんというか、くせになる。
緊迫感のあるストーリーとメグレ警部の解説を、もっと味わいたくなってくる。

ところで、シムノンはちゃんとプロットをつくってから執筆しはじめたのだろうか。
それとも、登場人物の履歴だけをつくって、やおら書きはじめたのか。
というのも、メグレが最後に語る真相以外の「ほかの部分」が、非常にサスペンスフルに書かれているからだ。
これはプロットをつくらないで、いきあたりばったりで書いているためかと思ったのだけれど、――そして、超多作家だったというシムノンの腕前が存分に発揮されているところだと思ったのだけれど――どうだろうか。


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木米と永翁 (タナカ)
2011-07-19 23:36:51
宮崎市定の「木米と永翁」(中公文庫 1988)を読んでいたら、「シムノンの探偵小説」という章をみつけたのでメモ。

宮崎市定(これでイチサダと読む。ずっとシテイだとばかり思っていた)さんは、1936年、ベルリンでオリンピックが開催された年、文部省の在外研究員という名目でパリにいき、そこで2年ほどすごしたそう。

で、そのとき、フランス語の勉強をする必要が生じた。
それなら探偵小説を読みなさいと、本屋の主人がシムノンのメグレ警部ものをすすめてくれたという。
以下、宮崎さんの、よく勘所を押さえた見事な要約を引用。

「シムノンの小説は文章が平明でわかりやすく、適度に色気があり、適度に感傷があり、適度に冒険があり、さらに適度のヒューマニズムと庶民性とがある。裏町にすむ貧乏な学生や、外国移民や、街の女などの哀歓が同情をもってよく描かれている。しかし何よりも探偵小説として、明快になぞ解きをする天才的な頭の良さがあって、それがたまらない魅力になる。これはもう単なる娯楽物をもって目すべきではない」

「メーグレ探偵はいわゆる近代的な科学捜査には大して重きをおかない。かえって昔流に義理や人情を背景として、心理的に犯罪が行われるに至った経過を組み立てようとする。少々脳のたりない殺人容疑者が拘置されているのを見て、どうも背後に誰かが操っているなと感じると、容疑者を釈放してやって、泳がせてみる。たりないながらもこの男は、警察犬のような嗅覚でその同盟者をかぎあてる。こうなればもうしめたもの、あとは心理作戦で本当の犯罪者を絶対絶命の窮地に追いつめ、一挙に事件を解決してしまう。これが『囚人の首』のあらすじである」

たぶん、『囚人の首』というのは、「男の首」のことだろう。
それにしても、簡にして要を得た紹介。
無性にシムノンを読みたくなる。

宮崎市定さんは、中国史の泰斗として名高いのは知っていたけれど、パリに留学したり、シムノンを読んでいたりということは、本書を読んではじめて知った。

さらに宮崎さんは、探偵術と歴史学の共通点をこう述べる。

「考えてみると探偵の仕事というものは、われわれが歴史学でやっている勉強と大いに共通するものがある。探偵は犯罪が行われたとき、その周囲に散らばっている断片的な証拠をかき集め、そこからすでに過ぎ去った事件のあらましを復元し、不足している証拠を探し出して、動かすべからざる事実を認定するのである」

「歴史学の方でも同じように、すでに知られている史料によって過去を復元するが、復元しようと努力する間に、まだ史料に不足している点があれば、新たに史料の捜索、掘り出しに懸命にならざるを得ない」

「すべての問題に対する解答は最も明快に、メーグレ探偵のなぞ解きのごとくであるべきだ」

さらにこんなことも。

「文部省から東洋史研究のためにフランス国に滞在を命ぜられて、探偵小説を読んできましたとは報告書に書けない。しかしメーグレ探偵のように、鮮やかに過去を復元してみようと発奮し、それがため、帰ってから筆意大いに進んだならそれでいいではないか」

自分にいい聞かせている調子なのが、なんとなく可笑しい。

たしか、坂口安吾に「歴史タンテイ方法論」という文章があった気がするけれど、宮崎さんも似たようなことをいっているとは思わなかった。
安吾がいうと、変痴気論になってしまうけれど、それに宮崎さんが加わると、がぜん箔がつく感じがする。

 
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