夢多き日々を逞しく生きる

日々の雑感、思いつくまま

福沢諭吉の教え

2009年03月30日 | Weblog
私の先祖は中津奥平藩の家老職であった。
住まいは留守居町の福沢諭吉生家の向かいにあったが、
今は観光客用の駐車場になり昔の面影は跡方も無い。
ただ文久時代の中津城を取り巻く住宅図が
唯一の証拠として手元に残されている。
そういった背景から福沢諭吉を尊敬と誇りを胸に
80年生かされてきた。
乱れた世相の中、福沢諭吉が残した言葉を
今一度読み直して見ては如何でしょう。


     『心 訓』 福沢諭吉

一.世の中で一番楽しい事は一生涯を貫く仕事を持つことです

一.世の中で一番みじめな事は人間として教養がないことです

一.世の中で一番淋しい事はする仕事がないことです

一.世の中で一番みにくい事は人の生活をうらやむことです

一.世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩にきせないことです

一.世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情を持つことです

一.世の中で一番悲しい事はウソをつくことです


認知症対策?

2009年03月06日 | Weblog
大手金属会社の海外進出が目覚ましい。
その関連会社の社長に就任した甥っ子と
頻繁にメール交換が始まった。

勤務地は、年中30°Cを超す亜熱帯のインドネシアである。
うだるような暑さの中、
9月中旬から1ヶ月間イスラム派の断食が始まり、
街の食堂は挙って開店休業となるらしい。
早朝4時半から夕方6時まで、食事も水も断つ習慣だという。

ある時「街には認知症の老人を見かけないか?」と聞いてみた。
「ただでさえ過酷な気象条件の中、更に超過酷な断食で、
 平均寿命が58歳なので認知症になるまで命が持たない」
という返信が来た。
それを聞いてなんと日本は幸せな国だと実感したものか...。

そんなメールのやりとりの翌日、
偶然四国の老人クラブ会長の友人から
のんびりムードの歌詞?が届いた。
集会の最後、これを全員で合唱してお開きにするそうだ。


  ボケない小唄 (お座敷小唄替え歌)
 
 1 風邪も引かずに ころばずに
   笑顔わすれず 聞く話す
   頭と 足腰 使う人
   元気ある人 ボケません

 2 スポーツ カラオケ 囲碁将棋
   趣味のある人 味がある
   異性に関心 持ちながら
   色気ある人 ボケません

 3 歳を取っても 白髪でも
   しわがふえても 気が若い
   演歌唄って アンコール
   生き甲斐ある人 ボケません

嗚呼、頚椎靭帯骨化症

2009年03月03日 | Weblog
沖縄滞在5年間の単身赴任はアッと言う間に終わり
後ろ髪を引かれる思いを残し、
次は故郷の九州に赴任が決まった。
任地は福岡県苅田町N社九州工場新築工事である。

1年が過ぎ、期末年中行事である安全表彰の準備に入り、
賞状の手書きを任され、墨を摺りながら心を鎮め文案を練り
いざ取りかかろうとした時、思いもかけぬハプニングが起きた。
あの軽い筆が指先からポロリと落ちた、
なんじゃこれは?
と何度も拾い直して繰り返したが、指先に全く力が入らない。

これまで5つの現場で書き物をしてきたが
そのようなことは初めての経験である。
優しい事務方に相談したら、
首関係は無数の神経が交差しているし、
かなりの失敗例も見て来たので、病院は私に任せて....となった。

調査の末辿り着いた所は、飯塚市にある脊髄損傷センター、
通称「脊損センター」。
早速馳せ参じた。

素晴らしい環境に一目惚れ
玄関受付の対応に二目惚れ、
検査もしていないのに腹の中の虫が決めた。

そして主治医になるM医師の自信に満ちた診断と説明に
命を預ける決意が漲った。
ゾッコン惚れじゃ~

病名は、「頚椎靭帯骨化症」
そのまま放置すれば手も足も動かなくなる危険性のある病である。
頭に達磨さん!が浮かんだ。

入院してあらゆる検査の末、平成3年2月22日手術日が決まった。
前日バリカンで髪の毛を刈りカミソリでツルツル坊主の一休さん、
夕食時、食堂に行くと全員が起立して私に合掌した。
喜ぶべきか?悲しむべきか?迷ってしまった。

翌日ストレッチ車が迎えに来た。
病室を出ると左右に入院患者ズラリと並び見送る習わしらしい。
同室の悪ガキ?が「出棺です」と叫び、
チョットジョークが強烈すぎたが雰囲気を和らげてくれた。

手術は6時間30分要したが無事終わった。
翌朝K部長が見舞いに訪れ握手を求め、
力の限り、と言われ精一杯握りしめた。
「もう大丈夫、元に戻りましたネ」と満面の笑顔であった。

素晴しい環境、高度な技術のスタッフ、最新機能設備に救われ、
術後19年今も健在である。