親殺し、主殺しの刑は重かった
「何をしても隣人から叱られない今日の子供は、不幸である。充分な社会教育をされないということは、それだけ社会から脱落する機会が多くなるということだからである」と梅干先生は言う。続けて先生は言う「江戸時代の連座制で、特に厳しく適用されたのが、幼児犯罪である。子供の犯罪であった」と。子供はひと組の夫婦のものというより、五人組という共同体の共通の子供なのである。それゆえに、連座制の怖さもあってか、子供は決して甘やかされなかった。
話を変るが、我々の学生時代に習った“刑法“に、”尊属殺人“があったかどうか。今は忘却の彼方のことである。“刑法“と言えば、”教育刑“と”応報刑“があったとも修学した。“刑法“の先生は、大塚仁先生。“刑事訴訟法”の先生が、柏木千秋先生。大塚先生には“刑事学”をも教えられた。今は昔の事である。

ところで、江戸時代、”教育刑“・“再教育”という意識はまずなかったであろう。見せしめのための刑である。見せしめ故に今では考えられない“刑”、野蛮な刑があった。
その代表が、“鋸挽き”の刑。公衆の面前で、体を埋め、頭だけを地上から出し、希望者に鋸で首を挽かせたとのこと。流石、江戸時代でこの刑が一番重い刑であったようである。
さて、この重い刑が適用されたのは、”主殺し“と“親殺し“に対してであったようである。儒学を背景として、”主殺し“と“親殺し“は、封建時代の安定を阻害する、その上、共同社会を破壊する一番の悪と考えられたからであろう。
ここで、“尊属殺人”であるが、個人の尊重と身分的支配関係がない時代において、”尊属“でるということで、重刑が限定的に課せられるのは解せないとして、”尊属殺人“が消滅したことは理解出来る。逆に戦後何年間も存在していたのが不可解であった。
殺人罪の刑罰適用範囲で対応すればよいのである。
ぬまごろう

追記
“鋸挽き“といっても、実際は頸動脈を切っておいて、鋸に血痕が残るようになぞった程度とのこと。しかし、希望者には、実際に鋸で挽かせたとのこと。
ぬまごろうが、“鋸挽き“の刑を知ったのは、山岡宗八の『徳川家康』で、家康の最初の正妻“築山殿”の不倫(?)相手、山中ナニガシ(?)に適用したのが最初であった。確か、高校一年生の頃。『徳川家康』は中日新聞に連載されていたと思うが、間違っていたかも知れない。










親殺しの尊属殺人はなくなったらしいけど(私は問題だと思っているが)、最近実の子を殺してしまう親、こともあろうに母親がちょくちょく出てきた。これを普通の殺人罪で処理してよいものか、大いに疑問。子を真っ先に保護すべき親がその任務を放棄するどころか殺してしまうなどという行為は一段と重い罪科を創設してでも厳罰に処すべきと思うけど諸兄のご見解は如何かな。
遊びのKK
ところで、松浦先生は民事訴訟法ではなかったでしょうか・・・・・。
numaの記憶もいいかげんですね。
そうだ、刑法には、総論と各論がアッタケ。これも忘れていた。
遊びのKK