所払による社会からの離脱は死を意味した
小学生の高学年の頃に「はばにする」という言葉を使った記憶がある。要するに“仲間外れ”にするという隠語であると思っていたが、念のために、ウィキペディアをクリックしてみたら、「はぶにする」というれっきとした言葉であった。「はぶにする」の語源は「村八分」の“八分”がそうであるとのこと。“はば”は“はぶ”の名古屋圏での使用語。つまり、名古屋弁である。
団体生活を維持するためには規律があった。規律破りの子供に対して「はばにする」と脅しもした。“はばにされる”ことを恐れて規律を守った。子供心にも、連帯と共同それに共済を意識していた。共同体から“仲間はずれ”、除外されることは、子供としての生活の死活問題であった。“はば”は規律破りに対する刑罰であった。
ここで、話を江戸時代に遡ると、人々は“宗門人別改帳”、今で言う“戸籍”に登録されていた。ご承知の通り、江戸時代は何事につけても“連帯責任”の時代であって、出来そこないの子供や不行跡な連帯仲間からの責任から逃れるために、“勘当”という制度を利用した。勘当された者は、人別改帳から除外された。犯罪の軽い者は、追放刑、簡単に言えば”江戸所払“とされた。この状態であれば、何とか縁戚からの援助を受けることも出来た。無宿人仲間で徒党を組み互助することも出来た。しかし、宗門人別改帳”という仲間から外れることの生活の苦しさは並大抵のものではなかった。
そうだ、“叩き”という罰もあったが、極々の軽犯罪であった。

ところで、所払の冴えたるものが”流人“であった。獄門、曝し首に至るほどの罪ではないが、重罪に該当する者は流人とされ、三宅島や八丈島に流された。流人は島で自活をしなければならなかった。余程強靭な体力の持ち主でなければ生き残ることは困難であった。
考えてみれば、江戸時代の刑罰と言えば、仲間外れにすること、追放することが主体。一つには、この世から追放する。今一つは、江戸仲間からの追放、もう一つが、島流し。
いずれにしても自活を求める。省エネ、低コストの方法であった。流石。徳川様といううべきか・・・。
マー、いずれにしても、何時でも、何処でも、“仲間外れ”は恐ろしいことなのです。
ぬまごろを“仲間外れ”にしないでくださいね。お願いだから・・・。
ぬまごろう































