【震災復旧談合で強制捜査へ 東京地検】
産経ニュース(2016.1.19)より
<東日本大震災で被災した東北地方の高速道路復旧工事をめぐる談合事件で、東京地検特捜部と公正取引委員会は18日、独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑での立件に向け、近く道路舗装各社の強制捜査に乗り出す方針を固めたもようだ。道路の復旧工事には巨額の国費が投下されている。談合は震災前から行われていたとされるが、公取委は「早期復旧」の名の下に、業界で利益を分け合っていた悪質性の高い談合だとして刑事責任を問う必要があると判断した。>
おとといの朝、いつものように見るともなしにNHK『おはよう日本』を見ていると、飛び込んできたこのニュースに、朝からゲンナリとしてしまった。その論調をごくごくかいつまんで言うと、東日本大震災後の「談合」によって、震災以前よりも落札率が増加したことにより巨額の税金が無駄遣いされたというものだ。
つまり、落札率は低いのが常態で、それが高ければ、業者が、暴利もしくは不当な利益をむさぼっており、その結果、国民に不利益が生じているということ、そして、おのれらの金儲けのためだけに震災復旧事業を利用した「越後屋」カルテル(このような報道での建設業者への見方は、どうもそういった「悪」のステレオタイプでしかなされないようにわたしには思えます。つまり「おぬしも悪よのお」という)に鉄槌を下すために、「正義の味方」(「悪」が越後屋なら、「正」はさしずめ大岡越前守か遠山の金さんか)、ご存知東京地検特捜部と公正取引委員会が起ち上がった、てな按配である。
この場合、論点は2つに分けなければならないとわたしは思う。
まずひとつは、震災復旧(復興)事業での「談合」は悪か、という点。
もうひとつは、落札率が上がることによって本当に納税者の利益が損なわれているのか、という点にである。
もちろん、今という時代の「なにがなんでも談合は悪い」論の重要な根拠のひとつが、「談合による納税者利益の毀損」である以上、この2つを厳密に区別することなどできないのだが、両方を混同して、論点があっちへ行ったりこっちへ行ったりするのを避けるため、2つに分けてみる。
ひとつ目は、大震災という非常事態が発生したという危急緊急のときに、平時と同様の「公共入札」をやっているような余裕があるのか、という問いだ。もちろんわたしは、はっきり「No!」と答える。だが、今回の件に関しては、冷静に事実関係を整理する必要もある。なぜならば、わたしたち業界の内の人、あるいは与する人のなかには、今回の件を発災「直」後と混同してしまい、ヒートアップしてしまっている方々がけっこう存在するからだ。産経ニュースのつづきを引用する。
<談合の疑いがもたれているのは、東日本高速道路(NEXCO東日本)東北支社が発注した岩手、宮城、福島県内などを通る高速道路の復旧舗装工事計12件。震災で東北地方の高速道路は各地で被害を受け、震災後の平成23年8~9月に復旧工事の入札が行われた。道路舗装業者12社が1件ずつ落札。落札総額は約176億円に上り、工事は当初の計画通り1年3カ月で完了した。>
今回の談合容疑案件は、東日本大震災から約半年後に行われた入札に関してである。少なくとも発災直後ではない。
そういう事実関係を踏まえたうえで、「越前守」と「金さん」は乗り出したのかもしれないと推測することもできる。だがわたしはその時間を「まだまだ半年」と見る。ステージは復興にすら届いておらず、復旧、しかもまだまだ応急復旧といったような段階ではなかったろうか。その時点において、迅速な復旧のために、各業者の地域性などなどを考慮して仕事を振り分け調整することが「談合」という犯罪に相当するか。わたしはむしろ、健全至極な「話し合い」だと考える。当たり前の話だとも思う。だが、辺境の土木屋がそういきりたったところで、(ことの是非はともかくとして)事実として法違反と言われればおっしゃるとおり。まことに残念ながら、容疑のとおりであれば「クロ」としか言いようがない。
問題はふたつ目だ。落札率が上がったことによって納税者の利益は損なわれたか、言い換えれば、この件は国民の税金を不当に収奪した犯罪なのか、という問いだ。
低い落札価格で受注してもそれ相応の利益を上げることができる現場もある。いっぽうで、たとえ予定価格100%であっても応札する業者がなく入札不調が連続する工事もある(つまり、予定価格では赤字になってしまうもしくは適正な利益が出ないので入札辞退が相次ぎ「不調」となる)。またそのいっぽうでは、適正な利益が出ないとわかっていても、低い札を入れなければ競争に勝てず、結果として受注できないためやむを得なく最低制限価格もしくはそれに近い低価格で受注するのが全国各地で常態となっている。そういう現実から導き出されるのは、落札率のアップと国民の利益の損失に相関関係はないという、(わたしにとっては)当たり前の結論でしかない。
わたしたちにとってはいたしかたのないその事実をして、最低制限もしくはそれに近い受注価格が適正な税金の使われ方と捉え、予定価格に近くなればなるほど、その落札価格の差額は不正な利益あるいは暴利であり、結果として国民の税金の無駄遣いとなっているという論調やそれを元にした空気が、それを流すマスコミのみならず、広く一般市民にまで浸透しているという現実(そのターゲットをこともあろうか震災復旧工事に向ける (*_*))。わたしが冒頭、「朝からゲンナリとしてしまった」と書いたのは、まさにこれが原因なのである。
おとといのNHK『おはよう日本」に話を戻す。
「おのれらの金儲けのためだけに復旧事業を利用した建設業者たち」という(たぶん)虚偽のイメージづくりを受けて紹介された、いわゆる「まちのこえ」はこうだった。
「自分たちだけが得をするのは許せない!」と怒りに打ち震えるオジさん。
そして「それだけのお金があったら、もっと他に使わなきゃならないことがいっぱいあるのに」と嘆くオバさん。
わたしがもっともショックだったのは、この「まちのこえ」だった。
この人たちの意見のソースとなるのはマスコミの論調を元にした「空気」である。こんな感じが代表的か。
【震災復興を「食い物」 不正に利益分け合う】
産経ニュース(2016.1.19)より
<東日本大震災で東北地方の道路は、路面が陥没したり、ひびが入ったりするなど大きな被害を受けた。道路は被災地の復興を支える重要な動脈だが、その復旧工事の裏で、談合が繰り返され、利益を不正に分け合っていた疑いが強まった。間もなく震災から5年の節目を迎えるが、復興を「食い物」にした事件に、また捜査のメスが入る。(中略) ある検察幹部は「価格を下げ、品質を向上させるという競争原理が談合で阻害される。結局、自分たちで自身の首を絞めていることに気づいていないのだろう」と指摘する。>
わたしはこれを、悪質な世論誘導としてニュースを見、そして読んだ。だが、色いろな報道に接するにつけ、その考え方をあらためた。あれは「正義」感が発露したものではないか、あるいはこれは「正義」を行使しているつもりなのではないかと思われてならなくなってしまったのだ。それは、世論誘導などという、ある意味で単純なものではなく、もっともっと根が深いものではないか。ことほどさように「公共事業悪玉論」と、それをベースにした建設業者バッシングの「空気」が浸透しきっているのだとしたら・・・・
「正義」の思い込み、もしくは思い込みの「正義」、ときとして、これほどやっかいなものはない。
う~ん。
敵は大きくて強い。強すぎて何がなんだかわけがわからないぐらい強く、そして大きい。
もちろん、(たぶん)NHKの担当者が恣意的に登場させた(であろう)あのオジさんとオバさんは敵ではない。この国を隅々まで覆った「越後屋おぬしも悪よのお」という「空気」が、市井の老人をして怒り嘆かせているのだとわたしは思う。その「空気」が敵となれば、とてもとても辺境の土木屋風情が太刀打ちできるものではない。
などと思い始めると、ゲンナリを通り越して暗澹とした気分になってしまう。
それでもオマエは「ゆうこさんを探せ」と説くのか?
「一人ひとりが自分の持ち場で、笑顔でたたかえ、えぶりばでぃ」なんてキレイ事を言うのか?
と別のわたしが問いかけてくる。その答えは・・・
「ムリムリ」である。
ふ~、ちょっとひと息。
じつをいうとこの稿、ふた晩おいて寝かせている。直後だと、どうしても怒りや嘆きや諦めなどのネガティブな感情に支配されすぎてしまうからである。(きのうはお城下で、とある委員会のあと呑み会だった、という事情もあるが ^^;)
結果、アップすることにした(大幅に加筆修正はしている)。
これは、敵が強すぎると同時に、情報を発信してこなかったというわたしたちの行為が招いた現実だ。であれば、我と我が身の境遇を嘆き、他責の念を強くするよりもしなければならないことは他にある。わたしは、「ゆうこさんを探せ」と言いつづける。そうすることが「沈黙の螺旋(※)」を逆に回すために必要だと信じているし、何よりそれは、誰に頼まれたわけでもなく、わたし自身が自分で引き受けた「責任」だからである。
ふと、こんな俳句が思い浮かんだ。
ヤセガエル マケルナイッサ コレニアリ
ヤセガエルはわたし自身であると同時に貴方たちであり、イッサもまた、わたしであり貴方である。
であれば、カラ元気であれなんであれ、この稿の締めくくりはこうでなければならない。
一人ひとりが自分の持ち場で、笑顔でたたかえ、えぶりばでぃ!
でわ \(^o^)/
いつになく長々と書いてしまいました。御用とお急ぎでないかたは、このブログ内の関連記事もどうぞ
↓↓
『(現場人的)情報発信のすすめ』
http://blog.goo.ne.jp/isobegumi/e/3c076f97243e0a42ae138349e4d45d59
『ゆうこさんを探せ』
http://blog.goo.ne.jp/isobegumi/e/5ad51a357fe8eb0b8f8805c5e896732d
※沈黙の螺旋理論
マスメディアを通じ、個人が多数派と認識する世論が形成され、そのような世論が同調への圧力を持つという理論。
人々は自分の意見が世の中で多数派か少数派かを判断する直接的統計能力を持ち、少数派だと思う人々は孤立を恐れて沈黙を保ちたがる。そのため多数派の声が、螺旋が収束するようにますます増大するというものである。
(Weblio辞書より)
世論と呼ばれるものは、人々の冷静な意見の集積というよりはむしろ、こうした「こわばった風潮」にしか過ぎない、と考えるのが沈黙の螺旋理論である。(『強靭化の思想』藤井聡、扶桑社、P.101)
伝統に裏打ちされた良識を携えた庶民が残されていることを信じ、彼らに向かって正当な論理を発言し続けること以外に、沈黙の螺旋を逆に回す術はない。(同、P.104)
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