時代の寸刻、寸刻だけにとらわれるのではなく、
過ぎにし昔と来るべき時代を一巻の絵巻として一望に収めるセンスを取り戻せば、
日本人ももう少し健全になるんじゃないかと思う。
瞬間、瞬間を細切れにしないでほしいですね。
歴史は大根じゃないんだから。
(西部邁、『もはや、これまで 経綸酔狂問答』P.286)
同じ本で西部さんは、こうも言っている。
たとえば「ITの時代がやってきた」と言われています。
やってきてもいいけど、扇子を開けばそれは16分の1に過ぎないんです。骨が16本あるとしてね。
ITの前にいろんなものがあって、一連でもって役に立つわけです。
「なんとかの時代です」と騒いだところで、1本の骨では何の役にも立たないんです。
(同、P.284)
なるほど含蓄のある言葉である。
中央省庁のテクノクラートから、私のような辺境のいち土木屋に至るまで、
今という時代の土木技術者にとってすべからく、必要な心持ちなのではないだろうか。
「とりあえずは大きな流れの中で流れて、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ」(川俣正)をモットーとする私ならなおさら、である。
そして、「過去の延長線上に未来はない」などと、エラそうなことを他人さまの前でホザク私だが、
私の中でのそれは、過去(歴史)を否定せよという意味などではない。
今私(たち)が拠って立つ色々様々は、過去(歴史)の所産、あるいはお陰として存在している。
そのことを踏まえた上で「過去の延長線上に未来はない」と言っているつもりではある。
だが、とはいいつつも果たして本当に、しっかりと腑に落としこんでいるのかどうか。
「なんとかの時代です」と騒いだところで、1本の骨では何の役にも立たないんです。
ややもすれば「騒ぐ」ほうの人間になり易い私なぞは、
肝に銘ずべきなのである、な ^^;
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