誰かに話すことで気が楽になることがある。
「胸のつかえがおりる」とまではいかなくても、少しばかり肩の力が抜けることがある。
その場合の「誰か」は、特定の「誰か」でなければいけないことはなく「誰か」でいいのだが、「誰でもいい」かというとそうでもなく、やはりそれなりの「誰か」であるほうが効果が高い。
「それなり」の第一条件は、「黙って聞いてくれる」だ。
「とりあえず」という括弧つきでいいから「黙って聞いてくれる」人。
もしくは、「黙って聞いてくれる」でなくてもいいから「聞くことを優先してくれる」人。
それの対極にあるのはたとえば、それについての自説を開帳する人、一つひとつにツッコミを入れる人、「そりゃアンタも悪いわ」ともっともらしい意見を言う人、などなど。
「もやもやした想い」を吐露したことで、少しだけ気が楽になったそのあとで、「(とりあえずは)黙って聞いてくれた」相手に感謝しつつも、「はて、オレはどうなんだ?」と考えてみる。
いくつか過去の事例が思い浮かんでは消えていき、どちらかといえば「対極の人」である自分自身を振りかえって、声にならないため息ひとつ。
「ありがたいんやったら、他の人にもやったれや」と別のわたしにアタマの真うしろから声をかけられ、「そんなことオマエに言われんでもわかっとるわい」とすぐさま返す。
わかっちゃいるけど・・・
そう、今に始まった話ではないのだ。
贈与されたものに対する反対給付義務の遂行とは、「等価のものを贈与者にお返しして、チャラにする」ことではない。反対給付義務は、「自分自身を新たに贈与者として立てる」というかたちで遂行するしかない。自分自身が新たに贈与者となることによってはじめて、非贈与者であることの負債から開放される。(『内田樹の研究室』2010.1.9「コピペはだめだよ、について」より)
「黙って聞いてくれた」ことをわたしに向けての贈与とするなら、その返礼は「(別の誰かに対して)黙って聞いてあげる」ことである。しかし、悲しいかなわたしには、「黙って聞いてあげる」人を完璧に演じることなどできそうにもない。
だとしたら、「とりあえず」という括弧つきでいいから「黙って聞いてあげる」人もしくは「聞くことを優先してやれる」人を目指そう。今からでも遅くはない。少なくとも、「わかっちゃいるけど」はできないことの免罪符とは成り得ない(と自分で自分に言い聞かす)。
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