答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

続・言葉が怖い

2017年08月09日 | ちょっと考えたこと

わが愛車マルモッタン号に同乗するやいなや、Mさんが爆笑。

「なんですか?この『言葉が怖い』って!」

面と向かって盛大に笑われると、なんだかとても恥ずかしいものを見られたようで、もごもごっと口に出す言葉も要領を得ないが、ナントカ態勢を立て直して逆襲。

「いくつになっても、どんなときでも、日々勉強なのだよ」

てんで逆襲になってないのはご愛嬌だ。

 

『言葉が怖い』

ここでも何回か紹介した、向田邦子の講演録だ。


 

言葉が怖い 新潮CD (新潮CD 講演)
向田邦子
新潮社

 

近ごろでは、とんとご無沙汰なのだが、あいかわらず愛車のまんまんなかに、このCDがで~んと鎮座ましましている。

そういえば、と思う。先月、『施工の神様』というWebサイトに、わたしへのインタビュー記事が掲載されたのはすでに紹介したとおり。

↓↓

土木は知性と感性。経験と学ぶ姿勢で「土木勘」を会得しろ!


そのおり、(話す)言葉というのはつくづく怖いものだなと痛感した。

話しているときではない。インタビューを受けているそのときは、聞き手の上手さもあって、調子に乗ってべらべらとしゃべり、そんなこと考えもしなかった。ゾッとしたのは、チェックのためと送られてきた原稿を一読したときだ。

「舌足らずやなこのオッサン」

まずそう思った。

つまり、脈絡がつながらない、もしくは筋がとおらないということだ。

長いあいだ考えつづけ、実践し、出力しつづけてきたこと(たとえば「仕事」に関すること、たとえば「土木」に関すること、などなど)は、まだいい。良きにつけ悪しきにつけそれは自論だし、わたし的には筋がとおている。ところが、たとえば「働き方改革」や、たとえば「アイコンストラクション」やといった話題に話がおよぶと、なんというか、イケてない。

練れてないのだ。

もちろん、発信されたとたんに、言葉が発信者の所有物ではなくなってしまうものだということは承知している。書くことにせよ話すことにせよ、内容をどう解釈するかは受け取る側にイニシアティブがあって、「いくらなんでもそんな受け取り方はないだろう」と発信者が地団駄踏んで悔しがったところで如何ともしがたい。

だが、考え抜き、自分なりに論理を組み立て(稚拙ではあっても)、そのうえで情理を尽くして語る言葉は、そうそう大きく曲解されるもんではないとわたしは思う。

そこんところを踏まえて言うと、やはり練れてないのだ。

「書く」場合はまだいい。「消しゴムで消せる」からだ。キーボードならば、deleteキーをひと押しすればその言葉はクリアされ、また新たに紡ぎ直すことができる。どのようにしても脈絡がつながらない場合、またなんとしても気に入らない場合は、とりあえず書くのを止めて寝かせておけばいい。リリースするしないは、考えたうえで判断し実行できる(というこの稿からして、じつは一週間以上寝てたんですネ、これが)。

当然のこととて、「話す」ことにも、発信(発音)しないという選択肢はある。「ん・・・」とか「それについてはちょっと・・・」などと言って判断を留保することだってできる。だが、多くの場合のわたしはそれをよしとしない(あ、ホントにわからないときは「わからない」と宣言しますよ)。まったくの門外漢である事柄ならイザ知らず、ほとんどの場合、「わたしとわたしの環境」に関連する質問や会話なのだから、「ワシ知らんもんね」という態度はとりたくないからだ。

ということは、必然的に、ほとんど答えてしまうということになる。と、これまた必然として、咀嚼しきれてないままリリースされる言葉があったりする。個人と個人のダイアローグ、あるいは複数の会議などでは、ちょっとこっ恥ずかしいけれどまだそれもいい。イチイチそんな細かいことを言ってたら、最後は「黙る」という選択肢しか残ってない以上、意を決してしゃべるしかなかったりすることが多い。

だが、これが不特定多数あるいは特定多数を前にして発する言葉だとそうはいかない。「話す言葉」は「消しゴムで消せない」。deleteキーもない。「ちょっとタイム」と声をかけ、「今の撤回、やり直しネ」ということはそうそうできない(たま~にやりますけどネ、わたしは)。

だからちかごろ、「言葉が怖い」とつくづく思う。

なのに盆明け、「公共工事の生産性向上」うんぬんのとあるシンポジウムでパネリストとやらを引き受けている。

これに関しては、わたしなりにずい分と考えてきた。現在進行形だ。だが、イマイチ考えがまとまらない。有り体に言うと、「よくわからない」のだ。もちろん、「わかっている」こともあるにはある。わたしなりの答えもないではない。いや、答え(らしきもの)はある。だが、イマイチ練れてないのだ。「答え」に行くまでの筋道に、当の本人が納得してない、と言ったらよいだろうか。


さて、、、

ひと息入れて、来し方を思い起こしてみる。


こわい(恥ずかしい)。

が、やる。

恥をかく。

慣れる(強くなる)。

でも恥ずかしい(こわい)。

が、やる。

また恥をかく。

さらに慣れる(強くなる)。

でもこわい・・・


つまるところ、「言葉が怖い」というのは、「言葉をたいせつにする」ことから生まれる心持ちだ。「慣れた」自分、「強くなった」自分、に自分自身が事足りていたらその心持ちは生まれない。


「言葉が怖い」


しばしば(というかしょっちゅう)、言葉の扱いがぞんざいに過ぎるわたしには、それぐらいの心持ちがちょうどいい(はずだ)(たぶん)。

 

 

 

 

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