「今という時代」はホントに情報が氾濫している時代だと、近ごろつくづくそう思う。どれがどうして何がどうなってそう思うのか。それはわたしなりにそれなりに色いろあるが、とりあえず事訳は置いておくとして、「いやはやじつに情報の洪水だネこれは」てなことを考える今日このごろだ。
とはいえそれは、さまざまな情報を進んで身の内に取り入れようとするからそうなるのであって、情報を取捨選択する、あるいは特定のメディアからの情報を入れない、というライフスタイルを選択していれば、そうでもないことかもしれない。むしろそうすることが、「今という時代」を賢く生きるすべなのではないか、などとも思う。
だが、欲にまみれそうそう賢くもないわたしは、ついつい色んな場所に出入りしたり、手を突っこんだり足を踏み入れたりしてしまい、気がついたら氾濫する情報のなかで溺れ死にしそうになっている、なんてことがしょっちゅうだ。
そんなわたしを救っているのは、常に出力している、あるいは出力しようと努めていることだろうとそう思っている。
「情報メタボ」、羽生善治が『大局観』で書いた「今という時代」を象徴するその言葉がわたしは大好きだ。そして、ずっと情報ばかりを食べていると気がついたら「情報メタボ」になってしまうよ、というその「情報メタボ」にならないために羽生さんが提示したソリューションは、
「情報化社会を上手に生き抜いてゆく方法は、供給サイドに軸足を置くこと」。
そうしないと、「個人としても組織としても需給バランスを崩してしまう」という名人の言説に、わたしは全面的に同意する。そして意識的に供給サイドたらんとしてきた。正解だったと思っている。そんなわたしにしてからが、近ごろ少し情報を詰めこみすぎて腹が出てきていたりする。いやはや情報という内蔵脂肪は、なんとも厄介だ。
メタボ解消のための策は言わずと知れている。食事制限と運動だ。入力するのを抑え出力を増やし需給バランスを保つ。食事制限ばかりでは辛くつまらない。運動もときには辛くてたまらないかもしれないが、能動的に取り組めるところがいい。何よりも「やってる感」がある。つまり、情報制限もいいが、「出力する」ことに力点を置こうぜ、とこういうことである。
ということで、
「情報を発信せよ!」
バカのひとつ覚えみたいに唱えてきたこの言葉。たまには違う表現をしてみることとする。
「出力しようぜ!えぶりばでぃ!!」
でわ (^^)
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ちと反省
しかし吾が輩
出力するものがないぞなもし
出力するために使うものはなんだっていいんです。
ブログでもSNSでも。
本来的な意味からいけば、できれば不特定多数に向けて出力するほうがいいんですが、とりあえずはSNSでもいい。必ずしもインターネットでなけりゃならないこともない。
レッツビギン!(古いか ^^;)