『金環日食』というお題のブログで、
人間には「ウレシがり」と「ウレシがりじゃないの」と二通りの人種があると書いたのだが、
それとは別に、かつてそれを見ていた古人(いにしえびと)に思いをはせてもいた私である。
あれから何日か。色んな人が色んな反応をしたのを見聴きしたのだが、
概して「古人に思いをはせていた人」は、他の別なことに対する感性もいいような気がする。
いや「いい」というよりむしろ、「合う」といったほうが正しいか。
もちろん、「日食」の持つ意味(記号性)が昔と今とでは全く異なるのだから、「現代人も同じように捉えんのはケシカラン」などと言う人は如何なもんかと思うが、
だからこそ、「ウレシがり」かつ古(いにしえ)に思いをはせ八百万(やおよろず)の神を想う、という感性がイイと思うのだし、
正しい現代人とはそういうもんでなければイカンのだと、「何だかよくわからない」自然というやつを相手に日々を営む土木技術者たる私は、
不遜にもそう言い切ってしまうのだ。
いにしえの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂いぬるかな
(伊勢大輔)